➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出会いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
アメリカでの静かな年越しを迎えるなかで、感じたこと、今年意識していきたいことについて書いています。
老いと桜に、揺れる心を移して
河津桜の下で、老いと向き合う
早いもので、あっという間に2月も終わろうとしています。この記事がみなさんのもとに届くころには、もう3月。季節は確実に移ろい、私たちの身体も、家族の姿も、同じように移ろっていきます。
実は先日、2週間ほど帰省しておりました。目的は、老いゆく母のこれからを見据え、医療従事者や介護福祉に携わる方々と、具体的な話し合いを重ねること。検査の段取り、今後起こりうる変化、在宅か施設か、経済的な見通し――現実的で、ときに胸の奥がきゅっと締めつけられるような話題に、寂しさや悲しさ、そして心が緊張し頭がフル回転するような感覚を持ちました。
けれど、その合間に、満開の河津桜(カワヅザクラ)を見ることができました。

およそ20年ぶりに、母と並んで桜を見上げました。土手沿いは大勢の人でにぎわい、露店の甘い香りが漂っています。私たちはお団子を頬ばりながら、ゆっくりと歩きました。
母の歩幅は、かつてよりも小さく、足取りも慎重です。時折立ち止まり、「きれいねえ」と少女のように無邪気に喜ぶ姿が印象的でした。
けれど、その愛おしい時間の裏側で、私は自分の未熟さとも向き合っていました。
同じことを何度も尋ねる母。さっき説明したばかりの予定を忘れてしまう姿。心配のあまり不安を何度も口にする様子。頭では老いゆえだと理解しているのに、私はときにいらだち、つい語気を強めてしまうのです。きつく当たった直後、自己嫌悪が押し寄せます。
仏教には「無我」という教えがあります。自分自身も自分の思い通りにならない存在であり、固定した“私”などどこにもない。ましてや、子どもや親が自分のものであるはずがない――。
その言葉を思い浮かべながらも、感情は簡単には整いません。
「こうあってほしい」という私の期待が、母の現実とぶつかるたびに、心は波立ちます。わかっているのに、受け止めきれない。折り合いのつかない思いに揺れ動き、帰省の終盤には、どっと疲労感を覚えました。
仏教では「諸行無常」と説きます。すべてのものは移ろい、同じ姿にとどまることはない。
頭ではわかっているはずなのに、母の老いに直面すると、私はどこかで「変わらないでいてほしい」と願っている自分に気づきます。けれど、桜もまた、咲き、散り、葉を茂らせ、やがて枝だけになる。その循環こそ自然の流れであること。それを自分に言い聞かせ、感じながら桜を見上げていました。
変わりゆく国、変わらぬ郷愁
2月は航空券が比較的安い時期です。かつては閑散としていた空港も、いまやインバウンドの影響で大混雑。アジア系の顔立ちでも、耳に入るのは日本語ではない言葉。働く方々の抑揚からも多様な背景が感じられます。
夜到着の便だったため、いつものように空港近くのホテルに一泊。コンビニでおにぎりひとつと、毎回の楽しみであるコーヒーゼリーを買い、部屋でほっとひと息つきました。
店頭に並ぶメニューには欧米風のものが増え、日本の食卓も確実に変わっています。そんななか、私は滞在中、自然と和食を選んでいました。年齢を重ねるとは、経験や考え方が外へ広がると同時に、自分のルーツへ戻ることなのかもしれません。

側(はた)を楽にするということ
今回の帰省は、病院と役所を何度も往復する日々でもありました。
日本の医療機関のていねいさには、改めて胸を打たれました。私はアメリカから来ていること、滞在期間が限られていることを伝え、できれば母の検査から結果説明までをこの2週間で終えたいとお願いしました。アメリカでは、まず難しい要望です。時間外対応など、ほとんど期待できません。
ところが、日本の医師やスタッフは、可能な限り調整をしてくださり、検査結果をていねいに説明してくださっただけでなく、私が帰国するまでに整えておくべき手続きまで助言してくださいました。
遠方から通う負担も考慮し、近所のクリニックへの紹介状も準備してくださる。その一つひとつの姿勢に、思いやりの姿を見ました。
「働く」とは仏教の言葉で「側を楽にする」という意味からきているのだそうです。まさしく「慈悲」と結びつく言葉なのです。仏教の教えを知っているいないに関わらず、明らかに根づいている。医療や福祉の現場で出会った方々の姿に、まさにその実践を見た思いがしました。
もちろん、ぶっきらぼうに見える対応や、思わずカチンときた場面もありました。しかし、全体として流れている空気は、患者と家族を支えようとする誠実さでした。

優劣のまなざしと、心の整形
接客で感じた光と影
市役所でも驚きがありました。受付開始時間より少し早く着いたところ、時間前にもかかわらず対応してくださったのです。長年、時間にやや大らかな国に住んでいると、こうした正確さと柔軟さの両立に思わず感動してしまいます。
一方で、ホテルや空港などでは、別の変化も感じました。マニュアル通りの受け応えに終始し、想定外の質問には途端に笑顔が消える接客。さらに、明らかに日本人やアジア人客よりも、西洋人と思しき客を優先し、英語で満面の笑みを向ける姿も目にしました。
そこに、どこか外から持ち込まれた「優劣のまなざし」を見た気がしたのです。
国籍も、言語も、経済力も、人としての尊さを測る尺度にはなりません。しかし、私たちのほとんどが、比較や序列に染まって生きています。外からの文化だけでなく、内面に目を向ける必要性を感じました。
今回、東京で行われた大愚道場で大愚和尚が言われた言葉を思い返します。
「みなさんは、たくさんのお金を使って、目を二重にしたり、お化粧をしたり、外国に行ってまで外見を整えますよね。それは悪いことではありません。しかし、心の整形をして美しくなること、これができる場所が大愚道場であり、仏教の教えなのです。そして、それは外見の美しさとは違い、歳を重ねるごとに、しなやかに美しくなっていくことでもあるのです」。
若い頃は、その若さから醸し出されるエネルギーと美しさがあります。しかし、歳を重ねるごとに外見は変わっていきます。
そんななか、その人の人生を、その人そのものを映し出すのが、「目」であるといいます。その人の目に、人となりが出るというわけです。
果たして私はどんな目をしているのだろうか。そんなことを思い返していました。

桜のように、いまを生きる
老いは止められません。社会の変化も止まりません。混雑する空港も、多文化の街並みも、マニュアル化された接客も、すべては時代の流れの一部です。
けれど、そのなかで、口喧嘩をしながらも母と桜を見上げた時間は、かけがえのない「いま」でした。
病院の待合室でも、役所の番号札を握りしめる手のなかにも、そして桜の花びらが頬に触れる瞬間にも、仏教の教えがある。
そんな気づきをいただきながら、アメリカへの帰路についたのでした。
次回の投稿は3月30日(月)夜7時を予定しています。
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