令和6年1月1日、石川県能登半島に甚大な被害をもたらした能登半島地震。そして同年9月、再び大規模な被害をもたらした奥能登豪雨。あれから約2年が経ちましたが、復興はどれくらい進んでいるのか気になります。
このコーナーは、石川県能登町の出身で、ご自身が住職をつとめるお寺が大きな被害を受けた、福厳寺の副住職・雄興知哲さんの視点を手がかりに、「寺町新聞」の編集部員が能登のいまをお伝えしたいとスタートさせました。故郷を愛する知哲和尚の思い出とともにつづる能登の旅に、さあ、あなたもご一緒しませんか。
<前回のあらすじ>
2年前の年末年始に帰省した能登で、震災に遭われた知哲和尚。当時のお話を伺うなかで、まだ復興が思うように進んでいない現実を知ることに。では、私たちに何ができるのか。それにはまず、能登の現状を肌身で感じる必要がありそうです。そこで知哲和尚の思い出を手がかりに、能登への旅を決断しました。(前回については「プロローグ〜それは突然やってきた」をご覧ください)

なぜ、和倉温泉だったのか
それは、震災から1年9カ月ほどが経った、秋が深まりかけたある日のこと。
金沢駅から約2時間、電車に揺られ、降り立った和倉温泉駅。そこからさらにバスに乗り、10分ほどで和倉温泉街に到着しました。

「和倉温泉に行ってみてはどうですか?」。
能登町の古刹(こさつ)の住職でもある、福厳寺副住職の知哲和尚の、この言葉に背中を押されて訪れた和倉温泉。
ここは、北陸随一の“海の温泉”として、高温で豊富な湯量が魅力の温泉地。七尾湾の西岸一帯には数多くの温泉旅館やホテルが立ち並び、なかでも「加賀屋」は「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」において、総合1位に輝いたことのある、老舗の名門旅館です。
「能登で思い出深い場所はどこですか?」の問いに、この和倉温泉の名を真っ先に挙げた知哲和尚。出身の能登町に接する地域だけに、幼い頃、何度もご家族で訪れた思い出の地なのでしょう。
「いえ、実は和倉温泉には、家族で行くどころか、温泉につかったこともないんです」。
ではなぜ? いったいどんな思い出がおありなのでしょうか。
能登の誇り、特別な場所
「和倉温泉は、名前を聞くだけで心が温かくなる、私にとって思い出の地なんです」。
その思い出とは……知哲和尚の若き修行時代にさかのぼります。
石川県の輪島市にある、曹洞宗の大本山総持寺祖院。ここでは寒行托鉢(かんぎょうたくはつ)という、寒中の期間、僧侶たちが町を托鉢して回る修行が行われます。手甲脚絆(てっこうきゃはん)に網代笠(あじろがさ)の行脚姿に身をつつみ、10人ほどが隊列を組んで歩く姿は、冬の風物詩ともいわれています。
この寒行托鉢で、和倉温泉に行ったときのことが忘れられない、と知哲和尚は語ります。
「寒行托鉢ではいろいろな町をめぐりましたが、奇異な目で見られることも少なくなく、いつも修行の厳しさを痛感していました」。当時はまだ、大学を出て間もない頃。寒行托鉢の意味も十分に理解できておらず、正直、悶々とした気持ちもあったそうです。
そんななか、和倉温泉の人々は違ったといいます。
「寒行托鉢は家々の角に立って行うのですが、和倉温泉では大抵みなさん家から出て来られ、浄財(※)を入れてくださったり、『大根持って行きますか』と差し出してくださったり。ああ、この地域の方々は心が温かいなあと、しみじみ感じたことを覚えています」。
和倉には托鉢の作法を心得ている人も多く、神仏を大切にしている地域であると実感でき、それが修行を続ける上での励みになったといいます。
「それに……」と知哲和尚は続けます。
「ここには日本一の旅館、加賀屋さんがあります。この旅館は能登の人間にとっての誇りであり、加賀屋さんを中心とした和倉温泉は、私たちにとって特別な場所なんです。震災による被害は甚大だと聞いていますが、まずは和倉が元気になってもらいたい。それが能登全体の復興を牽引する力になると思うからです」。
※ 伝道や慈善・社会事業などのために、利得や報酬を考えず寄贈する金銭
震災復興の第一歩!? 地元民に愛される名湯の再開
いま、和倉温泉の復興はどれくらい進んでいるのか、気がかりだという知哲和尚。
調べてみると、震災から1年半以上が経過しているにもかかわらず、2025年9月時点では、温泉旅館のほとんどが、まだ宿泊客の受け入れができない状態にあったようです。
それでも手軽に名湯を体験できる場所がないかと探してみると……ありました!
それが「和倉温泉 総湯」。総湯とは共同浴場、つまり銭湯のようなところ。入浴料も、大人500円、小人150円と一般の銭湯と変わりません。ただし、こちらのお湯は、開湯以来約1200年変わらずに涌き出ている由緒あるもの。海の温泉ならではの、豊富な塩分を含んだ無色透明のお湯が特徴です。
バスを降り、急ぎ向かった総湯は、震災の影響を感じさせない、どっしりと重厚感あるたたずまい。さっそく館内に足を踏み入れると、広々とした大浴場のほかに露天風呂もあり、さらには畳敷の広い休憩処も用意されています。
この総湯、震災直後の令和6年1月1日から休業を余儀なくされていましたが、同年3月26日に営業を再開。被害が比較的小さくすんだから、とのことですが、名湯のいち早い再開に、地元の人々はどんなにか心励まされたことでしょう。まさに震災復興の第一歩を印象づけるエピソードです。

