➤逆境のエンジェルとは
「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する筆者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験、挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。
➤前回のあらすじ
教師からの理不尽な扱いや、継続するいじめ。自分に罪があるからいじめられると信じ、性格の改善を試みるものの、同級生にすべてが嫌いと告げられ、生きる意欲を喪失…。親への思いから踏みとどまるも、自分がいじめる側に回ることで怒りや悲しみの吐け口にしていた、そんな小学生時代について語っています。(第3話『子ども時代の苦悩2』はこちらからご覧ください)
自分の人生を変える決意
小学校から中学・高校まで、一貫教育のミッションスクールに通っていました。
中学に入ると女子校になりましたが、ほとんどの女子生徒が持ち上がりで、私は引き続き孤独を感じていました。
奇数の人数でグループを作る際、いつも自分だけが余るのではないかと不安でした。
それでも新しい友人ができて、一緒に昼食を食べたり、両膝の手術後に松葉杖で登校する際は、イヤな顔ひとつせずにカバンを持ってくれるなど、かけがえのない友情も経験しました。
しかし、学校生活は毎日苦痛でした。無神経な言葉によって何人かの同級生を恐れるようになり、意地悪に耐えかねて担任に相談したこともあります。
しかし担任からは、「成績のよいあの子がそんなことを言うわけがない」と。
私に非があるように言われ、結果、ますます教師を信用できなくなりました。
それでも、自分の人生を変えたいという思いから、唯一自分の好きなことで、幼い頃から続けていた音楽にエネルギーを注ぐことを決意しました。
ピアノと同時に歌も学び始め、自分の歌声が認められたことで、音楽が自分に合っていると感じるようになりました。
認めたくない体の障がい
ところが、左半身の障がいによって指がうまく動きにくく、両耳の難聴による音の識別にも困難が生じるようになりました。
また、側湾症※(そくわんしょう)によって片方の肺が圧迫され、1フレーズを歌いきるまでに息が尽きることもしばしばでした。
5歳のときに経験した、側湾症手術の後遺症による身長の伸び悩み。それは私にとって最も大きな悩みでした。
のちに、側湾症手術は通常15歳か16歳の成長期が終わる頃に行われることを知りました。つまり、5歳で受けた手術は医学実験だったわけです。
それを知ったときは、病院や医師に対して激しい怒りと失望を感じました。
学校のシスターから「あなたは手も大きく指も長いし、足も長くて大きいから、本来ならもっと背が高くなっていたはずよ」といわれるたび、いいようのない悲しみとやりきれなさに襲われました。
この感情は年齢を重ねるごとに強くなっていきました。
※背骨がさまざまな原因で曲がってしまう病気
ディスレクシア
専門的な医師の診断を受けてはいませんが、私には失読症(ディスレクシア)という学習障害もあると考えています。
この障害にはさまざまな症状があり、私の場合、たとえば「パームツリー(ヤシの木)」を「ツリーパーム」と書き間違えたり、いい間違えたり、間違った順序で記憶してしまったりすることがあります。
学校時代の成績不振は、治療のための早退や遅刻だけが原因ではなく、学習障害も影響しているだろうと理解しています。
特に顕著な症状は、楽譜の暗譜が困難であったり、記憶するのに時間がかかることでした。
譜面を見ながら演奏していても、いったん指先に目を落としてしまうと、譜面のどの部分を弾いていたのかわからなくなり、あわてふためくこともよくある経験でした。
これらの障害のために練習を怠けることもあり、自分はダメな人間だと思ったり、カンシャクを起こすこともありました。
それでも「何とかなるさ」という楽観的な考えが手伝って音楽を続けてきました。
アメリカに来て、夫にこのディスレクシアを指摘されるまでは、うまくいかないのは自分の努力不足や怠け心のせいだと思っていました。
しかし「なるほど、学習障害もあるのか」と、いまは納得しています。当初は、体のハンディに加えて、別の欠点もあるのかと落ち込み、「そんな障害はない!」と夫に反発しましたが、いまでは彼の指摘に感謝しています。
