逆境のエンジェル

アメリカの児童と10代のメンタルヘルス問題|逆境のエンジェル(第29話)

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 黒人をはじめとするマイノリティーの子どもたちが、犯罪へと手を染めてしまう構造的な理由について語っています。(第28話『学校から刑務所へのパイプライン』はこちらからご覧ください)

10代のメンタルヘルスが「国家的危機」を招く!?

 7年前から月に数回、私は地元の精神病院でも働いています。週末だけのパート勤務ですが、一般の精神病院の現状も知りたいという思いから始めました。

 この病院には、一般病棟に加えて小児病棟と10代の若者の病棟があり、私は小児病棟も含め、すべての病棟を担当することとなりました。そして、そこで初めて、子どもたちが直面しているメンタルヘルスの現状を目の当たりにしたのです。

 入院しているのは、自殺願望を抱いていたり、「うつ」や「不安症」に苦しむ子どもたち。その数は年々増加傾向にあり、症状の重篤化も顕著になっています。

 近年、多くの先進国で、子どもや若者のメンタルヘルス問題が深刻化していますが、アメリカでのそれは、もはや国家的危機に発展しているといわれています。

 その理由は3つ。まず1つは、犯罪率の上昇やホームレス、薬物乱用など、社会問題の悪化につながっていること。

 2つ目は、経済的影響。医療費の増大や労働力の減少は、経済に大きな負担を与えており、生産性の低下や失業率の上昇なども招いています。

 そして3つ目が、公共安全への影響。若者のメンタルヘルス問題が適切に対処されない場合、自己傷害や他者への暴力リスクが高まります。これは、市民生活への直接的な脅威となり得ます。

 アメリカではこうした現状が、次世代の子どもたちに対して悪影響を及ぼし、ひいては国家の将来の安定をゆるがす要因になると、非常に問題視しています。

コロナ禍が悪化させた若者の精神状態

 日本においても、若者の自殺や自殺未遂は深刻な問題。ですが、アメリカの場合、より状況が激化していると感じます。

 私が勤めている病院では、市販の痛み止め薬や睡眠薬などを大量に服用し、自殺を試みて入院してくる若者があとを絶ちません。

 覚醒剤などの違法な麻薬を含め、薬物使用障害および中毒は非常に高いレベルにあり、たとえば、最近面談した10代の若者は、毎日ウォッカを飲んでいたと告白しました。彼女の飲酒は、イライラや絶望感を抑えるために不可欠なものだったようです。

 自身の性的嗜好に悩む子どもも少なくなく、いじめや自己葛藤に苦しみ、性別違和感から性転換を考えている子どももいます。

 さらに昨今では、パンデミックの影響も、若者のメンタルヘルスの悪化につながっています。アメリカの疾病予防管理センター(CDC)の最新情報によると、この国の12~17歳の約18%が、パンデミックにより重いうつ病を経験。この割合は2021年以降ほとんど変化がなく、2023年には女子高校生の30%以上が、真剣に自殺を考えたことを報告しています。

 パンデミックによる学校閉鎖は、社会的孤立を生み出し、若者たちに深刻な影響を与えたほか、SNSの影響も無視できず、ネットいじめの激化や、他者との比較を促すネットやマスコミ文化が、若者の精神的健康をさらに悪化させています。

「あいさつ」ができない子どもたち

 こうした患者たちに、小児病棟では、薬物投与を中心とした治療を行っています。同時にさまざまなスキルに対する学習や、洞察力や忍耐力を養うプログラムも実施しています。

 私は折り紙や歌をセラピーの一環として取り入れながら、子どもたちの支援に当たっています。しかし彼らの多くは、少しでも難しいと感じると、投げ出してしまうのです。

 彼らに自分で挑戦することの重要性を理解してもらうため、私は「じっくり観察するように」と言葉をかけ、再挑戦するよう促します。しかし、すぐに「できないから手伝って」と助けを求めてきたり、かんしゃくを起こして泣き出したり。私に怒りをぶつけてくる子どももいます。

