➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出合いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
鳥の声が響き、野生の七面鳥が道をふさぎ、夜にはスカンクの気配が漂う、そんな自然と隣り合わせの暮らしのなかで、行きついた問い。小さな命を守ろうとする優しさと、同時にどこかで続く戦争。この矛盾について語っています。(第63話『春の気配のいのちの矛盾の中で』)はこちらからご覧ください。
優しさの時代に、もろくなる心
日本に帰省するたびに思うことがあります。
それは、人が優しくなったと同時に、どこかもろくなったのではないか、という感覚です。
それは確かに救いであり、同時に、人と人との関係にある“揺らぎ”や“摩擦”から離れていく、ひとつの形でもあると見ることができるように思うのです。
大学生の頃、私はBBS活動に関わっていました。
非行に走った青少年に寄り添い、兄や姉のような立場で関係を築くボランティアです。当時の彼らは、怒りや孤独を外に向けて強く表現していました。
ときには殴り合いの喧嘩になり、言葉も荒く、「不良」「グレ」「スケバン」といった表現が飛び交う時代でした。
しかし先日、当時の先輩に話を伺うと、いわゆる非行に分類される若者は確実に減っているといいます。
一見、それは社会の成熟のようにも思えます。けれども、その奥にある変化に目を向けると、私は別の形の歪みを感じるのです。
前回の63話で少し触れたように、「動物を家族以上に可愛がる人の心」にも、どこか共通するものを感じています。
そこには純粋な愛情がある一方で、傷つく可能性の低い関係に安らぎを求める心もまた、静かに存在しているのかもしれません。
外に出せない痛み
いまの若者は、かつてのように、外に向かって爆発する代わりに、内側で静かに崩れていく傾向があるように思います。
怒りをぶつける代わりに、自分を責める。
衝突する代わりに、関係を断つ。
声を上げる代わりに、心を閉じる。
表面上は穏やかで、トラブルも減っているように見えます。
しかしその裏で、誰にも届かない場所に痛みを抱えたまま、立ち尽くしている人が増えているように感じます。
SNSの普及は、人をつなげる一方で、常に比較される環境を生み出しました。他人の幸せや成功が可視化され、「自分は足りていないのではないか」という感覚が心を削っていきます。
さらに、AIのように、否定せず、いつでも寄り添いの応答をしてくれる存在が身近になりました。 それは孤独を和らげる一方で、人と人との間にある摩擦や調整を経験する機会を減らしている側面もあります。
先日、身近でこんなことがありました。
ある方がAIにカウンセリングをしてもらい、「寄り添ってくれるのでとても気持ちがいい」と話していました。
そのとき、私は正直、少しだけ危うさを感じました。その方がとても繊細で、影響を受けやすい印象があったからです。
まもなくして、その方が30年来の友人との関係を断ったと知りました。理由は、「自分に寄り添ってもらえないと感じ続けていたから」。
けれども、長年の関係であるならば、直接気持ちを伝えるという選択もあったはずです。 しかし現実には、衝突する代わりに関係を断ってしまった。
もしかすると彼女が抱いていた感覚は、誤解だったかもしれません。でも、その状況を確かめることもなく、終わってしまった関係でした。
どちらが正しいという話ではありません。ただ、そこには「傷つかないこと」が優先される時代の空気を感じたのです。

「ほめる教育」の弊害
教育の現場では、「ほめて伸ばす」という考え方が広がりました。これはとても大切な変化です。
しかし、何をほめるかがとても重要です。結果や能力ばかりをほめられて育つと、人は「失敗=自分の価値が下がること」と感じやすくなります。
また、「あなたは素晴らしい。こんなことができるのはあなただけだ」といわれ続けることで、
外の世界で小さな挫折に出合ったとき、立ち直れなくなってしまう例も報告されています。
要するに、挑戦よりも回避を選ぶようになります。
傷つかないことが優先され、少しの否定で心が大きく揺らぐ。本来必要なのは、「どんな自分でも大丈夫」という安心と、「だからこそ成長していこう」という適度な負荷です。
守ることと鍛えること。その両方があって、はじめて心はしなやかに育っていきます。
「自己肯定感」という言葉の誤解
ここで思い出されるのが、イチロー選手の言葉です。
彼は「自己肯定感という言葉がよくわからない」と語っています。
彼は自分を無条件に肯定してきたわけではありません。むしろ、日々の鍛錬と積み重ねの中で、自分への信頼を築いてきた人です。
今回のテーマを書きながら、「自己肯定感」が英語のSelf-esteemの訳語であることを改めて知りました。
本来のSelf-esteemとは、「自分には価値があると感じられること」。それは、何もしなくても満たされる状態ではなく、揺れながらも自分を見失わない感覚です。
けれども現代では、この言葉が「そのままでいい」「否定されてはいけない」という意味に置き換えられてしまうことが多々あります。
その結果、「傷つかないこと」が優先され、「回復する力」が育ちにくくなっているのかもしれません。
こんなことを書いている私自身も、コンプレックスのかたまり。もろく繊細な自分の性格を認識しています。だからこそ、あえて、この問題を真正面から見つめてみたいと思ったのです。
仏教では、人の心は常に変化し続けるものだと捉えます。
うれしさも、悲しさも、評価も、否定も、同じ場所にとどまり続けることはありません。
だからこそ、「傷つかない自分」をつくるよりも、「揺れながら戻ってこられる自分」を育てていく。
その方が、現実に即した在り方なのだと感じます。

関係を育てる力
人間関係は、本来、違いを調整するプロセスです。けれども現代は、違いを避けやすい環境でもあります。
合わなければ距離を置く。違和感があれば関係を切る。その選択自体は悪いことではありません。ただ、それが積み重なると、深い関係が育つ前に終わってしまいます。
関係は、心地よさだけで続くものではありません。ときにぶつかり、すれ違い、それでもなお関わり続けるなかで、少しずつ深まっていくものです。
先の知人の例のように、「わかり合おうとする力」そのものが弱くなってしまっているとしたら、
それは断絶の始まりなのかもしれません。
優しさのその先へ
いまの時代は、確かに優しくなりました。
けれどもその優しさが、「傷つかないこと」だけを守るものになったとき、人はかえって弱くなってしまいます。
本当に必要なのは、傷つかない環境ではなく、「傷ついても戻ってこられる力」です。
否定されないことではなく、否定を受け止められる土台。満たされ続けることではなく、満たされない時間に耐える力。
寄り添うとは、ただ優しくすることではありません。その人が、もう一度立ち上がれるように関わることです。
守ることと鍛えること。
その両方を引き受けながら、私たちはもう一度、人と人との関係のなかで育つ力を取り戻していく必要があるのではないでしょうか。
次回の投稿は、では、これらの問題にどのように関わっていったらよいのか、読者の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。5月18日(月)夜7時を予定しています。
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