名門旅館の現状に、言葉を失う
名湯がこんなに手軽に利用できるなんて。ホカホカと幸せな気持ちに満たされながら、温泉街の中心部へと向かいました。
さまざまなお店が点在する表通りを北に向かって歩いていくと、5分ほどで行き着いたのが「弁天崎源泉公園」。ここは和倉温泉の源泉が湧き出す小さな公園で、亀の形をした「亀岩」や、手を浸して温泉を楽しめる「手湯」などがある、和倉温泉のなごみスポットです。
しかし、公園周辺の道路では随所で復旧工事が行われており、そのせいか、園内はいささか寂しいといった印象が否めませんでした。

この弁天崎源泉公園からは、和倉港もすぐそこ。海を見たいと港をめざすと、すぐにフェンスに阻まれました。復旧のための護岸工事が行われていて、海に近づくことができません。

仕方なくその場に立ち止まり、少し目線を上げると、細長くそびえ立つ建物が左手に見えました。
それは、日本一と謳われた、和倉温泉を代表する旅館・加賀屋でした。
地上20階建、部屋数233室という名門旅館は、しかし外壁が遠くからでもわかるほど、一面に亀裂が入り、見るも痛々しい姿です。もちろん、営業は停止されたまま。少しずつ復興が進んでいるとの憶測は、見事なまでに打ち砕かれました。

目の前に突如現れた「黄色」とは
加賀屋の被害の大きさに衝撃を受け、改めて町の様子を見回したところ、至るところで復旧工事が行われていることに、いまさらながら気づかされました。なかでも、数々の旅館の解体工事が被災後1年半以上も経ったいま行われていることに、復旧への道のりがいかに険しかったかと思い知らされます。
お気楽気分で楽しんだ総湯も、そういえばすぐ横の敷地では、復旧工事のための工事車両が忙しく動き回っていました。そんな光景が、この町の随所で見受けられました。

能登の被害状況に、いかに無知であったか。うなだれるような気持ちで町を歩き続けていると、行く手に何やら黄色くはためくものが見えてきました。それもひとつではない、おびただしい数なのです。
これは、どこかで見た風景。記憶をたどって、すぐに思い当たりました。
「あ、あれだ!」
そう、それは間違いなく、山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』の名場面。何十枚もの黄色いハンカチが風にたなびいている、あのラストシーンと同じ光景です。
いったいどういうことなのでしょうか。いったいここに何があるのでしょうか。
その黄色くはためくものにに引き込まれるように、自然と足はその場所に向かっていました。
次回は、黄色いものの正体、そこから見えてきた和倉の人々の力強い姿について、お話しできればと思います。


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