この記事は、大愚和尚の幼少期から佛心宗誕生にいたる半生を、物語風にお届けするシリーズです。大愚和尚の歩みは、私たちにとっても大切な学びにあふれています。
(※本連載は、事実を基に当時の心情や情景を、生き生きと再現したストーリー形式でお届けします。細部の演出を含め、ぜひ映画を見るような感覚でお楽しみください)
母から聞いた過去の真実
泥酔したドウコウさんに怒鳴られて以来、元勝少年は飲酒の事実を、このまま胸にしまっておくことは、できないと思いました。
酔って暴走していたとは言え「恨んでいるんだろ」という言葉の意味も、気になります。
そうは言っても、住職に打ち明けて相談すれば、ドウコウさんはすぐにでも、お寺を出て行くことになりかねません。そこで母に事の顛末を告げ、相談したのでした。
「そう。本当はあなたがもっと大きくなってから、話すつもりだったけど……。そうも言っていられないわね」。
母はそう言うと、大やけどを負った、あの日の真実。そしてドウコウさんの生い立ちを、話してくれました。
ドウコウさんはもともと、ある大企業のトップを務めていた男性の、世間には明かせない事情を抱えて、生まれた人でした。
本当の母親は幼くして亡くなり、父親からは距離を置かれ、複雑な環境の中で育ちます。
何歳になっても、心のどこかでやるせなさや孤独感に苛まれ、はけ口をお酒に求めるようになりました。
酔っている間だけは現実を忘れられ、多幸感に包まれます。日ごとにお酒の量は増え、やがて、お酒に依存するようになっていきました。
お酒の癖は落語家になり、軌道に乗り始めたタイミングで災いします。ある時、大勢の前で泥酔して暴走。落語界に居場所を失い、稼いだお金もお酒に消え、行く当てもなく、さまよっていました。
そうした中、手を差し伸べたのが福厳寺の住職です。お寺の生活を通じてお酒を断ち、まっとうな人生をやり直せるようにと、受け入れたのでした。
やがてドウコウさんは新しい生活に馴染み、周りの人々との間に少しずつ、居場所が生まれていきます。中でも元勝少年ら3人兄妹は「ドウコウさん、ドウコウさん」と呼んで、なついていました。
ドウコウさんも子どもたちを可愛がり、家族ができたような、温かな気持ちになりました。また住職の計らいで落語会に出演し、地元で少しずつ名が広まっていきました。
心に溜まっていた寂しさやストレスも、次第に和らぎ、自然と飲まずにいられるように。その姿を見て、住職は思いました。
「やはり彼は、もう一度、人生をやり直せる人だ。噺家としての才能もある。いずれ落語界に舞い戻る未来も、夢ではないかも知れんな」。
ところが・・。
刻まれ、広がり続ける亀裂
ある日、ドウコウさんが地域のホールで落語会を終えると、イベントを取り仕切る地元の人に話しかけられます。「いやあ、すごく良かったですよ、ドウコウさん。これから打ち上げの宴会、一緒にどうです?」。
ドウコウさんはたまたま時間があり、これまでの人生経験から、人付き合いの大切さも知っていました。参加すると、その席でお酒を勧められたのでした。
ひと仕事終えたあと、しかも長期の禁酒を経ての一杯です。長い時間しゃべり続けて、カラカラになった喉から、全身に染みわたるようでした。
「あとね、ドウコウさん。これは、お土産。余らせちゃっても仕方ないから、好きなの持って帰って下さいよ」。テーブルの上には、名のある銘柄のお酒が並んでいました。
ごくり・・と、喉の奥がうずきます。ひとたびアルコールのスイッチが入ってしまうと、その誘惑に、抗うことはできませんでした。
それから数日で、お土産のお酒を飲み干し「もっと、もっと」と求めるうち、気づけば自分でも購入し、飲酒を始めてしまいました。

やがて元勝少年が大やけどを負った日、ドウコウさんは住職夫妻が出かけたタイミングを見計らい、居室で飲酒をしていました。
それも、かなりの量を飲み酔っているところへ、元勝少年の妹が飛び込んできたのです。
「ドウコウさん、来て、ドウコウさん!」。
もういちど再起のチャンスを

