➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、異文化のなかで感じる違和感、人とのすれ違い、老いや心の揺れ、ときには自分自身の失敗を通して、「人はどうすれば、思い通りにならない人生をよりよく生きられるのか」を考えます。仏教の教えも交えながら、日常のなかにそのヒントを探す連載です。
➤前回のあらすじ
音楽療法士になってからは、ホスピスでのボランティアや援助教員などのパートの仕事をしながら、イギリスでの精神的、経済的自立に向けて模索。パートの仕事から正社員として仕事のオファーがされ、自立に向けて確実に階段を上り始めたと思ったのでしたが…。(第7話『ホスピスの音楽療法で知った、人生の最期に音楽ができること』はこちらからご覧ください)
EU加盟国増加のしわ寄せ
イギリスがEUに加盟していたのは、1973年から2020年の1月までです。
私がイギリスにいた時期には、EU加盟国が15カ国から27カ国にまで増えました。2004年には10カ国、2007年には2カ国が加わりました。
正社員としての仕事のオファーをいただいたのは2007年のことでした。この時期イギリスでは、経済的に貧しいといわれたポーランドやチェコなど、多くの東ヨーロッパ諸国がEUに加盟したことで、労働移民増加への懸念と危機感が高まっていました。
このEUの移民問題が、後にイギリスがEU離脱した重要な一因になりました。
イギリス政府は、非EU 外国人労働者の受け入れを厳しくする方法で、移民労働者のバランスをとり、国民の不安や怒りを緩和しようとしていました。
その動きが強まりをみせ、私もこの影響を直接受けてしまったのです。
EU拡大と外国人労働者を取り巻く変化
私がイギリスで正社員としての仕事を提示されたのは、2007年のことでした。
当時のEUでは加盟国が拡大し、人や労働者の移動が活発になっていました。2004年には中東欧を中心とする10か国、2007年にはさらに2か国がEUへ加盟しました。
イギリス国内では、EU加盟国からの労働者の増加をめぐり、移民や雇用への関心が高まっていました。
一方、日本人である私はEU圏外の出身者だったため、イギリスで働き続けるには、雇用主を通して就労許可を得る必要がありました。
当時の制度では、雇用主側が、その仕事に必要な技能や給与の妥当性に加え、イギリスやEU圏内で適任者を採用できなかったことを示す必要がありました。
音楽療法士として働く場合には、こうした条件を満たすことが難しい状況でした。
しかし、日本人児童の学習を支援する仕事であれば、日本語力と日本の教員資格を持つ私には可能性がありました。
会社も弁護士の指示を受けながら、就労許可のための複雑な書類を準備してくれました。
「これで、イギリスに残り、正社員として自立できる」
私は大きな期待を抱いていました。

突然の帰国
しかし、就労許可の申請は認められませんでした。
それまで多くの申請を扱ってきた弁護士にとっても、予想外の結果だったようです。
現地の友人たちは、署名を集めたり、地域の関係者へ働きかけたりして、結果を変えようとしてくれました。
弁護士も再度手続きを試みてくれましたが、最終的には、仕事を継続するための許可を得ることができませんでした。
そして私は、1か月以内にイギリスを離れるよう求められました。
その知らせを受けたとき、奈落の底に突き落とされたように感じました。
家族同様に付き合ってきた人たちとの別れはつらく、泣きながら荷物をまとめ、日本へ帰国しました。
ようやく精神的にも経済的にも自立できると思っていた矢先に、すべてが振り出しへ戻ったように感じました。
失意の帰国からアメリカへ
帰国後は、イギリスで築いてきた生活を失った喪失感から、現実を受け入れることができませんでした。
日本社会になじめるのか、仕事を見つけられるのかという不安もあり、気持ちが深く落ち込みました。
支えてくれた両親にも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しかし、いつまでも泣いているだけでは何も変わりません。
両親のもとで暮らしながら仕事を探し、イギリスでの経験や音楽療法の仕事について、インターネット上でも発信しました。
すると、アメリカで働く日本人の音楽療法士から、
「カリフォルニア州の精神医療施設で、音楽療法士を募集している」
という情報をいただきました。
最初は半信半疑でしたが、調べてみると、本当に求人が出ていました。
「今の私に失うものはない」
そう思い、思い切って履歴書を送りました。
電話面接を受けた結果、驚くことに採用が決まり、アメリカへ渡ることになったのです。
旅行で訪れたことはあっても、アメリカに住むことなど、それまで考えたこともありませんでした。
イギリスから帰国して8か月後、私は新しい人生へ踏み出すことになりました。
イギリスを去らなければならなかったときには、人生のすべてを失ったように思いました。
しかし、その出来事がなければ、アメリカでの仕事に出会うこともなかったでしょう。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
人生は、何がきっかけで次の道へつながるのか分からないものです。
苦しんでいる人の役に立ちたいという思いと、自分自身も社会に認められたいという思いを胸に、私はもう一度、前を向いて歩き始めました。
次回からは、アメリカでの生活と、仕事について。そしてある患者との出会いと、物語も新しい展開へと入っていきます。
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コメント
コメント一覧 (2件)
日本からイギリスへ、イギリスから日本を経由してアメリカへ。波乱万丈、紆余曲折といった表現がぴったりくる、恵津子さんの冒険物語の続きを早速拝読しました。
7年も住み暮らされた英国からの最後通牒は、何とも非情な仕打ちとしか言いようがないですね。でもそこは転んでもただでは起きない恵津子さんのこと。人生の試練をチャンスに変えるSNSの発信で「拾う神」を呼び寄せ、次の道を切り開かれたのはあっぱれ、お見事。
むしろ、私としてはイギリス政府に感謝しないといけませんね。退去命令がなかったなら、お会いする機会に恵まれたとは思えませんから。諸行無常の波乗りサーフィン、えっちゃんがんばれ!
Kasumiさん
コメントありがとうございます。
今思い返しても、あの時は若さと勢いで走り抜けましたが、やはりかなりショッキングな出来事でした。その証拠に、まだイギリスの再訪に足踏みしています(苦笑)
しかし、大愚和尚もよくおっしゃるように、「ありえねー」ありがたいご縁の積み重ねで、自分の人生が繋がっているのだと痛烈に感じました。
そして、諸行無常、本当に、変わらないものは何もないですし、いつ変化が起きるかはわからないものですね。そして、その変化があって、kasumiさんともお知り合いになれて、こうして文章も書かせていただいてるのですものね。
いつも暖かいメッセージと応援ありがとうございます!