➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、異文化のなかで感じる違和感、人とのすれ違い、老いや心の揺れ、ときには自分自身の失敗を通して、「人はどうすれば、思い通りにならない人生をよりよく生きられるのか」を考えます。仏教の教えも交えながら、日常のなかにそのヒントを探す連載です。
➤前回のあらすじ
大学時代は、12年間の小・中・高生活での抑圧をふりほどき、それを埋めるかのように、さまざまな活動に参加しました。しかし、卒業間近になって将来が不安になり、次の進路に悩みはじめます。そして筆者は、救いを求めるように、自分探しのためのイギリス留学を決意しました。(第5話『障がいを受け入れられなかった私が、イギリス留学を決めるまで』はこちらからご覧ください)
憧れの外国生活
イギリスでの日々は、文化の違いや新しい刺激に満ちていました。特に、ホームステイ先で出される食事には驚きの連続でした。
日本では考えられないほどの、ゆで過ぎ・焼き過ぎの食文化は、話には聞いていましたが、本当に、ただ水からゆでただけの非常に柔らかいジャガイモやキャベツが、毎日のように食卓に登場するのです。
それでも、それらにグレービーソースをかけた料理は意外と私の好みで、なかでも日曜日のローストビーフが添えられたサンデーディナーは、すっかり私のお気に入りになりました。
そして、なんといっても紅茶が安くて美味しいのです! ビスケット(クッキー)やスコーンなどと一緒にいただき、1日に何杯も飲みました。
週末には地元の習慣にならって、同級生たちと一緒に近くのパブを訪れました。
そこで、炭酸入りレモネードやジンジャーエールとビールを半分ずつ混ぜ、最も小さなグラスに注がれたシャンディを片手に、ジュークボックスから流れる60年代の音楽に合わせ、近所の方々と踊ったり。
彼らが語る音楽についての雑学も、大変興味深いものでした。
時間を見つけては、安く行けるツアーやユーロスター(ロンドンから海底トンネルでフランスまで行ける電車)、コーチ(長距離バス)を使って、国内外の旅行も楽しみました。
訪れた先では、数々の歴史的建築物や地元の伝統料理と出会い、そのときの感動はいまも鮮やかに甦ってきます。
ホームステイ先での珍事
ホームステイ先は、ホストマザーと幼い二人の子どもが暮らす家庭でした。
普段は大きな問題もなく過ごしていましたが、家庭の事情から、思いがけない騒ぎに巻き込まれたこともありました。
ある日、家の窓ガラスが割れるほどのトラブルが起きたのです。
また別の日には、子どもたちを見ていた人が突然いなくなり、私が幼い二人を一人であやすことになりました。
一人は泣き叫び、もう一人は怒っておもちゃに八つ当たりをしています。
私は片言の英語と日本語で懸命になだめようとしましたが、かえって泣かせ、怒らせてしまいました。
ホストマザーが帰ってきた頃には、私も子どもたちも疲れ果てていました。
三人でソファに肩を寄せ合い、テレビを見ていた光景は、今となっては懐かしい思い出です。
優しさに助けられ
イギリスでは困難な状況に直面したとき、多くの人々の親切に助けられました。
たとえば、重たいスーツケースを持って階段を上る際、近くを通りかかった見知らぬ人が手伝ってくれました。
彼らはスーツケースを階段の上まで運んでくれ、私が後ろから上り切るのを待って、手を挙げて合図し、スーツケースを置いて何事もなかったかのように去っていくのです。
そんなスマートな行動に感動しました。
たどたどしい英語を、ていねいに聞いてわかってくれようとする姿勢にも、とても感激しました。
近所で知り合った方のお宅にしばしばお茶に誘っていただくこともあり、何もかも楽しく魅力的で、1年間があっという間に過ぎていきました。
しかし、人生には必ず自分を見つめ直す転機が訪れるものです。それは、留学も終わりに差しかかろうとしていた頃でした。

衝撃と反省
ある日、語学学校で知り合った日本人留学生から、思いがけない言葉を投げかけられました。
「みんなが優しくしてくれるのは、あなたに障がいがあるから。本当は誰もあなたのことを好きではない」
という趣旨の言葉でした。
私の英語が未熟だったことは事実です。また、背が低く、子どもっぽく見られがちだった私は、周囲の親切に甘え、少し浮かれていたところもあったのかもしれません。
しかし、その言葉は、小学5年生のときに「あなたの全部が嫌い」と言われた経験をよみがえらせ、深く胸に突き刺さりました。
彼女がなぜそのような言葉を口にしたのか、本当の理由は分かりません。
留学生活では、言葉や文化の違いによって余裕を失うこともあります。それでも、人の存在や善意を否定する言葉を受けた傷は、長く私の中に残りました。
この出来事以来、人から褒められても、その言葉を素直に信じることが難しくなりました。
海外生活の中では、同じ日本人だからこそ親しくなれる一方で、距離が近くなりすぎて、関係が窮屈に感じられることもありました。
少なくとも、当時私がいた小さな日本人留学生の集まりでは、人との適切な距離を保つことの難しさを感じていました。
音楽療法士になる決意
苦しみを抱えながらも、今後の進路を考えなければならない時期が来ていました。
ちょうどその頃、音楽大学時代に学んだ音楽療法と、イギリスで再び出会う機会がありました。
イギリスで目にした音楽療法は、即興演奏や音楽活動を通して、セラピストとクライアントが関係を築き、感情や思いを共有するものでした。
