はじめに――熊本地震で被災された皆さまへ
2026年7月28日、熊本県熊本地方を震源とする大規模な地震が発生しました。この地震により尊い命を失われた方々に、謹んで哀悼の意を表します。
ご遺族の皆さまに心よりお悔やみ申し上げるとともに、負傷された方々、住まいや仕事、日常を奪われた皆さま、今も避難生活を余儀なくされている皆さまへ、心からお見舞い申し上げます。
救助、医療、復旧、生活支援に尽力されているすべての方々にも、深い敬意を表します。
被害の全容はいまだ確認の途上にあり、強い揺れの後も地震活動が続いています。断水や停電など、生活への影響も残されています。被災地の皆さまの安全が守られ、一日も早く穏やかな暮らしが戻ることを、寺町新聞編集部(ナーランダ出版)一同、心より祈念いたします。
この記事は、震災や災害の恐怖を煽るためのものではありません。災害の映像や数字をいたずらに強調し、不安を大きくすることが目的でもありません。むしろ、恐れから目を背けず、恐れに呑み込まれず、今できる備えを一つずつ始めるための記事です。
ここに掲載するのは、今回の熊本地震が起こる12日前、2026年7月16日に、大愚元勝和尚が「大人の寺子屋」で語った法話を、寺町新聞編集部が記事として再構成したものです。
地震発生後につくられた言葉ではありません。だからこそ、災害が起きてから慌てて恐れるのではなく、平時に現実を知り、備え、人とのつながりを育てておくことの大切さが、いっそう切実に響きます。
被災地に心を寄せながら、まずは自分と家族の暮らしを点検する。その小さな行動が、次の災害で守られる命につながるかもしれません。以下、大愚和尚のお話です。
平穏な日常は、決して当たり前ではない
私たちは、今日と同じ明日が来ると思って暮らしています。朝になれば仕事へ行き、家族と食卓を囲み、夜になれば眠る。その日常が、ずっと続くように感じています。
しかし世界を見渡せば、戦争、感染症、地震、豪雨、火山噴火などによって、昨日までの日常を突然失った人々がいます。遠い国の出来事も、物流やエネルギー、物価を通して私たちの暮らしに影響します。どこかで起きたことを「自分には関係がない」と言い切れる時代ではありません。
仏教は、この現実を「諸行無常」と説きます。
あらゆるものは移り変わり、同じ状態にとどまり続けるものはない。これは世を悲観するための教えではありません。変化を変化として、事実を事実として見つめるための智慧です。
『方丈記』が伝える、災害の時代のまなざし
鴨長明の『方丈記』は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という言葉から始まります。川は同じ姿で流れているように見えても、その水は一瞬ごとに入れ替わっています。水面に浮かぶ泡も、生まれては消え、長くとどまることがありません。人も住まいも、それと同じだと長明は見つめました。
長明は、大火、辻風、遷都、飢饉、大地震という災厄と社会の混乱を経験しました。『方丈記』は単なる美しい随筆ではなく、災害の時代を生きた人が、無常の現実を記録し、その中でどう生きるかを問い続けた書物でもあります。
人類はこれまで、災害や戦乱、疫病を幾度も経験してきました。過去に学ぶのは、恐怖を増やすためではありません。混乱の中で何が起きるのかを知り、心身を保ち、備えるためです。
無関心とパニック、そのどちらにも偏らない
危機に対する態度には、二つの極端があります。一つは、「自分だけは大丈夫だ」「そんなことは起きない」と考える無関心や慢心。もう一つは、まだ起きていないことに怯え続け、考える力も、目の前の日常も失ってしまうパニックです。
仏教が説く「中道」は、単に二つの真ん中を取ることではありません。現実をありのままに見て、必要なだけ恐れ、必要な行動を取ることです。
正しく恐れるとは、正しく知り、備え、今できることを淡々と行うことです。
恐れをなくす必要はありません。恐れは、危険を知らせる感覚でもあります。大切なのは、その恐れを見て見ぬふりにせず、同時に恐れの奴隷にもならず、行動へ変えることです。

