➤逆境のエンジェルとは
「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験、挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。
➤前回のあらすじ
引き続き孤独を感じながら中学時代を送っていた筆者。卑屈になりつつも将来を考え、ずっと続けていた音楽の道に進むことを決心しました。厳しくも尊敬する恩師の指導のもと、一浪して音楽大学へ入学できたことは、私にとって大きな喜びと誇りに。一方で、先輩に「これであなたも他人のことが考えられる人になれる」と励まされ、その言葉にハッとしたのでした。(第4話『音楽の道への挑戦』はこちらからご覧ください)
羽ばたく鳥のように
音楽大学では幼児教育を専攻し、多彩な経験を通じて充実した大学生活を送りました。
かけがえのない恩師や友人たちとの出会いがあり、特に、学部教授との出会いは、後にイギリス留学へとつながるきっかけになりました。
当時の私は、まるで困難な過去を塗り替えるかのように、さまざまな活動に積極的に参加しました。
幼児教育専攻科主催の七夕祭りでは、実行委員長をつとめ、地域の方々や子どもたちとも交流。学内の催しだけでなく、他大学のサークルにも参加し、交友の輪を広げることができました。
また、バイトのかけ持ちをしたり、非行に走った子どもたちの更生を支援する活動や、特別支援学級の児童の学童保育など、ボランティアにも力を入れました。
音楽大学というユニークな環境から、おしゃれも存分に楽しみました。
鏡に映る自分の姿はいまひとつ受け入れられないと思いながらも、それでも精一杯きれいにみえる服装やメイクを研究したりもしました。
いまでも当時の写真を見返すと、思わず自分の美しさにうっとりしてしまいます(笑)。
母の車を借り、よく運転もしました。車幅の感覚がうまくつかめず、たびたび電信柱にバックして凹ませたり、バンパーを塀にすって傷つけたりして、両親からはこっぴどく叱られましたが、車を運転して自由に移動できることは、大きな喜びでした。
学業の方でも、興味のある講義は積極的に受講しました。歌にもいっそうの情熱を注ぎ、首席とまではいかなかったものの、卒業試験では上位の成績を収めることができました。
社会への不安と葛藤
そんな充実した大学生活でしたが、4年生になると卒業後の進路について悩むようになりました。
幼児教育の勉強は熱心にしてはいましたが、幼稚園教諭の道を進むことには、正直、迷いがあったのです。
この時期、生まれて初めて恋人との別れを経験したことも、不安な気持ちを増幅させました。
相手への依存心が強すぎて自分を見失っていたのでしょう、失恋による心の痛みで、私は次第に精神的に追いつめられていきました。
そんなある日。大学内で医務室の職員に呼び止められ、「障害者手帳持ってるの?」と突然たずねられました。驚いて「いいえ」と答えると、「障害者手帳、取ったほうがいいわよ!」とのアドバイスが。
私は愛想笑いをして外づらを取りつくろいながらも、内心ではショックと怒り、悲しみでいっぱいになりました。
「障害者手帳って何? 私は障がい者なの?」。健常者と同じように扱われることをめざし、努力してきた私は、その率直な質問に深く傷つき、怒りの感情で自分を守ろうと必死でした。
このできごとがあって以来、将来への不安がいっそう強くなりました。
傷心と自分探しで外国へ
大学を4年間で卒業したあと、さらに1年間学び、中学および高校の音楽教員免許を取得しました。
しかし、実習で母校に戻ったとき、子ども時代のトラウマが甦り、日々苦しむようになりました。
教員に対する懐疑心が浮き彫りになり、教師の道に進むこと自体に恐怖を感じるようになったのです。
かねてより私は、子ども社会は「大人社会の縮図」だと考えており、学校でいじめが起こるのは、教員の間にいじめが存在するためだと信じていました。
実際、孤立している教員を目の当たりにすることもありました。その考えはいまでも変わっていません。
そんなふうに、私には子ども時代から、教師に対する強い偏見がありました。しかし、「事実は小説より奇なり」とはよくいったものです。
教師とは絶対に付き合わない、ましてや結婚などするはずがないと思っていたのに…
のちに教師をしている男性と出会い、結婚することになるとは…!! そのときの私には、まだ想像もできないことでした。
イギリス留学への転換
将来への不安や、苦しさから抜け出すために、一度日本を離れて自分を見つめ直したいと思いました。
