➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出合いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
老いる母との再会を通して、自分の未熟さと向き合いながら、「無常」と「無我」について語っています。(第62話『老いる親にいらだつ私へ——母の介護と無常に向き合った帰省の記録』)はこちらからご覧ください。
季節のゆらぎのなかで
暑さと寒さのあいだで揺れる日々
ここ2週間ほど、北カリフォルニアでは季節はずれの暑さが続いています。日中は30度近くまで気温が上がり、まるで初夏のような陽気です。
一方で朝晩は10度前後まで冷え込むため、朝はセーターに上着を重ね、日中は半袖や薄手の長袖で過ごすという、忙しい装いの日々を過ごしています。
この土地は地中海性気候に属し、もともと夏でも、室内は比較的涼しく保たれる造りの住宅が多く、エアコンを備えていない家も少なくありませんでした。
しかし近年は、温暖化の影響で、夏場は40度近くまで気温が上がる日も珍しくなくなり、エアコンを設置する家庭が確実に増えてきました。気候の変化は、確実に、私たちの暮らしを変えつつあります。
そんな春の訪れとともに、私がこの時期楽しみにしているのは、朝、庭に出た瞬間に出迎えてくれる野鳥たちの声です。
身近な自然と、そこにある関係
なかでもひときわ存在感を放つのが、「カリフォルニアスクラブジェイ」という青い鳥です。澄んだ青色の羽を持つこの鳥は、つがいで行動することが多く、人間と同じように一夫一妻で一生をともにすることが多いといわれています。
わが家の裏庭にも、よく2羽そろって訪れてくれます。1羽がエサをとり、もう1羽は見張りをするというような、パートナー関係を観察することができます。
彼らは人に対して比較的警戒心が薄く、とても賢い鳥として知られています。木の実や種をいくつもの場所に隠す習性があるのですが、もし誰かにその様子を見られていると感じると、隠し場所を変えるのだそうです。その知性には、思わず感心させられます。
そしてもうひとつ印象的なのが、その鳴き声です。外に出るたびに「ギャー、ギャー」と大きな声で存在を主張し、一定の距離を保ちながらじっとこちらの様子を観察しています。
安全だと判断すると、背中を向けている私のすぐ後ろで、種をついばんだり、水を飲んだりする姿は、どこか愛らしく、そして少しユーモラスでもあります。
しかしその一方で、気性はなかなかに激しく、ときにはリスを挑発する姿に出会うこともあります。可愛らしさとたくましさ、その両方をあわせ持つ存在で、なんとなく人間らしさも感じてしまい、愛着がわいてきます。

また、この地域では、朝になると「モフ、モフ」と独特の声を響かせながら、野生の七面鳥の群れがやってきます。オスは大きく羽を広げ、まるで群れを守るかのように堂々と振る舞います。
ときには道路の真ん中に出てきて、通りかかる車に対して威嚇する姿も見受けられます。
ある朝、出かけようとした私の前に、その七面鳥の群れが道をふさいでいました。しばらく様子を見ても動く気配はなく、まずはヘッドライトで合図を送りましたが、まったく動じません。
やむを得ず軽くクラクションを鳴らしたところ、1羽のオスが尾羽を大きく広げながらこちらに向かってくるではありませんか。その迫力に、一瞬冷や汗がにじみました……。

そして、早朝や夜になると、また別の「気配」を感じることがあります。姿を見なくても、その存在がすぐに分かる動物——それがスカンクです。
独特の強烈な匂いは、一度嗅ぐと忘れることができません。早朝の眠気も一瞬で吹き飛ぶほどです。
そのほかにも、アライグマやオポッサムなど、さまざまな野生動物が住宅街に姿を見せます。