 ものを大切にする気持ちを持てない子も多く、作品が少しでも破れると、紙をくしゃくしゃにして投げつけることも。一つひとつをていねい作るより、早く多くの作品を作ろうとする傾向も見られます。 

 そもそも、あいさつができない子どもが多いことに驚きました。グループセッションの開始時に、「おはようございます」「こんにちは」と声をかけても、たいてい返事が返ってきません。そんなときは、「もう一度、始めからやり直します」といって、子どもたちにあいさつの大切さを学んでもらえるよう指導しています。

背後から見えてくる、深刻な親子関係

 10代の若者の病棟では、彼らが抱える問題はさらに複雑です。薬物やアルコールへの依存、学校やネットでのいじめ、恋愛や家庭の問題…。これらにより、うつ状態になり、自殺未遂によって、多くの若者が入院してきます。彼らは多くのトラウマを抱えていて、些細なきっかけでフラッシュバックを起こしてしまうため、細心の注意が必要です。

 それでも私は、彼らに対し、毅然とした態度で接することも大切だと考えています。グループルールを守ること、ルールに反した場合は部屋に戻ること、勝手なグループ参加が許されないことをきちんと伝え、他の子どもをからかったり、差別用語を使ったりした場合は、すかさず注意し、厳格に対応します。

 私が心がけているのは、どんな場合も平等であること。子どもたちの行動に、何らかの原因があることは理解しています。しかし彼らの将来を考えると、間違った行動は指摘して、自分の行動に責任を持たせる必要があり、それがセラピストとしての私の役割でもあると考えています。

 長年、この仕事に関わっていると、心に複雑な怒りや悲しみを抱えている子どもは、ある程度、顔を見るとわかるようになります。その直感と、臨床医からの報告などをつなぎ合わせ、彼らに何が起こっているのか紐解くよう努めています。

 そんななか、特に強く感じるのは、子どもの精神疾患に、親子関係が大きな影を落としていることです。

 私は親御さんと直接関わることがないため、入院時の状況や理由を知る手がかりはカルテのみです。

 ただ、子どもがナイフを持って親を刺そうとした、暴力がひどくて警察を呼んだ、という流れで連れてこられた子どもたちに対し、なぜそうなったかについては、親が自分の責任として受け入れるよりも、子どもの性格や、学校やパートナーのせいにする傾向があります。

 また、口ごもることも多く、そこには他言しにくい、親御さん側の事情があるように感じます。 

 その一方で、「自立心を育てる」ことに重きを置くアメリカの子育てが、ときに行き過ぎてしまうこともあるようで…。特権を与えられ過ぎて、​​​​​​まるで一人の成熟した大人のように、自分に発言権があると思っている子どももいます。

 親が親である前に、馴れ合いの友達になろうとしている、というのも屈折した親子関係。その結果、叱られることに慣れておらず、少しでも注意されたり、厳しくされると、かんしゃくを起こしたりする。一人前どころか、逆方向に育っていると感じる子どももよく見かけます。

 子どもを萎縮させるほど否定し続ける親がいる反面、過保護や無関心な親も多い現実。それは、親の未熟さゆえのことかもしれませんが、彼らもまた厳しい社会に翻弄され、進むべき道を見失い、苦悩しているひとり…。子どもたちの姿からは、そんな親の実情が浮かび上がってきます。

 入院してきた子どもたちは、直接的な方法でないにしても、みんな何らかのSOSを発信しています。それを受け止め、深く理解していくには、私たちに与えられた時間はあまりにも短い。入院期間が数日〜1週間程度という現状下では、問題の根本に迫ることができず、歯がゆい限りです。

 それでも、私たちと関わったことが、ほんの少しでも、彼らを照らす光になりますように…。そんな願いと信念を持って、私はこれからも、彼らの支援に取り組んでいきたいと思っています。

 次回は、筆者の経験を通して感じた、時代が変わっても消えることのない、戦争の傷跡についてお話します。 

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ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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