➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出会いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
ベイエリアの日系人コミュニティーの集まる秋祭りと、日系人のジャズバンドOTONOWAから、アメリカで生きる日本文化と日系人について語っています。(第58話『声にならない声を聴く』)はこちらからご覧ください。
日系スーパーに息づく「帰る場所」
心が触れ合う場所
わたしの住む北カリフォルニアのベイエリアのひとつ、イーストベイエリアには、いくつかの日系スーパーがあります。そして、その周辺には、時代を超えてつながってきた日本人コミュニティが存在します。
今回ご紹介したいのは、そのなかのひとつのコミュニティです。そこには、懐かしさと愛らしい響きをもつ、「八百屋(やおや)さん」という名前の日系スーパーがあります。
この日、その店を訪れた目的は、30年以上続いてきた古本市が店じまいを迎えると聞いたからでした。
月に一度、店舗の前で開かれてきた古本市は、本が並ぶだけの場所ではありません。
それは、日本語を話す人々の憩いの場であり、ここで偶然誰かと再会し、近況を語り合い、ときには誰かの悩みに耳を傾ける、ささやかだけれど温かい集会所のような場所でした。
30年以上、この古本市のリーダーを務めてこられたYさんは、ほほ笑みながら、
「長いようで、あっという間でしたねぇ。」
当時、日本語の本は貴重で高価だった時代。皆が持ち寄り、小さく始まった古本市は、やがて地域に欠かせない場へと育っていきました。
そしてその活動を支えてきたのが、イーストベイエリアに拠点を置き、日本語を話す人同士の交流と相互支援を目的としたNPO団体「ひまわり会」です。
日本文化をきっかけに助け合いながら生きる。そんなあたたかい理念のもと、古本市は地域の心の拠り所として続けられてきました。
私は10月の回に訪れましたが、翌月の閉店には伺うことができませんでした。
それでも、最後を前に本を抱えて集まった人々の姿、Yさんに向けられる深い感謝の言葉、思い出話に笑い合う光景のあたたかさは、きっと11月の最終日にも変わらずあったのだろうと思います。

「来てくれて嬉しい」、その思いが灯したもの
古本市は単なる売買の場ではありませんでした。
「最近どう?」「久しぶりね!」そんな言葉を交わせる場所。誰かの孤独をそっとほぐし、遠い異国でも “つながっている” と感じさせてくれる場所。
閉店が決まり、最後の3か月間は好きなだけ無料で本を持ち帰れることになりました。
店の前で本を抱えた人たちは、Yさんをはじめ、長年関わってきたボランティアスタッフの方々に感謝を伝えながら、「ここで本を買って孫にプレゼントしたねぇ」「さみしくなるねぇ」「おつかれさまでした」と思い出話に花を咲かせていました。そのあたたかい光景に、言葉にできない感動が胸に広がりました。
そこにはまるで、積み重ねてきた時間の重みと、そこに宿った数えきれない出会いと別れが映っているようでした。
私の突然の取材のお願いにも、Yさんは快く応えてくださり、さらに昼食には古本市スタッフ恒例のカレーライスまでご馳走になってしまいました。
初対面なのに、まるでずっと前から知り合いだったような安心感。それは、長年ここに築かれてきた「場」の空気がなせるものなのでしょう。

そっと寄り添う「見守り」の文化
食事を終え、八百屋さんの店内に戻ったとき、ふと耳に届いた会話に、私は思わず足を止めました。
買い物に来ていた年配の男性に、店員の方が優しく声をかけていたのです。
「何かほかに必要なものありますか? お稲荷さんを今日も入れましょうかね?」
「今夜、ご飯をつくりに行きましょうか?」
アメリカで暮らす日本人移民の方々が、老後をどんなふうに過ごしているのか…それは長いあいだ、私の胸の奥に引っかかっている問いでもありました。
勇気を出して、店員さんにそっと聞いてみました。「ここでは介護やヘルパーの役割も担っているのですか?」と。
返ってきた答えは、
「多くの方が長年のお客さんで、顔は知っていても名前までは知らないんです。でも、来てくれることで安否確認になるんですよ。ちょっと心配だなと思う方もいるけれど、プライバシーを思うと、どこまで踏み込んでいいのか迷うんですよね」。
介護制度でもボランティア制度でもない。誰かが義務的に担っている役割でもない。制度として整っているわけでもない。
けれど、確かにそこに「見守り」があることに、胸が熱くなりました。
ただ「今日も元気かな」「また来週も会えるといいな」そんな祈りのような思いが、この場所には息づいているようでした。

「老い」を生きるために必要なもの
ふと、老いていくことに思いを馳せました。仏教でいうところの四苦八苦のひとつである「老い」。人が老いていくというのは、身体が弱っていくことだけではありません。
誰かに忘れられる不安、ひとりになる恐怖、役割を失う痛み。
それらを抱えながら、それでもなお生きていく私たちに必要なのは、派手な励ましや専門的な技術だけではないのです。
ふと誰かが声をかけてくれること。「また会えて嬉しい」と思ってもらえること。自分の存在が、小さくても、ちゃんとどこかにつながっていると思えること。
そのすべてが、人の心にとってどれほどの支えになるのか…私はこの小さなスーパーで、それを改めて教えてもらったのです。

受け継がれる灯火
店を出るとき、Yさんはこんな言葉を残してくださいました。
「ここに来れば、だれかが笑ってくれる。いつもの笑顔にも新しい笑顔にも出会える。だから続けてこられたんですよ。いつかまた、誰かが再開してくれたらいいですね」。
その言葉は、30年間灯し続けたランプのよう。人を照らし続けてきた灯火です。
それはこれまで、遠く離れた異国の地で、懸命に生きてきた日本人の心のなかを、確かにあたためてきた光なのだと感じました。
そして、その光は、古本市がなくなったいまも、人と人とをつないでいるのです。
次回は、今年最後の投稿です。1年ぶりに日本へ帰省して感じた日本文化と日本人。長い海外生活から感じる「やっぱり日本文化はすばらしい!」について語っていきたいと思います。(更新は12月22日夜7時)
記事の一覧はこちら
(感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)


コメント