こちらの記事は、佛心会員の季刊誌である『慈光』の中の連載記事『カルチャーブリッジ』で掲載された内容をより詳しくお伝えするコーナーです。
なぜアメリカ人は「宗教ではなくスピリチュアル」を選ぶのか
アメリカと聞くと、多くの人は「キリスト教の国」というイメージを持つのではないでしょうか。
実際、長い間アメリカ社会の中心には教会があり、人々は日曜日に礼拝へ行き、結婚や葬儀など人生の大切な節目を教会で迎えてきました。
現代も多くの人々がその伝統を受け継いでいます。
ところが近年、その風景が少しずつ変わり始めてきてもいるのです。
若い世代を中心に、教会へ通う人や特定の宗教団体に所属する人が減っていると報告されています。
一方で、人々の精神的な関心そのものが失われたわけではありません。
「どう生きたらよいのか」「人生の意味とは何か」「心の安らぎはどこにあるのか」といった問いへの関心は、いまもなお強く残っています。
そのような人々を表す言葉として、近年アメリカでよく耳にするのが「Spiritual But Not Religious」、略してSBNRという言葉です。
直訳すると、「宗教的ではないが、スピリチュアルである」という意味になります。
彼らは必ずしも教会に通うわけではありません。
しかし、人生には目に見えるものだけではない価値があると感じています。自然のなかで静かな時間を過ごしたり、瞑想をしたり、自分自身と向き合う時間を大切にしたりします。
つまり、「宗教は持たないが、精神性は大切にしたい」という新しい価値観が広がっているのです。

なぜいま、スピリチュアルなのか
では、なぜこのような変化が起きているのでしょうか。
背景には現代社会の大きな変化があるようです。
かつてのアメリカでは、地域社会や家族、教会とのつながりが人々の生活の基盤でした。しかし現代では転職や引っ越しが当たり前になり、人間関係も流動的になっています。
さらにインターネットやSNSの普及によって、世界中のさまざまな価値観に触れることができるようになりました。
その結果、「みんなが信じているから自分も信じる」という時代ではなくなったと言えるのではないでしょうか。
自由に選べるようになった反面、「何を信じればよいのか分からない」「本当に大切なものは何か」と迷う人も増えていると言われます。
便利になったはずなのに心は忙しく、常に情報に囲まれている。SNSを開けば他人の成功や幸せそうな姿が目に入り、自分と比べてしまう。
そうしたなかで、多くの人が、目に見える成功だけでは満たされない何かを感じているのかもしれません。
そこで注目されるようになったのが、ヨガや瞑想、マインドフルネス、自然とのふれあいといった実践です。
忙しい毎日のなかで立ち止まり、自分自身と向き合う時間を持つこと。それが現代人にとって大きな意味を持ち始めているようです。

自然とのつながり、そして日本人との共通点
興味深いことに、アメリカのスピリチュアル文化では「自然とのつながり」が大切にされています。
森を歩く。山に登る。海辺で静かに過ごす。スマートフォンを手放し、自然の中で自分を見つめ直す。
これは単なるリフレッシュではなく、「自分も自然の一部である」という感覚を取り戻そうとする試みとも言えるかもしれません。
この感覚は、日本人にとっても共感できる感覚なのではないでしょうか。
私たち多くの日本人は、普段、自分を「無宗教」と表現することが多いです。しかし初詣に行き、お墓参りをし、神社やお寺で自然に手を合わせています。
また、「ご縁」「おかげさま」といった言葉を当たり前のように使っています。
そこには、人はひとりで生きているのではなく、多くの人や自然の恵みに支えられて生きている、という感覚が息づいている証だと言えると思います。
形は違っても、アメリカで広がるスピリチュアル文化と日本人の精神文化には、どこか共通する部分があるように感じます。

次回 ― なぜ仏教が注目されるのか
人は物質的な豊かさだけでは生きられません。便利さだけでも満たされません。
だからこそ現代人は、「どう生きるか」という問いに再び向き合い始めているのかもしれません。
アメリカで広がるスピリチュアル文化は、いまの流行というよりは、現代社会を生きる人々の心の声であり、「よりよく生きたい」という願いの表れだと言えると思います。
実は、そのような人々のなかには、仏教に興味を持っている人が多いようです。では、そのような人々はなぜ仏教に関心を持つのでしょうか。
次回は、マインドフルネスや心理学との関係を手がかりに、現代アメリカで仏教が再発見されている理由について考えてみたいと思います。
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