➤逆境のエンジェルとは
「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験、挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。
➤前回のあらすじ
初めての海外生活。見るものすべてが新鮮で、刺激的な日々を過ごしていた筆者でした。そんなある日、語学学校の同級生からの言葉にショックを受け落ち込みます。しかし、音楽療法士になる決意をして、資格取得に向けて突き進みます。(第6話『イギリス留学』はこちらからご覧ください)
自立に向けての挑戦
音楽療法士になるくわしい過程については、ここでは割愛させていただきますが、最初に入った学校では即興の試験に不合格となり、別の学校に編入して、音楽療法を学び直すこととなりました。
多くの方々のご指導や援助のおかげで、なんとか音楽療法士としての資格を取得することができました。
その後、仕事を探しながら、ホスピスでボランティアをしたり、個人宅でのセッション、ホスピスのためのファンドレイジング(※)コンサートの企画などを行いました。
※ 社会の課題解決や改善などを目的にイベントなどを通して資金を集める行為のこと
ほかにも、家政婦として掃除の仕事をしたり、現地校に通う駐在員の子どもたちの学習援助教員として働いたりしました。
地元アーティストたちのプロジェクトを手伝いながら、演奏活動を行ったこともありました。
ときどき子ども時代のトラウマや過去への恨みが甦り、「自分は価値のない人間だ」と思ったり、それを打ち消すように「絶対に負けるものか!」と強がってみたり…。
そんな不安定な精神状態のなかでも、ふとした瞬間に、高校の先輩からの言葉である「他人を思いやれる人に」や、ミッションスクールの教えである「慈しみ深く美しい人」を思い出し、苦しんでいる方々に心を寄せることで、世の中に貢献したいと強く思うようになりました。
ホスピスでの音楽療法
イギリス生活では、かけがえのない思い出がたくさんありますが、ホスピスでの音楽療法は、そのなかでも私に大きな影響を与えました。
ここでの音楽療法は、ライブ演奏や録音された音楽を用いながら、緩和ケアを目的にリラクゼーションへと導き、不安をやわらげ、精神的なサポートを行うことにありました。
また、それらの活動を通して、人生を振り返ったり、情緒を発散させるきっかけを作ることもありました。
You Got Me!
ある日、車椅子に乗った40代の男性が、セッションルームに来ました。離婚を経験し、オーストラリアには息子さんがいるとのこと。
彼には、がんの転移の痛みがあり、無理に元気を装おうとしているのか、言葉の端々が必要以上に強く発せられるのが印象的でした。
この日はリラクゼーションを目的とした、言葉と音楽によるセラピーを行うことになりました。
目を閉じて流れる音楽に身を任せながら、思い入れのある場所を想像してもらい、そこを歩き回ったり、出会う人と会話したりするように誘導。
音楽の後半部分では自由にイメージのなかで過ごしてもらいました。
音楽が終わると、彼は涙に濡れた目を開いて、私を見てひと言 、「やられたよ!」(You got me!)と、声をあげて泣きました。
イメージのなかで、離れ離れになっている息子さんとサッカーをしたのだそうです。実際には会えないけれど、音楽を通じて会えてよかった、と。
顔の表情はやわらぎ、体の痛みも心もち緩和したと感じたようでした。
そして、息子さんとの思い出や、病気に対する葛藤などを話してくれました。
感謝され、来週も絶対に来るからといって去りましたが、それが最初で最後のセッションとなりました。
2週間後、彼が亡くなったとの知らせを受け取りました。
この一度きりの関わりは、音楽の持つ癒しの力と、患者とセラピストの強い結びつきを実感できた、貴重な経験となりました。
そして、ホスピスでの仕事の責任の重さと、人の死に直面する恐怖や辛さを同時に感じ、いずれ訪れる自分自身や親、愛する人たちの死を考えるきっかけにもなりました。
自立への焦り
イギリスでの生活は、ホスピスでの経験や援助教員の仕事、地域との交流など、人間関係に恵まれた、とても充実したものでした。
しかし、同級生や友人の結婚、子どもの誕生報告、現地での恋愛を目の当たりにすると、自分の障がいを理由に、結婚や恋愛に対する焦りや妬みを感じることもありました。
それは、自分自身を恨むような、悲しみの感情につながりました。いま思い返すと、そのようなネガティブな考え方が、縁を遠ざけていたのだと思います。
イギリスへ来た当初の目的は自分探しでしたが、居場所が探せたのかといえばそんなことはなく、その考え自体が甘かったことを痛感させられました。
何よりまず、生活の基盤を築かなければなりません。私は音楽療法士として生計を立てていくことに難しさを感じ、援助教員のパートタイムの仕事に重点を置くようになりました。
そして、ついにパートタイムの契約が終わるとき、正社員としてのオファーをいただいたのです。
これで、経済的に完全に自立することができる! 親を安心させられると思い、大きな喜びを感じていました。
しかし、人生は山あり谷ありといいますが、私の場合、まさにその谷底に突き落とされるような出来事がこの直後に起こりました。
次回は、せっかくの正社員の仕事が始まると思っていた矢先、思わぬピンチに立たされます。さて、筆者の人生は今後どのようになっていくのでしょうか。
第8話はこちら
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(感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)
すごいパワフル…!すごいぐんぐん突き進んでいく姿に心が揺さぶられる。。。!