ストーブの横に転がるヤカンと熱湯の水たまり、泣き叫ぶ元勝少年。ドウコウさんは何が起きたのか、察しました。
「いかん、救急車を・・」と思いかけた瞬間、「待てよ!」という考えがよぎります。
サイレンを鳴らした救急車が境内に入れば、きっと人が集まり、「何があったんだ」と騒ぎになる。
そうなれば酔っている姿が知れ渡り、住職の耳に入ったが最後。お寺を追放される未来が、目に浮かびました。せっかく始まった再出発は台なしになり、孤独の日々に逆戻りです。
「それは・・それは嫌だ!」ドウコウさんは救急車を呼ばず、自己流の応急処置にこだわりました。
しかし元勝少年が気絶したあと、住職夫妻が帰宅して飲酒が発覚。結局は、お寺を出て行かざるを得なかったのでした。
その後、住職は思います。けじめとして、追放は仕方がないものの「あんなに上手くいっていたのに、残念だ」と、惜しみました。
だからこそ時間が経ったタイミングで「もう一度だけ、チャンスを」と考え、ドウコウさんを再び受け入れたのでした。
ところが結局、ドウコウさんはアルコール依存に、歯止めをかけることができませんでした。
理性では後悔しつつも、気づけばお酒を手にしているのです。自分への怒りや嫌悪感、元勝少年への負い目も膨らみました。
溜まった負の感情が、理性のストッパーが外れた泥酔状態のときに、元勝少年の前で爆発。それが、今までの真相だったのです。
あふれ出し止まらない想い
すべてを知った元勝少年は、ただでさえ多感な思春期でもあり、感情がぐしゃぐしゃになってしまいました。
ドウコウさんへの、幼少からの親しみは、消え去ったわけではありません。一方で、飲酒で理性をなくす姿への失望、まるで別人のように変わってしまう姿への恐れ。
さまざまな思いがせめぎ合い、悩む日々が続きます。以来、廊下でドウコウさんとすれ違うとき、挨拶は交わしつつも、お互いに気まずい雰囲気が続きました。
ある日の夜。元勝少年が境内で戸締りの確認をしていると、外からフラフラしながら歩いて来る、ドウコウさんの姿を目にしました。「へ、へへへ~。ただいま~っと」。
明らかに泥酔しており、もはや隠す様子さえ見られません。元勝少年は、喉の奥から何とも言いがたい気持ちが、こみ上げてくるようでした。その感情は、ついに口を突いて出ました。
「こんなの、こんなの・・ドウコウさんじゃない!」
「え・・?」
「戻ってきてくれて嬉しかったのに、こんなの最悪だ。恨んでる?そんなこと、これっぽっちもない。あのときのやけどは、ぼくが自分勝手だったからだ。
ドウコウさんのせいじゃないし、必死に看病してくれたのも、ちゃんと覚えてる。命の恩人だと思ってる。
だけど、お酒を飲んでるドウコウさんは、大嫌いだ!ぼくが好きなのは、賢くて優しくて、面白いドウコウさんだ。落語をやってるドウコウさんだ!」。
とにかくお酒だけは止め、本当のドウコウさんに戻って欲しいと、切々と訴えました。
「あ、ああ、すまん。そうか、そうか・・」酔ってはいても、どうやら、その想いは届いているようでした。
昔のように呼んでほしい
残念ながら、それでもドウコウさんのアルコール依存は、治りませんでした。理性よりも、依存の衝動が勝ってしまうのです。
再び酒に溺れ、暴れて騒ぎを起こすようになります。住職も、これ以上は見過ごせなくなり、断腸の思いはありつつも、ドウコウさんに告げました。
「申し訳ないが……もう、これ以上うちでは、あなたの面倒は見られない」。
事実上の別れを告げられ、福厳寺で人生をやり直す道は、ここで閉ざされてしまいました。
元勝少年は複雑な気持ちを抱えつつ過ごし、1年ほどが経ったある日。お寺に1本の電話がかかってきました。

元勝少年が受話器を取ると、相手側からは、ひどく酔った声が聞こえてきます。
「もしも~し。へへ、オレが誰だかわかる~?」
「誰か、なんて。そんなの、ちゃんと名乗って貰わなきゃ、わからん」。
元勝少年はドウコウさんと知りつつ、酔っぱらいのノリには合わせず、少し突き放すように答えました。
「またまた~。そんなこと言って、本当はわかってるくせに~」。
同じような電話が以降も、1年に数回ほどかかってきました。なぜか毎回、自分からは名乗らず「誰だかわかる?」と、聞いてきます。
その声には、どうしようもない寂しさが滲んでいました。以前のように「ドウコウさん」と、呼んで欲しかったのです。
しばらくすると、電話はかかって来なくなりました。以後ドウコウさんがどうなったのか、伝聞も含めて知ることはなく、それが結果的に最後の別れとなりました。
人間が持つ2つの可能性
元勝少年は以後の人生において、お酒を飲まなくなりました。体質的に飲めないのではなく、心が受けつけないのです。
ドウコウさんのように、本当は素晴らしい人の人生が、崩れていく様子を、目の前で見てしまったからです。
同時に自身も含めて、どのような人であれ善にも悪にも、ふとしたきっかけで傾いてしまう。それが人間なのだと、学んだのでした。
それから、数年が経ったある日の夕方。元勝“青年”は法事の帰り道、地元の住宅街を歩いていました。陽はほとんど落ちかけ、電信柱や家々の姿がシルエットになっていきます。
どこからともなく夕飯の香りが漂い「ああ、この家はカレーライス。こっちはブリの照り焼きかな」などと、夕飯のメニューが、自然と浮かんできます。

ふと、ある家の塀の向こうから、テレビの音が漏れ聞こえて来ました。国民的な長寿番組、『笑点』のテーマ曲が流れています。
チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャン♪
いかにも愉快なメロディーを耳にした途端、思い出なのか、空想なのか、元勝青年の心はどこかの劇場に飛んでいました。
舞台にはたくさんの赤い提灯が飾られ、正面はスポットライトで明るく照らされています。まん中には紫色の座布団が置かれ、1人の落語家が正座をしていました。
それは元勝青年の幼稚園時代、誕生日に落語を披露してくれた、あの日のドウコウさんでした。
『お前さん、ちょいと聞いちゃあくれねえかい』
『そしたら若ダンナ、驚いたのなんのって、腰を抜かしちまいまして』
「ふっ、ふふふ」「あっはははは」
『・・どうやら、おあとがよろしいようで』。
心の奥にある、小さな劇場。そこでは軽快なお囃子や笑い声、大勢の拍手がいつまでも、いつまでも木霊していました。
≫第5話に続く
※イラスト:和田幸子
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大愚和尚の半生を描く物語、次回の配信もどうぞお楽しみに。
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