逆境のエンジェル

逆境のエンジェル(第19話) 孔雀(くじゃく)との出会い

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 刑務所内の仕事にやりがいはあるものの、特異な職場環境に限界を感じ、ついに転職を決意する経緯について語っています。(第18話『職場を変えた理由』はこちらからご覧ください)

 

ユニークな環境に魅力を感じて

 私が新たに赴任した職場は、南カリフォルニアでも勤務経験のある司法精神病院です(第9話「アメリカでの生活」内の「犯罪容疑者が収容されている精神病院」をご参照ください)。この病院を志望したのは、自宅から30キロ、車で30分ほどという近さにありましたが、理由はそれだけではありません。

 1875年に開院し、現在運営されているなかでも最も古いこの州立病院は、かつては酪農や家禽(かきん)の牧場、野菜畑・果樹園などの農業施設を有し、自給自足で運営を成り立たせてきました。

 ワイン産業でよく知られ、広大なブドウ畑を有する地域にあるこの病院。敷地内には緑豊かなキャンパスが広がり、リス、鹿、七面鳥などの野生動物が多数生息しています。なかでも顕著なのは、野生の孔雀の存在で、それはこの病院のシンボルともいえました。

 豊かな自然に囲まれながら、患者と関わることができる…。そんな環境があることに、私は大いに魅力を感じました。

 さらに、この病院のリハビリテーション課が州内でも評判が高いことや、知人が働いている安心感も志望動機になりました。そして、地元で開かれたドラムサークルのワークショップで、リハビリテーション課の主任と偶然出会い、履歴書を送るよう勧められたことで、ここで働く決意が固まりました。

孔雀の求愛にビックリ!? 

 実際に勤務してみて、自然の恵みの豊かさは想像以上でした。ときおりオフィスの外から聞こえる、赤い帽子をかぶったドングリキツツキの、軽快なリズムで木をつつく音には、自然と笑みが生まれ、張り詰めた気持ちがほどけてきます。

 患者を外に連れ出す際も、これらの野生動物に遭遇することがあり、それが患者の感受性によりよい刺激を与えていると感じます。たとえば患者が口笛を吹きながら歩いていると、メスの孔雀が現れ、追いかけてきたり。オスの孔雀が私たちに羽を広げて、声高に求愛してくることもよくあります。

 孔雀については、おびただしい数が繁殖しており、オスだけで10羽以上、メスの孔雀ならおそらく30羽から40羽、もしかするともっといるかもしれません。 最初に目の前で羽を広げて、大声で鳴かれたときは、感動よりも驚きが先でしたが…、そんな姿に歓声をあげながら、にぎやかな散歩を楽しんでいます。

 ちなみに、コヨーテやマウンテンライオンが姿を見せる夏は、遭遇しないよう行動範囲を狭めるなど、対策を講じながら業務に当たっています。

どの病院とも違う、患者中心の職場

 職場では、さまざまな国籍の人が集まるカリフォルニア州の特徴を映し出すように、いろいろな人種が集まっていました。上層部や管理職に白人が多い傾向があるのは、この病院もほかのアメリカの企業や組織と同じでした。

 私自身も、人間関係のトラブルに見舞われました。初日から、看護師長に「以前の担当者がよかった」と面と向かっていわれたり、病棟の職員に挨拶をしても無視されることが多く、孤立感を味わうことがよくありました。

 しかし、そうしたことを差し引いても、この病院にはこれまでにない魅力がありました。それが、前述したリハビリテーション課のクオリティの高さです。

 この病院の独特な環境とセラピストたちの支援体制には、目を見張るものがありました。たとえば新しいセラピー・グループを立ち上げる際は、上司も一緒に参加し支援するなど、企画の成就に動いてくれる体制が構築されているのです。私が提案した楽器も、入職後すぐに購入許可がくだり、その迅速な対応には驚かされました。

 毎月、病院では特定のテーマに合わせてイベントを開催し、患者たちが外の世界とふれあう機会を設けていることも、他のどの州立病院とも違っていました。2月には黒人の歴史月間を祝うほか、6月はプライド月間(※)にちなみ、LGBTQ+のコミュニティーブースを立ち上げたり、病院内をレインボーの旗を持ってパレードするなどの活動も行なっています。

 これらは病棟の外に出られる安全性の高い患者たちが、自由に参加できるイベントです。企画する私たち職員は、ふだんの病棟での仕事に加え、イベントの準備に時間も体力も要しますが、患者の発表の場でもある大切なイベントであり、何よりも患者たちを笑顔にすることに、使命感を持ちながら取り組んでいます。