若いときって私もいろいろくらいついたなあと思い出しながら第7話読ませてもらいました。
恵津子さんにはとても叶わないけど、なんだか若い頃の自分が懐かしくなりました。不思議。
恵津子さんは今もパワフルですか?
Zちゃんさん
コメントありがとうございます。若い時は怖いもの知らずで勢いで進んでいくときがありますよね。Zちゃんさんもいろいろと挑戦されてましたよね。
パワフルですか?自分ではよくわからないですが、確かに、何かを掴もうとがむしゃらになって、毎日奮闘していた感覚があります。
今もパワフルかというと…。どうなのでしょう?年とともに少しは落ち着いたと思いたいのですが(笑)
いつもありがとうございます!
今回のお話がイギリスでの何年分かわかりませんが、とても多くの貴重な経験を積まれたのですね。きっと書ききれないくらいたくさんあったと思います。悲しいけれど印象深い車椅子の男性のお話では、音楽療法のひとつの具体例として、何がどういう流れで行われて、どういう効果を与えるのかが、ほんの少しですが理解できた気がします。
「谷底に突き落とされるような出来事」という予告で、来週の第8話がもう今から待ちきれないです!
SYさん、
コメントありがとうございます。音楽療法士になって3年間ぐらいの間の出来事です。イギリスには7年居ましたので。
多くの方と関わらせていただいたホスピスでのお仕事でしたが、音楽のパワーを見せられた強烈な経験として、あの男性のことはとてもよく覚えています。
そして、いよいよ第8話の公開間近です!お楽しみに!
いつもありがとうございます。
音楽と言うのは凄いものですね。こんなにも人を癒し救う力があるものだとは。
「音」それ自体は空気の振動であり実体のないものなのに、確かに人の心を揺さぶる力がある(実際に私自身音楽に癒され感動することが多いです(笑))
ではその心とはいったい何だろう、心の傷とはいったい何なのだろう、等々思いめぐらせながら楽しく拝読させていただきました。
次回も波瀾万丈の人生が描かれていくとの事。応援させていただきつつ、楽しみにしています。
ありがとうございました!
合掌
光洋さん、
コメントありがとうございます。
音楽のパワー、あの男性との出会いは、癒しとして使われた時の感動の瞬間でした。
そんな実態はないけれども、言葉の壁を超えて強く結びつける、そして時としてとても強い影響を与えるのですよね。
光洋さんも、音楽に癒されたり感動したりされた経験があるとのこと。それはどんな音楽だったのでしょうか?
心とは実態として見えないですが、その存在感をいつも感じています。
次回のお話、もうすぐ公開です!
いつもお読みいただきありがとうございます。
音楽療法を受けてみたい気持ちになりました。普段気づかない私の心の闇、ちょっとドキドキですが、その後の心がいかに動いていくか体験してみたいです。そして、人を理解出来たらと思います。お会いした時に、何故だかベラベラと一方的にお話をしてしまった私がいました。恵津子さんは、このお仕事に関わりご自分の心のケアはどの様にされてきたのでしょうか?
文末を読ませて頂くと、次のページを開きたいです。
ありがとうございました。
合掌
コスモスさん、
コメントありがとうございます。
心ってとても不思議なものだと思います。実態としては見えないのに存在感がありますよね。その時々でさまざまな色に変わっていきますしね。
私も、人を理解できたらいいなと思います。自分のこともまだまだ分かっていない部分もあるように感じています。
コスモスさんにお会いした時、たくさんお話しできて嬉しかったです。
今回、寺町新聞にこのような形で文章を書かせていただくことで発見したのですが、私は文章ではとてもおしゃべりになるようです(笑)対面では相手の方がお話してくださると嬉しいので、また、色々と聞かせてくださいね。
この仕事での自分のケアは、実はホスピスにいた時は、上手にできずに、人の死に直面することが苦しくなりました。そして、パートの仕事が忙しくなったのを機に退きました。イギリスでは、音楽療法士になった後でも、スーパービジョンを受ける義務があり、自分の苦しさや行き詰まりをその方に話したりして、バランスをとるようにはしていましたが、言いようのない悲しみや辛さがありました。
現在の職場はホスピスとは違った環境なので、ストレスに感じた時は、自分で思い入れのある歌を歌いながら、自分で泣いてスッキリしたり、和太鼓を患者や職員と叩いてスッキリしています。
次のお話は今夜更新です!
いつもありがとうございます。
えっちゃん、
たくさんの葛藤がある中で、いろいろな仕事をアクティブにされていたんですね。
ひとつひとつ、聞いて!
40代の男性の話しは、とても心に残りました。
恵津子さんに出会えなければ、音楽の導きによって息子さんとサッカーできることもなかったんですよね。
潜在意識にある彼の望みが最後叶ったような気がして悲しくも穏やかな気持ちになりました。
第8話もこのまま読み進めます!
追加のコメント失礼します。
文章が途中になっていました。
ひとつひとつ、聞いて!
↓
ひとつひとつ、聞いてみたい!
です
よろしくお願いします。
晶さん、
コメントありがとうございます!
あの時は若くてエネルギッシュで、とにかく毎日必死に何かを掴もうとしていました。
一番苦手だったお仕事は、実はお掃除をするお仕事でして。。。重い家具を動かしたり、ものを退けるのが苦手でした。それだけで、体力使い果たしたようになってしまっていました(苦笑)
ホスピスでの経験は受動的に聴く音楽アクティビティに秘められた可能性を感じさせてくれました。
いつも応援ありがとうございます!