➤逆境のエンジェルとは
「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。
➤前回のあらすじ
筆者が日本で経験した、いまも深いつめあとを残す戦争の影響について語っています。(第31話『いまだからこそ考えたい戦争の傷跡』はこちらからご覧ください)
9分間の苦しみが世界を変えた
今回は、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動※について考えてみたいと思います。世界を揺るがせたBLM運動。あの衝撃の瞬間を、いまも心に刻んでいる方は多いでしょう。
パンデミック真っ只中の、2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで起きた、ジョージ・フロイド氏の悲劇。偽の20ドル札を使った疑いで警察に通報されたフロイド氏は、現場に駆けつけた白人警察官によって、地面に押さえつけられました。
そして、フロイド氏が「息ができない」と繰り返し訴えたにもかかわらず、その叫びは届かず、彼は約9分間も膝で首を地面に押さえつけられ、命を奪われてしまいました。
その衝撃的な映像が世界中に広まり、黒人男性に対する警察の過剰な暴力や非人間的な扱い、そして、アメリカに根強く残る組織的な人種差別の現実が明らかになりました。
これを受けて、世界各地でデモ行進が行われ、裁判では警察官に殺人罪が科され、ともに行動した他の3人の警官も有罪となりました。その後、デモ行進のなかで暴力をふるった警察官たちも、次々と解雇される事態が生まれたのでした。
この事件を知ったとき、私は映像を直視することができませんでした。
いまもなお、その映像を見ることができません。警官に押さえこまれる黒人男性の姿に、どうしても自分の夫の姿を重ねてしまうからです。
あまりにも残酷で、あまりにも悲しい人間の最期でした。夫もまた、その映像を直視することができず、「自分を見ているようだ」といって、深い苦しみを抱えていました。
私の職場でも、この事件は大きな話題となりました。特に、黒人患者への影響が心配されました。警察官から過去に受けた言動がトラウマになっている患者が少なくないからです。
同僚たちは、この問題を通して、アメリカ社会の組織的な抑圧や差別に立ち向かう必要があると熱く議論しました。私も、自分にできることは何かを考え続けました。
そして、デモ行進に参加するだけではない、もっと私にしかできない方法があるのではないかと模索するようになりました。
※ 黒人に対する警察の暴力や人種差別に反対し、黒人の命の重要性を訴えることを目的とした運動
闘うだけではない、思いを伝える方法がある!?
私が思いついたこと。それは、折り紙のハートを折り、そのハートに患者一人ひとりのメッセージを込め、病院のフェンスに飾ることでした。それを、BLM運動への支持と私たちの思いの象徴とし、デモ行進の代わりにしようと考えたのです。
闘うだけでなく、癒しのエネルギーを注ぐことも、私たちには必要だと感じたのです。
このアイデアに賛同してくれた同僚たちとともに、私たちは1000個以上の折り紙のハートを折り、それを各病室に配りました。使用した折り紙にもこだわり、一色ではなく、さまざまな色やデザインを使うことで、肌の色や文化の違いを表現しました。
これは、異なる背景を持つ人々が共存し、美しさを生み出すことの象徴でした。患者のなかには、そのハートを大事にフェンスにくくりつける人、自分で持っていたいと感じる人もいました。
私は、人としての価値観を信じ、それに反する非人間的な行為に対して立ち上がる強さが大切だと思っています。
けれど、どう立ち上がるのかを考えたとき、闘うだけでなく、人間の心の柔らかい部分に語りかける活動も大切だと感じたのです。
私自身、日本人としての文化背景を見つめ直したとき、折り紙という伝統文化に突き当たりました。いまも折り紙はセラピーの一環として用いており、子どもにも大人にもハートを折ってもらい、その意味について話し合う時間を持つようにしています。
これで世の中が、劇的に変わるとまでは思っていません。でも、ひとりでも多くの人が、他人を尊重し、受け入れることの大切さに気づくきっかけになればと願っています。
大愚和尚もYouTubeのなかで、さまざまな仏教の宗派があるものの、元になっているブッダの教えは一貫していると話しておられます。
