逆境のエンジェル

逆境のエンジェル(第8話)強制退去からアメリカへ

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験、挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 音楽療法士になってからは、ホスピスでのボランティアや援助教員などのパートの仕事をしながら、イギリスでの精神的、経済的自立に向けて模索。パートの仕事から正社員として仕事のオファーがされ、自立に向けて確実に階段を上り始めたと思ったのでしたが…。(第7話『自立めざして』はこちらからご覧ください)

EU加盟国増加のしわ寄せ

 イギリスがEUに加盟していたのは、1973年から2020年の1月までです。

 私がイギリスにいた時期には、EU加盟国が15カ国から27カ国にまで増えました。2004年には10カ国、2007年には2カ国が加わりました。

 正社員としての仕事のオファーをいただいたのは2007年のことでした。この時期イギリスでは、経済的に貧しいといわれたポーランドやチェコなど、多くの東ヨーロッパ諸国がEUに加盟したことで、労働移民増加への懸念と危機感が高まっていました。このEUの移民問題が、後にイギリスがEU離脱した重要な一因になりました。

 イギリス政府は、非EU 外国人労働者の受け入れを厳しくする方法で、移民労働者のバランスをとり、国民の不安や怒りを緩和しようとしていました。その動きが強まりをみせ、私もこの影響を直接受けてしまったのです。

労働許可の条件

 当時、イギリスで移民として就労するには、いくつかの条件を満たす必要がありました。

 まず第一の条件が、英国内で認可されたエージェントを通じ、スキルを要する仕事を提供されること。その仕事は、最低限の年収基準に沿った給与が保証されるものでなければなりません。

 さらに、その職は公開市場で募集されているものに限られ、イギリス移住権を持つ人々との平等な競争を経て、自身がより優れた候補であることを、移民局に証明することが求められます。

 これらの条件は、音楽療法士という仕事では、なかなか満たすことができません。一方、日本の駐在員の子女と関わる援助教員なら、この条件をクリアすることができました。日本人であり、教員資格のある私にとって、まさに願ってもないチャンスが到来したのです。

 会社側も、移民プロセスにおける複雑な書類の準備を、弁護士の指示に従って、ていねいに行ってくれました。いよいよ移住権が獲得できる! 私の気持ちは高ぶりました。

強制退去

 しかし、あろうことか、それまで一度も、移民の就労ビザ申請で敗訴したことがなかった弁護士が、私のケースで初めて敗けてしまったのです。

 現地の友人たちは地元の政治家にはたらきかけ、著名運動や新聞記事への投稿を行って、結果を覆そうとしてくれました。弁護士も再申請をはかってくれましたが、結局、国からの正式な通告により、仕事の継続と移住許可を剥奪され、1カ月以内にと、日本への退去命令が出されたのです。

 その状況はまるで、奈落の底に突き落とされたようなものでした。家族同様に付き合いのあった方々との別れはとても辛く、泣く泣く荷物をまとめ帰国の途に就きました。

 やっと、精神的、経済的に自立できると思っていた矢先に、すべてが振り出しに戻ってしまったのです。帰国してからは、就職先の見通しや、社会への適応に大きな不安を感じ、日本社会のイヤな面ばかりが目につきました。支えてくれた両親に対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

拾う神あり

 帰国後、逆カルチャーショックと一時的なうつ状態に悩まされました。イギリスを懐かしく思い、現実を受け入れることを拒否していたのです。しかし、いつまでも泣いてばかりでは何も変わりません。両親のもとで生活しながら仕事を探し、イギリスでの経験をSNSにも書き込みました。

 すると、アメリカ在住の日本人音楽療法士から、カリフォルニアの司法精神病院で、音楽療法士を募集しているとの情報を得ました。

 はじめは疑いを抱きつつも、調べてみると本当に募集をしていることがわかり、いちかばちかで履歴書を送りました。そして、電話面接の結果、驚くべきことに採用され、アメリカへの渡航が決まったのでした。

 旅行としては訪れたことのあるアメリカでしたが、住むことは想像していませんでした。それが、イギリスから帰国して8カ月後、まさか生活することになろうとは!

 幸いだったのは、この募集が2008年に起きたリーマンショック前に行われたことでした。司法関係の精神病院が深刻な職員不足を抱えており、その結果、移民労働者の受け入れが可能になったのです。「捨てる神あれば拾う神あり」とは、まさにこのことです。私は人生の不思議な縁と転機を感じながら、この諺(ことわざ)をかみしめました。

 アメリカではきっと、自分の居場所を見つけ、自立して両親を安心させることができるはず! そう意気込んでいた私は、苦しんでいる人の役に立ちたいという思いと、自分も認められたいという思いから、なんとか前を向き、一歩を踏み出すことができました。

 次回からは、アメリカでの生活と、司法精神病院について。そしてある患者との出会いと、物語も新しい展開へと入っていきます。(3月18日夜7時更新予定です)

第9話はこちら

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感想、メッセージは下のコメント欄から。皆様からの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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POSTED COMMENT

  1. Kasumi より:

    日本からイギリスへ、イギリスから日本を経由してアメリカへ。波乱万丈、紆余曲折といった表現がぴったりくる、恵津子さんの冒険物語の続きを早速拝読しました。

    7年も住み暮らされた英国からの最後通牒は、何とも非情な仕打ちとしか言いようがないですね。でもそこは転んでもただでは起きない恵津子さんのこと。人生の試練をチャンスに変えるSNSの発信で「拾う神」を呼び寄せ、次の道を切り開かれたのはあっぱれ、お見事。

    むしろ、私としてはイギリス政府に感謝しないといけませんね。退去命令がなかったなら、お会いする機会に恵まれたとは思えませんから。諸行無常の波乗りサーフィン、えっちゃんがんばれ!

    • エンジェル 恵津子 より:

      Kasumiさん

      コメントありがとうございます。
      今思い返しても、あの時は若さと勢いで走り抜けましたが、やはりかなりショッキングな出来事でした。その証拠に、まだイギリスの再訪に足踏みしています(苦笑)

      しかし、大愚和尚もよくおっしゃるように、「ありえねー」ありがたいご縁の積み重ねで、自分の人生が繋がっているのだと痛烈に感じました。

      そして、諸行無常、本当に、変わらないものは何もないですし、いつ変化が起きるかはわからないものですね。そして、その変化があって、kasumiさんともお知り合いになれて、こうして文章も書かせていただいてるのですものね。

      いつも暖かいメッセージと応援ありがとうございます!

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