逆境のエンジェル

逆境のエンジェル(第24話) アメリカの医療保険制度と差別

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 2016年に新たな大統領が選出された直後、夫が経験した、警察からの差別と嫌がらせや、筆者の心情を描いています。(第23話『アメリカで黒人として生きるとは』はこちらからご覧ください)

医療制度も複雑なアメリカ

 さて、今回はまた少し視点を変えて、医療保険制度の問題、それに伴う人種差別や格差について考えていきたいと思います。

 アメリカの医療制度は、その複雑さで知られています(詳しくはコラムをご参照ください)。

 アメリカでの保険加入は、一般的には、雇用主が提供するプランに加入するか、個人で直接保険会社から購入するかのどちらかです。もちろん、保険がなくても払える蓄えがあれば医療保険は要りませんが、それはごく一部の裕福層に限られた話で、一般的には、私たち夫婦のように、雇用主提供の保険プランに加入しています。

 個人で同じ保険に加入しようとすると、費用はかなり高額になります。たとえば、私たちが加入しているプランを個人で購入しようとすると、毎月およそ30万円ほど払っていくことになります。

 受診する病院も、実費で払うのでなければ、保険プランがカバーするところを選ばなければなりません。日本のように、任意の病院で診察を受けられるわけではないのです。それゆえ、適切な主治医や有能な専門医を見つけることは、そう簡単ではありません。

 私も、南カリフォルニアにいたときは信頼できる主治医がいましたが、北カリフォルニアに引っ越してからは、何度か主治医を変えました。しかし、まだ信頼できる医師には出会っていません。

救急車に乗ると7万円かかる!? 高額すぎる医療費

 アメリカにきた当初、私に深刻な病気があることがわかりました。医師からは新薬を開発中だからあと数年待つようにいわれ、その医師の言葉どおり数年後、薬が市場に出ました。

 しかし、できあがった新薬の価格は、なんと1サイクルの治療で500万円以上! 幸運なことに保険でカバーされたのですが、それでも、およそ月3〜4万円と驚くほど高額です。

 ただ、その新薬のおかげで完治したのですから、さすが最先端の医療を誇るアメリカ!と思わずにはいられませんでしたが。

 高額なのは薬だけではありません。救急車の利用や入院も高価で、救急車は1回乗ると3万〜7万円が相場。入院費用も医療保険に加入していなければ、1泊数千ドル(20万円以上)もかかってしまいます。

 それらに付け加えて、医療を受ける側の人種差別問題も深刻です。私はベイエリアに引っ越してしばらくしてから、次のような経験をしました。

それって、医療従事者としての態度なの!?

 まだ新薬が研究段階の頃、徐々に病気の進行を感じ、体調がすぐれない時期がありました。疲れやすく、体の数カ所に違和感を感じ、主治医に診てもらうことにしました。

 北カリフォルニアに引っ越して初めての病院訪問でした。

 そのとき主治医に、どこが調子悪いのかを述べるようにいわれ、3カ所の不調があるとまず断りをして、説明を始めようとしました。すると医師は私をさえぎり、「3つもいわなくていい、1つだけいいなさい。どこを一番見て欲しいの?」とトゲのあるいい方をしました。

 再度、1カ所を選ぶことは無理で、3カ所あることをもう一度いうと、その医師は意地悪く、1カ所だけだと繰り返します。私は体調が思わしくなかったこともあり、我慢の限界に達してしまいました。

 「1つだけならそういいますが、私には持病があり、最近3つの場所に違和感を感じるので相互関係があるかも知れないと思い、3カ所あるといっているわけです。転送されたカルテには、その病気のことが記載されているはずです」。

 さらに「患者が不安になっているときに、そのいい方は、医療に従事する人としてふさわしくないと思います!」と強い調子でいってしまいました…(苦笑)。

 そう発言したのは、この医師の態度は私が新しい患者で、英語になまりのあるアジア人であるためだとの確信があったからです。待合室でみた他の患者や看護師へのフレンドリーな態度とは、明らかに違っていました。ちなみに彼はラテン系のアメリカ人でした。