自然が身近にある豊かさを感じる一方で、ここ数年、ある変化にも気づかされます。それは、野生動物、とりわけ野鳥の数が減っているように感じられることです。
静かに進む変化
その背景には、いくつかの要因があるといわれています。ひとつは気候変動。都市開発による自然破壊。
そしてもうひとつは、野良猫の増加です。飼い猫が外に出されるだけでなく、飼えなくなった猫が置き去りにされるケースも少なくなく、その結果、急速に繁殖が進んでいると指摘されています。
あまりにも簡単に動物を飼うという選択をして、大変になると投げ出す。そんな自分勝手な人間の姿も見えてきます。そして同時に、動物のいのちを大切にしたいという人間の心も。
しかし、いのちを守ろうとする人間の行為が、別のいのちを脅かしてしまう——そんな複雑な現実が、ここにもあります。そしてこれは、ライフサイクルに確実に影響を及ぼしています。
野生動物のライフサイクルは、動物・植物・環境がつながることで成り立っています。鳥は昆虫を食べ、種を運び、自然のバランスを保つ役割を担っています。
しかし、野良猫の増加などにより、鳥の卵やヒナが捕食されると、次の世代が育たなくなります。その結果、昆虫が増えたり、植物の再生に影響が出るなど、連鎖的にバランスが崩れていきます。
こうした変化は急激ではなく、静かに進みます。そのため気づきにくいですが、生態系全体に影響を及ぼす重要な問題です。
小さないのちと向き合った日
ある日、勤務先の中庭で、巣から落ちたと思われる小さなスズメのヒナが見つかりました。患者がそれに気づき、「なんとか助けたい」と必死に訴えてきました。
私は迷いました。自然の摂理に委ねるべきなのか。それとも、人の手で助けるべきなのか。
どちらが正しいのか、簡単には答えが出ません。見たところ、羽が折れているようにも見えました。病棟で飼うにしても、少々難しい状態です。
しかし、その場にいた患者の「いのちを大切にしたい」というまっすぐな思いを、私は無視することができませんでした。
また、いろいろな背景を持ってこの場に集まっている彼らに、いのちの大切さを感じてもらうきっかけになるかもしれない。そんな思いも交差しました。
最終的に、野生動物の保護団体に連絡を取り、職場の上司の許可を得て、そのヒナを専門家に託しました。元気になれば、再び自然へ返されるとのことでした。

残った問い
この一連のできごとを通して、私のなかにひとつの問いが残りました。
これほどまでに、小さないのちを守ろうとする人たちがいる一方で、同じ国のなかで、あるいは世界のどこかで、戦争が起こり、人のいのちが奪われている。この大きな矛盾を、私たちはどう受け止めればよいのでしょうか。
優しさと暴力。
保護と破壊。
その両極を同時に抱えながら、人間という存在は今日も生きています。
先日、小さなスズメのヒナを「助けたい」と願った患者の姿と、この世界で起きているできごとを思い合わせたとき、その隔たりの大きさに、言葉を失うような感覚になりました。
大愚和尚は、
「近年、動物を自分の家族以上に大切にする人が増えています。それは、人間関係が大変だからです。言葉を話す人間は、その言葉で人を傷つけてしまうこともあります。でも、動物は人間の言葉をしゃべりません。そのなかに、安らぎや寄り添いを見出すのです」と。
この言葉を思い出しながら、私は正直なところ、そこに現代の屈折した人間関係の一面も潜んでいるように感じました。このことについては、また別の機会に、もう少し深く考えてみたいと思います。
私たちには選択するという自由があります。どちらを選択するのか。動物を保護することで、破壊されていく自然のサイクルもある。そして、優しさが実は暴力になることもある。
自由とは仏教の言葉で、「自らに由(よ)る」という意味です。そう、私たちが何かを選択するとき、そこにはなんらかの犠牲があるのかもしれません。
だからこそ、立ち止まって自分の選択を吟味してみること。それはとても大切なことではないでしょうか。
そんな問いを、自分自身にも投げかけながら。
次回の投稿は、現代社会に見られる屈折した人間関係について、筆者独自の観点と研究結果から語っていきたいと思います。4月20日(月)夜7時を予定しています。
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