令和6年1月1日、石川県能登半島に甚大な被害をもたらした能登半島地震。そして同年9月、再び大規模な被害をもたらした奥能登豪雨。あれから約2年が経ちましたが、復興はどれくらい進んでいるのでしょうか。
このコーナーは、石川県能登町の出身で、ご自身が住職をつとめるお寺が大きな被害を受けた、福厳寺の副住職・雄興知哲さんの視点を手がかりに、「寺町新聞」の編集部員が能登のいまをお伝えしたいとスタートさせました。故郷を愛する知哲和尚の思い出とともにつづる能登の旅に、さあ、あなたもご一緒しませんか。
引き裂かれた元日の団らん
「それでは行ってきますね」。
そういって、玄関で見送る先代ご住職のお父さまに声をかけ、自坊(じぼう:住職を務めるお寺)をあとにした知哲和尚。
その日は朝から青空が広がる、まさしく初晴(はつばれ)の日和。ときおり吹き上げる北陸特有の冷たい風にも、心身を引き締めてくれる清々しさが感じられました。
毎年、大晦日には自身が住職をつとめる能登町の古刹(こさつ)「太盛院(たいせいいん)」で、一年を締めくくる知哲和尚。翌元旦には、檀家さんからのご挨拶を受ける、新年最初の儀式を厳かに勤められます。そして、ひと段落がついた昼過ぎに、お母さまのご実家がある金沢へ向かわれ、そこで一泊。翌日、福厳寺(愛知県小牧市)に戻るというのが例年の流れとなっていました。
その年も、午後2時過ぎに太盛院を出て、車を1時間半ほど走らせ、お母さまのご実家に到着。「着いたよ〜」の声は笑顔で迎えられ、なかからテレビ番組『笑点』の楽しげなテーマ音楽が流れてきました。
「あ、『笑点』をやっているのか、久しぶりに観ようかな」。そう思いながら、知哲和尚が茶の間に入ろうとしたときでした。
突然、ものすごい音量で、アラート(緊急地震速報)が鳴り響き、家のなかが騒然となりました。でも、これまでもたまに誤報で鳴ることがあったので、今回もそういう類かな?
と思った次の瞬間です。足元がグラ〜っと揺れて、立っていられないほど。「これは尋常じゃない」と、とっさに身をかがめ、揺れが収まるのを待ちました。
令和6年1月1日午後4時10分に発生した、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6、最大震度7の地震。
「実際はそう長くはなかったかもしれませんが、体感としては1分半ぐらいの揺れに感じました」。その揺れが収まって外に出ようとすると、また次の揺れが襲ってきました。
その後も揺れは小さくなりつつも、断続的に続きます。そうこうするうちに、けたたましい警報音が。
津波が来るかもしれない! お母さまや叔母さまをつれて、すぐさま近所の方と一緒に高台に避難した知哲和尚。しばらくし、状況が収まったところで、自坊にいるお父さまに電話しました。
「父はものすごく気が動転していて、『大変なことになった、もう終わりだ〜』と悲嘆するばかり。私も動揺していましたが、『しっかりしてください』と励ます以外にありません。何度もそういったやりとりをしたことを覚えています」。

外とのつながりが、なぜ希薄になるのか
「太盛院にはすぐに帰ろうと思ったのですが、道が凹凸にうねっていて、車が通行できません。さらに、ほどなくして、自衛隊の車が被災地に救助に向かうため、一般車両は安全確認ができるまで走行を控えるようにといわれてしまって……」。少し様子見に車を走らせたところ、大渋滞が発生していて、断念せざるを得ませんでした。
「父に電話したら、避難所に身を寄せていて安全だし、お寺はあちこちが崩れていて危ないので、帰ってこなくていいといわれました。それで、泣く泣く小牧(福厳寺)に戻ることにしたのです」。何もできなかったことが申し訳なく、悔しかったと、知哲和尚は当時を振り返ります。
そんな知哲和尚が、お父さまとようやく対面できたのは、震災当日から約1カ月が経ってから。お父さまは、避難所生活を2週間ほど続けたのち、まだ余震はあるものの、状況がずいぶんと落ち着いたからと自宅に戻られていたそうです。
見慣れたはずの能登の風景は、至るところで建物が崩れていたり、屋根がブルーシートで覆われていて、1カ月前までとは様変わりしています。道路も各所で復旧工事が行われているため、ふだんなら金沢から1時間で行ける道のりに、5時間から6時間かかってしまいます。
それでも、1カ月ぶりにようやくお父さまと再会できた、その喜びは格別です。お父さまが元気を取り戻され、本堂再建に向け尽力されている姿には、胸が熱くなったといいます。
お寺の震災による被害は決して小さくなく、境内ではお墓や灯籠など、石造りのものはすべて倒壊したほか、住職らが生活する庫裡(くり)でも、壁が割れたり穴が空いたりしていたそうです。
「それでも太盛院が建つ場所は地盤が硬かったのか、被害はそれほど深刻でなくすみました。おかげさまで、1年経った頃にはお寺の機能は回復しています」。
能登は横のつながりが強い、関係性をすごく大切にする地域。近所の方々の助けや支えがあったからこそ、太盛院の復興は可能になったと知哲和尚は語ります。

また、能登の人には自給自足の精神が根づいていて、自身の創意工夫で難局を乗り越えようとするたくましさも備えています。
しかし、そのためか、外部のつながりが、得てして希薄になりがちだと、知哲和尚は危惧します。
「能登の復興は、まだまったく先行きが見えません。正直、あまり進んでいないと感じています」。
能登には幹線道路が1本しかなく、アクセスがしづらい点も、復興がスムーズにいかない原因のひとつだと指摘します。
確かに、ニュースやドキュメンタリー番組などで、能登の現状を時折目にしますが、本当のところどうなのか、どこまで進んでいるのか、私たちは正直、わかっていないのかもしれません。
もちろん、自然災害の被害に見舞われているのは、能登だけではありません。でも、実際に能登で目にしたものは、他の被災地域の状況を考える上でも、役立つものがあるように思うのです。
大切なのは、被災した地域のことを忘れないこと。そう、「能登を忘れない」です。そのためには、まずは能登についてもっと知っておきたい、能登の素晴らしさを、もっともっと教えて欲しい!
そんな、はやる思いから、知哲和尚に聞いてみました。
「知哲さんにとって、思い出深い、能登のお好きな場所はどこですか?」
そんな質問に、真っ先に挙げていただいたところがここでした。
「和倉温泉に行ってみてはどうですか?」
次回は、そうした言葉を受けて足を運んだ、和倉温泉のお話をお届けします。そこには、被災にあえぎながらも、力強く生きる人たちの姿がありました。


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