 私の言葉に医師は驚いたような表情をみせ、最初よりはていねいに症状を聞いてくれました。しかし、私が診察室を出て真っ先にしたことは、主治医の変更を申し出ることでした。

 私が経験したこうしたことは、決してめずらしいことではありません。この国で生まれても、有色人種である以上は、医者であろうと政治家であろうと、なんらかの差別を受けて毎日生活しています。そんな抑圧のなか、自分よりも弱い者を邪険に扱ったり見下したりして、バランスを取ろうとする心の表れであったのでしょう。

 ここに、白人優位主義社会の縮図があることが見て取れます。

それでも向き合わなければいけないこと

 日本人の私たちは、ともすると、自分たちが白人に一番近い人種だと錯覚しがちです。しかし、実際には上記のような待遇を受けることは日常的で、それに気づかないふりをすることで、この文化に馴染み、必要以上に迎合しようとしているように感じます。

 そういう私も、実は思い当たるものがあります。

 私はアメリカで生活するなかで、これまでさまざまな差別や偏見を目の当たりにしてきました。たとえば、外出先での視線や無言の圧力。ときには露骨な差別的発言にさらされることもあり、そのたびに悲しさや悔しさ、やり切れなさを感じてきました。

 しかし、私自身、前述したような錯覚を持っていなかったかというと、ウソになりますし、恥ずかしながら、いまもどこかで持っている自分がいると感じています。

 ここでお伝えしたいのは、私はこれまでたくさん理不尽な思いをしてきたにもかかわらず、自分のなかにも相手を差別する気持ちがあったということです。そのことに気づかされるたびに愕然とし、自分を否定したくなります。

 でも、そんな自分から目を背けてはいけないと、いまは強く感じています。あるがままの自分をしっかりと見つめることが、この問題を乗り越える唯一の方法だと思うからです。

 この連載をお読みのみなさんにも、こうした問題に敏感になっていただきたいと願っています。人種差別をはじめとした差別一般は、決して他人事ではなく、私たち一人ひとりが向き合うべき課題であると思うのです。そして、この連載が、そうした問題を身近に感じていただくために、何かしらお役に立てればうれしく思います。

 次回は、この国で見られる医療差別の実態について考え、黒人の人々が医療に対して不信感を抱く歴史や、彼らが経験してきた抑圧の問題についても探っていきます。

第25話はこちら

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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その⑬

 日本では国民皆保険制度が確立しており、全国民が健康保険に加入しています。これにより、社会的地位にかかわらず、すべての人が基本的な医療サービスを受けられる仕組みになっています。

 一方、アメリカでは、民間保険会社による保険サービスの提供が中心です。メディケア(65歳以上の高齢者や特定の障害者向け)や、メディケイド(低所得者向け)などの公的保険プログラムも存在しますが、日本の国民皆保険制度とは違い、これらにも加入資格があって、全員がカバーされているわけではないのです。

 この問題に対処するため、オバマ政権下でアフォーダブル・ケア・アクト(通称:オバマケア)が導入され、保険未加入者の減少と保険料の抑制が図られました。しかし、現在、アメリカの人口の約8.5%が医療保険に未加入です。これは約28.6百万人に相当し、この割合は2023年の7.7%から増加しています。未加入の割合は今後も増加が予想され、2031年までには9.5%に達する見込みです。​

 この増加理由は、パンデミック中に増加したメディケイド登録が、経済の回復に伴い終了したことや、保険補助の変更や削減により保険料の負担が増えたことが影響しています。特に、低所得者層や一部の人種(ヒスパニック系やアフリカ系アメリカ人など)、特定の年齢層(若年成人など)では、医療保険に未加入の割合が高くなっています。こうした人々が保険加入を避けるのは、経済的理由のほか、情報不足、信頼性の問題などがあり、オバマケアが低所得者をターゲットにしているにもかかわらず、これらの障壁が未加入の割合を高めてしまっています。

感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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