南海トラフ地震を「いつかの話」にしない
日本で暮らす以上、地震を完全に避けることはできません。地震調査研究推進本部は、南海トラフ地震が今後30年以内に発生する確率を「60~90%程度以上」と評価しています。
内閣府が2025年に公表した最新想定では、最大クラスの地震・津波が起きた場合、最悪の条件下で死者約29万8千人、全壊・焼失建物約235万棟という甚大な被害が見込まれています。これは予言ではなく、防災対策を考えるための想定です。数字に怯えるためではなく、被害を減らすために受け止めなければなりません。
福厳寺のある尾張地方も、1891年の濃尾(のうび)地震で大きな被害を受けました。私は東日本大震災の被災地へ何度も足を運び、瓦礫の片づけや支援物資の配布、被災された方々との対話に関わってきました。そこで痛感したのは、災害は想像を超えて起きること、そして、備えの有無が発災後の判断や暮らしの再建を大きく左右することです。
何がいつ起きるかを正確に言い当てることはできません。それでも、起こり得ることを知り、今できる準備を重ねることはできます。
非常食の前に、「逃げられる家」になっているか
防災というと、水や非常食を買うことを思い浮かべます。もちろん備蓄は必要です。しかし、地震で倒れた家具が出口を塞ぎ、割れたガラスが床に散らばり、備蓄品のある場所へ行けなければ、それを使うことはできません。
特に夜間の地震では、停電した暗闇の中を裸足で移動することが大きな危険になります。
枕元に、底の厚い靴、ライト、眼鏡、必要な薬を置いておく。
寝室に背の高い家具を置かない。家具を固定する。
避難経路を塞ぐ物を置かない。
家族で避難先と連絡方法を確認する。
どれも地味な準備ですが、こうした小さな行動が、いざというときの判断と避難を助けます。
知識は、それ自体が備えになります。何が起こり得るかを知っている人は、揺れた瞬間の判断が早くなります。絶対に助かる保証はなくても、助かる可能性を一つずつ積み上げることはできます。
災害は一つだけでやって来るとは限らない
巨大地震では、強い揺れだけでなく、津波、建物倒壊、火災、停電、断水、道路や通信の寸断などが重なることがあります。
1707年の宝永地震から49日後には富士山の宝永噴火が起きました。ただし、過去の出来事をそのまま現代の因果関係として断定することはできません。
ここから学ぶべきなのは、「一つの災害だけを想定しておけばよい」とは限らないということです。
自分の住む土地のハザードマップを確認し、地震、津波、洪水、土砂災害など、地域ごとの危険を知っておく。停電や断水が数日続く場合を考える。家族に乳幼児、高齢者、持病のある方、障害のある方、ペットがいるなら、それぞれに必要な備えを考える。
防災は「一般的な正解」を買いそろえることではなく、自分たちの暮らしに合わせて具体化することです。
寺院は、有事に地域の何ができるのか
東日本大震災では、指定避難所そのものが被災する一方、高台にある寺院や神社が人々の逃げ場になった地域がありました。寺は法要を営む場所であると同時に、長い年月をかけて地域と結ばれてきた場所です。その土地、その空間、そのつながりを、有事にどう生かせるか。寺院も平時から考えておく必要があります。
福厳寺でも、地下水や備蓄、熱源、重機、テント、建物の耐震化などを少しずつ整えています。それは寺だけが助かるためではありません。僧侶や職員、幼稚園の子どもたち、参拝者、そして周辺の方々が逃げ込める場所をつくるためです。
行政、地域住民、寺社が、災害が起きてから初めて顔を合わせるのでは遅い。平時から顔の見える関係を結び、できることと、できないことを共有しておく。それもまた防災です。

最後に人を支える、目に見えない備え
備えをしていても、家や地域が大きな被害を受け、そこに住み続けられなくなることがあります。災害は建物だけでなく、仕事、地域、思い出、そして「居場所」を奪います。
そのとき、物資とともに大きな支えになるのが、「こちらへ来なさい」と言ってくれる親戚や友人、知人の存在です。有事に現れる人間関係は、有事の前の日常の中で育てられています。
正しく恐れるとは、水や米、非常持出袋だけを用意することではありません。
出会った人を大切にすること。
地域とつながること。
困ったときに助けを求められ、誰かが困ったときには手を差し伸べること。
人とのご縁は、目には見えない防災設備であり、人生のセーフティネットです。
地震だけではない。老・病・死を正しく恐れる
この話は地震の話であって、地震だけの話ではありません。
大きな災害を経験せずに一生を終える人はいるかもしれません。しかし、老い、病、死は、誰の人生にも訪れます。私たちの人生を確実に揺らすものです。
老病死に対しても、「まだ大丈夫」と背を向けるのでも、来る日を怯え続けるのでもなく、中道に立つ。正しく知り、必要な準備をし、今日を大切に生きる。そして、日頃から人を大切にする。
私たちは、一人で生きているのではありません。つながりの中を生き、関係を生きています。仏教では、それを「縁起(えんぎ)」といいます。災害への備えも、老病死への備えも、突き詰めれば、与えられたご縁をどう育てて生きるかという問いに行き着きます。
今日、できることを一つ
大きな災害を前にすると、自分一人の力は小さく感じられます。しかし、すべてを一度に整える必要はありません。
今日、寝床のそばに靴とライトを置く。家具を一つ固定する。家族と避難先を確認する。遠方の親族に連絡をする。地域の避難所を歩いて確かめる。できることを、一つ実行してください。
恐れから逃げず、恐れに呑まれず、現実を正しく知り、備え、人とのご縁を育てる。そこに「正しく恐れる」という智慧があります。
寺町新聞編集部より
被災地では今も救助、復旧、生活再建が続いています。現地の状況や支援の必要性は日々変化します。支援を考える際は、国・自治体・日本赤十字社など、信頼できる機関の最新情報をご確認ください。また、余震や二次災害のおそれがある地域では、行政や気象台の情報に従い、まずご自身とご家族の安全を最優先にしてください。
本記事が、不安を大きくするのではなく、一人ひとりが暮らしを見直し、家族や地域とのつながりを確かめるきっかけとなることを願っています。被災地の皆さまの安全と、一日も早い復旧・復興を、心よりお祈り申し上げます。
事実確認・参考資料
- 内閣府「令和8年熊本地震に係る被害状況等について」(2026年7月31日7時30分現在)
- 熊本県「令和8年熊本地震に関する情報」
- 地震調査研究推進本部「南海トラフの地震活動の長期評価」(2026年改訂)
- 内閣府「南海トラフ地震の新しい被害想定と実施すべき防災対策」(2025年公表)
- 気象庁「富士山(宝永噴火)」火山資料
- 鴨長明『方丈記』(冒頭および五大災厄に関する校訂本文)
注:熊本地震の被害状況は今後更新される可能性があります。公開時には、内閣府・熊本県・気象庁の最新情報へ更新してください。防災行動は、お住まいの自治体の地域防災計画・ハザードマップ・避難情報を優先してください。


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