恩師との出会い・音楽大学進学
身体的な問題や、学校での人間関係の難しさ、いじめの経験から、高校時代には音楽の道をめざしつつも、自分の経験を活かせるとの理由から、医療や福祉の分野に進むことも考えました。
しかし、最終的に歌への情熱が勝り、一浪して国立音楽大学に入学が決まりました。これは私にとって誇りと喜びの瞬間でした。
受験前から通っていた声楽の先生は非常に厳しい方で、昔の職人気質を持っていました。
できないときは激しく叱咤されましたが、それも全力で指導してくださるからこそ。
それゆえ、「やめてしまえ!」と何度いわれても、「絶対にやめません!」と無我夢中でついていくことができました。
国立音学大学を志望したのは、この先生が教授として在籍している大学で学びたい!という思いがあったからです。
厳しくも品があり、おしゃれでかっこいい先生に憧れました。
合格を誰よりも喜んでくれたのもこの先生でした。そうした恩師との出会いがなければ、すぐに何でも諦めるクセがついたままだったと思います。
大学に合格した際、高校時代の先輩から「おめでとう。これで、あなたも他人のことが少しは考えられる人になれるね」と励まされたときは、「ドキッ」としたことを覚えています。
いわれたときはショックでしたが、よくよく考えると、学校でのいじめに負けないように、自分の心を強く保とうと、そればかりを考えていたことで、視野が狭くなり、自己中心的になっていた自分に気づき、身が引き締まる思いがしました。
そして、その言葉をいつも心に留めておくようになりました。
次回の物語は、大学生活を謳歌する一方で、失恋や子ども時代のトラウマから、大学卒業後の進路に悩む筆者の心情、そして、自分探しの旅へと続きます。
第5話はこちら
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(感想、メッセージは下のコメント欄から。皆様からの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)
私は恵津子さんの笑顔に不思議な深みと爽やかさを感じてきたのだけれど、それは第4話まで読んで恵津子さんのさまざまな人との出会いや経験からの、丁寧な咀嚼の賜物だなあとふと勝手ながらに思いました。
丁寧って勇気いりますよね。素直でないとできない。その点からも恵津子さんの強さ、あたたかさを感じます。
恵津子さんがドキッとされた言葉も丁寧に捉えられており、ご自分を大切にされてることがよく伝わり、あたたかく私自身にしみいるようで、不思議なあたたかさがあります。
次回も読ませてもらいますヨー☆
Zちゃんさん
今回もコメントありがとうございます。
受験の時に番号近くて、入学式で会ったときはとても嬉しかったです。ざっと30年も前ですよ!
丁寧に人と付き合えているのかはわからないのだけれど、そうありたいと思っています。ご存知の通り、気が強くてせっかちなところがあるので、まだまだ道のりは長いですね(笑)
引きつづきよろしくおねがいします!
エンジェル恵津子様
恵津子さん!
以前はお返事頂いてありがとうございました。嬉しく拝見致しました。こちらでお礼をすみません。
アメリカからに比べたら、国内6時間のバス移動は規模が違いますねー。でも、あきば大祭へ向かっているは時は仰って下さった通りの気持ちでした。小さな勇気からの出逢いで、人生豊かになれる!
悲しみや辛さを強さにかえて、羽ばたこうとされている姿に勇気を頂きました。誰かを恨むわけではなく、憎むわけではなく、己と戦ってなりたい自分になっている。卑屈にならず、あたたかさや強さを持っていられる‥わたしもこうなれたらと感じました。大人だけでなく、未来ある子供さん達にも勇気をくださっているように感じました。
同じく次回も必ず読みます、ありがとうございます。
理恵さん!
今回も、嬉しいコメントありがとうございます。
このようにコメントいただくと、励みになります!
小さな勇気が新たな出会いのきっかけになったり、新しい人生の方向性を指し示してくれることがありますよね。
恨みや憎しもありましたが、人と比べても卑屈になっても、どこかで自分の人生は自分でなんとしなきゃと、思っていたようです。描いた通りの人生にはならないものですが、それでも諦めないで続けることで、納得がいくことがあるのだなと思います。
どうぞ次回もよろしくお願いいたします。