※ 毎年6月に世界各地で行われるLGBTQ+の権利を啓発するための活動期間

職員一丸となって支える一大イベント

 数あるイベントのなかでも、私が特に感動したのが、11月の感謝祭です。おもにアメリカ合衆国とカナダで祝われるこの祝日は、収穫を祝い、過去一年間の恵みに感謝する、伝統的なお祭りの象徴といえる日です。

 わが家でも、義父が結婚の祝福にと、先住民が感謝祭のごちそうとして作る、とうもろこしの粉を使った七面鳥の詰め物のレシピを伝えてくれましたが、それほど国民にとって特別な存在です(第13話の「異文化間結婚でのチャレンジ」をご参照ください)。

 病院においても感謝祭のイベントは、全職員が関わる大がかりなもので、2週間前から食事の準備が始まります。敷地内の大きなキッチンを借り、業務用の冷凍庫や鍋、オーブンなどを使わせてもらい、キッチンスタッフの指導のもと、およそ500人分の食事を作り上げていきます。1羽10キロほどある35羽もの七面鳥を洗い、味をなじませるために、一つひとつ手でソースをすり込んでいく…、そうした作業のすべてを職員が行います。

 イベント当日も、患者が招待した家族のために、食事の場を設け、配膳に奔走するなど、職員はさまざまな業務に追われます。私も一度、ある患者に頼まれて、子どものいる患者のフロアで折り紙を折る企画を行いました。

 料理が運ばれてくるのを待つ間に、家族そろって折り紙を折る。つかの間ではありますが、そこにはとても穏やかな時間が流れていました。

 なかには、久しぶりの再会に気まずくなり、口論になる家族もいますが、やはり家族と過ごすひとときは特別なもの。和やかなその様子には、見ているこちらも温かな気持ちに包まれます。

 患者も家族も、そして職員も、幸せな気持ちで満たしてくれる感謝祭。そうしたイベントの開催は、孔雀が闊歩し、さまざまな野生動物が行き交う、自然豊かな環境が間近にあるからこそ可能なのかもしれません。

 人々のなかに、優しく穏やかで、人間らしい気持ちを取り戻させてくれる…。感謝祭のイベントを通じ、そんな自然の力の偉大さに、改めて感謝せずにはいられませんでした。

 次回は、現在のアメリカ社会における経済格差がなぜ生じているのかを考察してみたいと思います。

第20話はこちら

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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その⑩

 ​​アメリカで毎年11月の第4木曜日に行われる感謝祭(Thanksgiving)は、国民を幸せいっぱいに包む祝日ですが、実はこの日、ヨーロッパからの移民(ピルグリム)とアメリカ原住民との悲劇的な関係に根ざしています。

 感謝祭の起源は、1621年にマサチューセッツ州プリマスのピルグリムたちが、収穫を祝う宴を開いたことに遡るとされ、そこには、アメリカンインディアン(ウォンパノアグ族)の人々も招かれたといいます。ピルグリムたちと原住民がともに祝い、食事を共有したとされるこの出来事は、現在、両者の友情と協力の象徴として語り継がれています。

 しかしこの話は、マサチューセッツ湾植民地の統治者ウィンスロップが、インディアンとの間の戦争や虐殺、略奪という暗い歴史を塗りかえようと、広めたものだともいわれています。実際、この伝統的な物語は、原住民において複雑な感情を引き起こしており、感謝祭はヨーロッパ人による土地の奪取、文化の抹消、そして先祖への非人間的な暴力の歴史を思い起こさせる日となっています。一部のアメリカ原住民は、この日を「国家喪の日(National Day of Mourning)」として、祖先が経験した苦難と失われた命を追悼しています。

感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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POSTED COMMENT

  1. SY より:

    「逆境のエンジェル」は、米国に長年住み暮らしている私が経験どころか想像したこともないような現実や文化的歴史的背景がたくさん紹介されていて、毎回学びが多く目から鱗が落ちる思いで拝読しています。米国社会が抱える問題は、程度の差こそあれ日本や他の国でも起きている問題です。仏教を学びながら、微力でも今日私に何ができるかを考えて実践していきたいと思います。続編を楽しみにしています!

    • エンジェル 恵津子 より:

      SYさん

      この連載を毎回お読みいただいて、ありがとうございます。そして、そう言っていただけてありがたいです。

      私も、この執筆を通してもう一度事実を調べ直したりと、大変良い勉強になっています。今後ともよろしくお願いいたします。

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