また、コミュニケーションや心身の機能を支えるためにも、音楽が活用されていました。
私は、その安全で創造的な方法に深い感銘を受けました。
身体上の困難や心の葛藤を抱えながら、長年音楽に関わってきた私にとって、音楽を人の支援につなげるこの分野は、非常に魅力的でした。
この経験が、音楽療法士を目指す決意につながったのです。
入学試験に向けて数多くの課題がありましたが、無我夢中で勉強に取り組むことで、心の痛みを見ないようにしていたところもありました。
理由は分かりませんが、留学2年目と3年目の記憶は断片的で、今では思い出せないことが多くあります。
当時の写真を見ると、苦悩していた様子が表情に表れています。
言葉遣いがきつくなり、人に厳しく接することも増えていました。
異国で自分の生活と将来を懸命に築こうとする中で、心の余裕を失っていたのだと思います。
次回は、音楽療法士になり、多種多様な活動をしながら、ホスピスでのボランティアを通じて学んだ経験や、イギリスでの自立へと物語は続きます。
第7話はこちら
記事の一覧はこちら
※寺町新聞では、このほかにも数多くの連載記事を掲載しています。各連載記事はこちらからご覧いただけます。
(感想、メッセージは下のコメント欄から。皆様からの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)


コメント
コメント一覧 (6件)
恵津子さんへ
毎回の連載が待ち遠しく、繰り返し拝読しています。その度に、恵津子さんが、若い日々の出会いや楽しさを謳歌される一方で、迷い苦しみながらもたくましく成長されていく物語に感動を覚えます。
今回は、異文化に驚きながらもすぐに馴染まれていく様子や、周囲の人々との触れ合いや驚きの出来事など、イギリス留学のエピソードが生き生きと描かれていて、私自身の経験を思い出させてくれました。しかし、最も印象に残るのは、彼の地の偏見や人種差別による言葉ではなく、何と同邦人の同級生から投げられた、妬みと悪意に満ちた心ない言葉。今でこそ俯瞰した視点で、相手の気持ちにも思いを馳せ、ご自身の言動をも冷静に反省されていますが、まだ20代前半の当時、その言葉は鋭い刃物のように心を抉り、どん底に突き落とされたお気持ちだったことでしょう。苦悩ゆえに、他人の褒め言葉や親切に対して懐疑的になり、恵津子さん本来の明るさやさしさを一時的に見失ってしまっていたとしても、それは無理からぬこと。たかが人間関係されど、ですね。そんな苦しみを抱えながらも、新しい手法の音楽療法に出会い感銘を受け、将来の仕事と心を決めて自立を達成されていく...そんな経緯が展開する次回がますます楽しみです。
がんばれ、えっちゃん!
SYさん
コメントありがとうございます!
20代前半で若かったですね。。。
それでも、思い返すとやはり幼かったなと。。。今でも、ある部分はあまり成長していないようにも感じます(苦笑)
人間関係が自分に与える影響は計り知れず大きいですね。これは私のセンシティブな性格もあるのでしょうが、なかなかに興味深い心理の変化ですよね。
今度、SYさんのご経験もぜひ聞かせてください。
いつも心よせて頂いて、感謝しています。
まだまだえっちゃん頑張ります!(笑)
エンジェル 恵津子さんへ
更新は月に一回と勝手に思い込んでいて、連載が進んできて驚きました
一気に読んでしまいました☺️
また、読み直して、2話から感想を書いていく楽しみを残しておきます。
6話、SYさんのコメントにもありますが、生まれ育った地から離れた場所で同じ日本人からの心ない言葉。というよりかは、悪意を感じる言葉。過去の辛すぎる思い出と結びついて、言葉の倍以上に苦しい思いをされたかと…。
けれど、彼女自身の何らかの葛藤や妬みだと振り返られてる今の恵津子さん!今を巧み生きていらっしゃると感じる一文でした。
珍事については、映画みたいですね!ちょっとワクワクしてしまいました。
今回、音楽療法士という仕事と恵津子さんの出会いを知れて嬉しかったです。
次回も楽しみにしていますね!
わたしも、えっちゃん応援しています!
晶さん
コメントと応援ありがとうございます。
一気に読んでくださて、とても嬉しいです。
心無い言葉や悪意のある言葉、生きている以上は、避けられないことでもあると思います。でも、これらの経験がのちの強さになって、現在のアメリカでの生活があるのだろうなと、今は思っています。
珍事、あの時はもう、ハラハラしました!まさか自分が巻き込まれるとは思わないですよね。そして、幼児教育を学んだはずなのに、あの二人の女の子を上手にあやせなくて、テレビがあやしてくれた時には、少々凹みました(笑)
まだまだ、挑戦は続きます。。。
恵津子さんへ
ベビーシッターのお話は、あたかも、私もそこにいたかの様な気分になり、恵津子さんと子だもたちのうしろ姿を見て、ソファーのうしろからホットする、自分の姿が見えました。恵津子さんの文章の表現力なんだと思います。音楽療法士。聞いたことがある程度なので楽しみにしております。ありがとうございます。
コスモスさん
コメントありがとうございます。
ベビシッターが居なくなったときは、さすがにどうしようかと思いました。。。でも、ジュース飲みながら、ぺったりと私のそばにくっつてきた二人、やはり子どもはかわいいと思いましたね。
いつもお読みいただいてありがとうございます。