人種の問題も同じです。肌の色や文化背景が違えど、すべての人にはそれぞれ得意分野があり、社会に貢献できる力と可能性を持っています。
それを、ひとつの人種だけが優れているという考え方が争いを生み、人種差別を助長させているのだと思います。
無意識の差別に気づく勇気
この事件を機に、私は人種差別の問題について、さらに積極的に問題提起を行うようになりました。
最初はごく少数の同僚からの賛同と協力から始まったものが、いまでは徐々に賛同者が増えています。その活動のなかで特に重要視しているのが、マイクロアグレッション※や、インプリシットバイアス(無意識の差別)、文化的謙虚さ(cultural humility)です。
自分の内側にある無意識の差別意識に気づき、そこから変えていく謙虚さを持つことの大切さ。これは、幼少期にいじめられた辛い経験、外国生活における差別、そして夫が受ける差別を見てきたからこそ、実感できるものかもしれません。
そういう私にも、差別意識や意地悪な部分がまだ残っていると感じます。でも、どんなに辛くても、そこに目を向けていかなければ、何も変わっていかないのです。
BLMに熱心だった白人や他の人種の人たちも、この無意識の差別の問題になると、その多くが途端に口をつぐんでしまう…。これも驚きの発見でした。
問題が自分ごととして指摘されると、罪悪感もあるでしょう。臭いものにはフタをしたい心境に駆られる、その気持ちもわかります。
しかし、その部分を通過しなければ、本当の意味での人種差別への取り組みはできないと思うのです。
ロビン・ディアンジェロ著『ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(明石書店)のなかにも、この問題が真摯に語られています。
これを読むと、実はこの問題、私たち日本人にも当てはまることにも気がつきます。そのことの足がかりとして、ぜひ下記の明石書店の記事も参考にしてみてください。
日本人はなぜレイシズム(人種差別主義)に向き合えないのか?――『ホワイト・フラジリティ』の射程
※小さな攻撃性。無意識の偏見や差別によって悪意なく相手を傷つけてしまう行為
自分も「当事者」であることを忘れないために
今回の投稿の最後に、無意識の差別やバイアスが日常的に起こっている一例を挙げたいと思います。
ある日、病棟での会議で、患者が使用できるヘアープロダクト(シャンプーやブラシ)について賛否両論の意見が出ました。
人種が違えば髪の質も違い、特にアフリカ系の人々の髪は、私たちの髪とはまったく異なる特徴を持っています。シャンプーやブラシも、それぞれに合ったものを提供する必要があるのです。
しかし、病院側ですでに許可されているにもかかわらず、私の勤務する病棟では、ピックぐしや特殊なヘアブラシの使用が危険だと反対意見が出ました。
私は実物を見せ、その柔らかさと安全性を強調しつつ、髪の質に合った物を使える環境を提供することは基本的人権であると訴えました。裁判を受ける患者には身だしなみを整えるよう教えているのに、それに合った物を提供しないのは矛盾が生じるのではないかと主張しました。
賛同してくれた同僚や、髪質について説明してくれた黒人の同僚の助けもあり、この病棟でも無事、許可が下りたのですが…。
そのとき私は、反対したスタッフの根底に差別意識があり、さらにマイノリティである私の発言であることが反感の原因になったのだと気づきました。しかし、そのことに当の本人たちは気づいていないかもしれません。
無意識の差別意識。私たちのなかにあるその存在に、果たしてどれだけの人が気づいているでしょうか。
大愚和尚がよく指摘される「自分の心の動きに気づく」。それができれば、きっと平和な世の中が実現するはずです。でも、それが難しいのは、私たちに謙虚さが欠けているからかもしれません。
イラつきを覚えた職場のできごと。でも、一朝一夕に他人を変えることなどできません。だから、まずは「自分の人間性を高めること」。ここに焦点を当てながら、前を向いていきたいと思っています。常に謙虚でいるように、意識しながら。
次回は、なぜアメリカで白人至上主義の理念ができあがっていったのか、歴史から紐解いてみたいと思います。
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