➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、異文化のなかで感じる違和感、人とのすれ違い、老いや心の揺れ、ときには自分自身の失敗を通して、「人はどうすれば、思い通りにならない人生をよりよく生きられるのか」を考えます。仏教の教えも交えながら、日常のなかにそのヒントを探す連載です。
➤前回のあらすじ
「まむしに噛まれた!」と思い込み、人生で初めて救急車に乗ることになった筆者。笑い話のような実体験を通して見えてきた、仏教で説く「無知」と「正見」の大切さについて語っています。(第67話『「まむしに噛まれた!」と思った私が、本当に噛まれていたもの?』はこちらからご覧ください)。
安心するのも束の間
日本でムカデに刺されるという、とんだ災難に見舞われた筆者ですが、幸い大事には至らず、無事にアメリカへ戻ってきました。
これでようやくひと安心。
そう思ったのも束の間、この時期になると毎年のように現れる「恒例のお客さま」が、わが家のなかでせっせと行列をつくっていました。
そう、アルゼンチンアリ(※)です。
※ 南米が原産のアリで、繁殖力が極めて高く、在来のアリを駆逐するなど、生態系への影響が危惧されている
アルゼンチンアリが台所とお風呂場に大行列
暑くなる時期、わが家では台所やお風呂場など、水のある場所を中心にアリをよく見かけます。
今年は、なんと台所とお風呂場の2カ所で同時営業。タイルのほんの小さな割れ目から次々と姿を現し、エサや水を求めて忙しそうに走りまわっています。
きれいに一列になって進む一団がいる一方、なぜか列を外れて、別の方向へ進んでいくアリもいます。
「君はいったい、どこへ行くの?」
そんなふうに眺めているだけなら面白いのですが、ときには書斎まで遠征してきます。
仕事をしている私の腕の上を駆けまわり、チクリとした感覚に、思わず払いのけることもあります。
さすがに、共存にも限度があります。
そこで、困ったときのAI相談。
調べてみると、目の前にいるアリを1匹ずつ退治するより、働きアリにベイト(エサ)を巣へ持ち帰ってもらう方法があるとのこと。
さっそくベイトを購入し、アリが出入りしている場所の近くに置いてみました。
数日たつと、あれほど忙しそうだった行列が消えました。
そこで、入口になっていたタイルの割れ目をコーキング。
「これで一件落着」
そう思っていたのですが…

ベイトとコーキングでアリ対策――ところが別ルートが出現
数日後。お風呂場へ向かおうとした私は、思わず足を止めました。
絨毯の上を横断する、長い、長い、アリの行列。
「えっ。今度はそこから?」
昆虫が苦手な私は、一瞬ぎょっとしました。
ところが、しばらく眺めているうちに、怖さよりも感心のほうが勝ってきました。
以前の入口をふさいだら、別の道を見つけたようなのです。
アルゼンチンアリは、仲間が残した化学的な道しるべなどを使いながら、列をつくって移動します。
わが家のアリたちが、どのように新たな道を見つけたのかまではわかりません。
それでも、人間が1カ所入口をふさいだからといって、
「入口を閉められました。今年はこれで撤退します」とはならないようです。
そこがダメなら、別の道。
なんともたくましい。
とはいえ、感心ばかりもしていられません。
2度目も同じようにベイトを置き、行列が見えなくなってから、侵入口と思われる隙間をコーキング(専用材で埋める)しました。
それから1カ月以上。
いまのところ、大行列は見ていません。
どうやら、今シーズンの攻防は、人間側に軍配が上がったようです。

仏教の「不殺生」とアリ対策――殺したくない、でも暮らしも守りたい
ただ、ベイトを置きながら、引っかかるものもありました。
仏教には、五戒の第一に不殺生戒(ふせっしょうかい)、つまり「生き物を故意に殺してはならない」という教えがあります。
相手が人間であろうと、小さな虫であろうと、命であることには変わりありません。
そう考えると、アリを巣ごと退治するベイトを置くことにも、やはり迷いがあります。
だからといって、家のなかを何百匹ものアリが歩いていても、
「仏教徒ですから、どうぞご自由に」
というわけにもいきません。
食べ物を扱う台所もあります。家を清潔に保つ必要もあります。
人間には人間の暮らしがあります。
ここに、教えの解釈と現実のむずかしさを感じました。
今回、私は結局ベイトを使いました。
ですから、「不殺生をきちんと守りました」と胸を張れる話ではありません。
ただ、この経験からあらためて考えたのは、殺さなくてすむ命まで、むやみに奪わないことでした。
虫を見つけた瞬間、反射的に踏みつぶす。
必要以上に殺虫剤をまく。
外に逃がせる虫まで殺してしまう。
そうではなく、まず侵入口をふさぐ。
食べ物や水を残さない。
外へ逃がせるものなら外へ出す。
それでも暮らしを守るために対処しなければならないときは、必要な範囲にとどめる。
完璧にはできなくても、命を軽く扱わないことはできます。
仏教の教えとは、正解か不正解かを決めるためのものではなく、自分が何をしようとしているのか、その心に一度、目を向けるためのものでもあるのだと思います。
仏教では、何をしたかだけでなく、「どんな気持ちや思いでその行動をしたのか」も大切だと考えられています。
だからこそ、「邪魔だから殺す」で終わらせるのではなく、
「ほかに方法はないだろうか」と一度考える。
その小さな間が、大切なのではないかと思いました。
そんなわけで、アリを殺さずにすむなら、まずは入ってこられないようにしよう。
そう考えて始めたのがコーキングでした。
今回のアリ騒動で、私は人生で初めてコーキングガンなるものを手にしました。
しかし、コーキングの面白さに目覚めた私は、こだわりの強い性格から、当初は全く予期しなかった方向へと導かれていったのです……。
次回の投稿は、コーキングに目覚めた私の、行き着いた先についてお話したいと思います。9月21日(月)夜7時を予定しています。
記事の一覧はこちら
※寺町新聞では、このほかにも数多くの連載記事を掲載しています。各連載記事はこちらからご覧いただけます。
(感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)


コメント