外国であれば、自分に合う場所や理解してくれる人々とも出会えるかもしれません。
日本を離れることを考えていた頃、学部教授と授業の帰りに食事をしながら、そんな思いを口にしたことがありました。
その際、教授から勧められたのが、ヨーロッパへの留学でした。
当時、私は青年海外協力隊の隊員として、ジンバブエで子どもたちと、音楽活動で関わろうと考えていました。しかし、言語試験で落ちてしまいました。
面接官からは語学力を高めて再び応募するよう助言され、そのつもりで英語を勉強していましたが、両親はジンバブエの治安や政治情勢などを懸念していたようです。
教授からのヨーロッパ留学の話を伝えると、両親もそれが安全だと感じ、賛成してくれました。
その後、ジンバブエでの社会情勢が不安定になり、暴動が発生して派遣員が引き上げてきていることをニュースで知りました。
ヨーロッパ留学への方向転換は、当時としては賢明な選択だったのかもしれません。
留学先をイギリスに決めたのは、ヨーロッパで英語をおもに話す国がイギリスだけだったからです。
食事や文化などで気がかりな面もあり、正直いって最初はそれほど気が進んでいたわけではありません。
しかし、日本を離れたいという強い思いと、通っていた英会話スクールのイギリス人教師が後押ししてくれたことで、気持ちが固まりました。
彼が快く自身の両親を紹介してくれたこともありがたく、頼れる存在ができて、心強い留学のスタートとなりました。
思えば、この先生が禅宗の仏教徒であることに、不思議な縁を感じます。
こうして、期待と希望を胸いっぱいに抱えながら、私は異国の地へと旅立ちました。しかし、実際に海外生活を経験して気づいたのは、自分の考えの甘さと未熟さでした…。
次回は、いよいよイギリスでの留学生活のはじまりです。目にするものがどれも新鮮で、刺激的な毎日の連続でしたが、そんななかで筆者が遭遇した困難。そして音楽療法士になる決意へと物語は続きます。
第6話はこちら
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(感想、メッセージは下のコメント欄から。皆様からの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)
様々な経験や想い、出会いから、悩みながら進んでいく恵津子さんの第五話、スッと入ってくる文体に相変わらず不思議な爽快感があります。真摯で丁寧な人付き合いから恵津子さんは紆余曲折しながらもぐんぐんと進んでいるというのが第五話の率直な感想です。第六話はイギリスですネ。
私が恵津子さんに毎日大学で会えたのは、私が二年のはじめに中退したので約一年でした。
出会った大学一年生、恵津子さんは既に車乗り回し「乗って!」て乗せてもらってた。かっちょよかったなあ。
恵津子さんはすごく勉強できてオシャレ、交遊関係広く見識幅広くヨガもやってたしなにしろ言葉チョイスに貫禄あった!
様々な葛藤から中退した私が、恵津子さんを含め何人かの友人に何かにつけてこちらから召集して会ってもらってた理由の謎が、第五話から時を越えて解けましたヨ。まあ、バイタリティがすごい!エネルギーをもらってたんだなあ。ご両親にも感謝です。
エネルギーの塊の恵津子さんは発光しててやっぱりカッコいいのだ!☆と感じました。
Zちゃんさん
今回もコメントありがとうございます。そうでしたね。まさしくこの時期に出会ってからの友人関係。感慨深いものがあります。
カッコいい。。。ありがとう。そうでありたいと思います。
あの時はオシャレだったわね(笑)今は、すっかり中年のおばさんで、仕事柄、ジーンズにスニーかーの毎日です!
ヨガ!これは続かなかったものの一つです(苦笑)
とにかく前進しか考えていなかったです。若さで勢いで行っていましたね。
いつも気にかけてくれてありがとうございます!
恵津子さん こんにちは。
読ませて頂くことによって、自分をふりかえることができます。あっ、あれが依存心。あっ、あれがトラウマ。あっ、あれが子ども社会は大人の縮図。モヤモヤがハッキリとします。
いつも、どこかに仏教がそばにいてくれる。ただ、それに目が向かないでいる。それに気ずけば扉を開けてくださる。ありがとうございます。
次回もお待ちしております。
合掌
コスモスさん
コメントありがとうございます!
私個人の経験を通して、なにかお役に立てたのでしたら、とても嬉しいです。
子ども社会は大人社会の縮図。だからこそ、仏教に学び、実践が不可欠なのでしょうね。
いつもありがとうございます!