➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出会いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
アフリカ系アメリカ人にとって「もうひとつの独立記念日」ともいえるジューンティーンスについて述べています。(第53話『自由と独立を記念するジューンティーンス』はこちらからご覧ください。
揺さぶられた瞬間、患者たちの選曲が映したもの
ヒップホップ。あの独特のビートに乗せ、早口で言葉を畳みかけ、韻(いん)を踏みながら感情や情景を描き出す音楽。
音楽療法の現場でも、近年「好きな曲を選んでいい」というと、決まってヒップホップを選ぶ患者が増えています。しかも、その多くがかなり暴力的で、過激な歌詞のもの。
ある日、セッション中に患者が立て続けにそうした曲を選んだとき、私はどうにもやり切れない気持ちになり、音楽を止めてしまいました。
「さっきまで、自分の心と向き合おうって話をしていたのに、なんでこういう曲を選ぶの? そもそも、ヒップホップの歴史を知ってる? 歌詞の意味をちゃんと理解して選んでる?」
自分でもわかるくらい、感情が波立っていました。
「君たちには選択の自由がある。でも、なぜそこに行き着いたのかを考えてる? 同じことを繰り返したいの?」と畳みかけ、「他人のせいばかりにせず、自分の行動に責任を持ちなさいよ!」とまでいってしまったのです。
セラピストらしからぬ発言。いま振り返れば、これは私自身の「こうあってほしい」という執着でした。
仏教では執着を手放す大切さを説きますが、このときの私は、完全にその渦中にいました。頭では理解しながらも、心は瞬間湯沸かし器のように沸騰していたのです。
失われた声が生んだ文化──ヒップホップの原点
いまのアメリカで「ヒップホップ」と聞くと、多くの人が「暴力的」「女性蔑視」「過剰なセクシュアリティ」というイメージを思い浮かべるかもしれません。
それも無理はありません。80年代後半以降、商業的に大きな成功を収めたのは、確かに「ギャングスタ・ラップ」と呼ばれる過激なスタイルだったからです。
ギャングスタ・ラップとは、1980年代後半にアメリカ西海岸で発展したヒップホップのジャンルのひとつです。Ice-T(アイス-T)の『6 in the Mornin’』(1986年)や、N.W.Aのアルバム『Straight Outta Compton』(1988年)がその名を広めました。
歌詞には、ギャングや警察との対立、貧困、差別、路上での日常が生々しく描かれ、ときに暴力を美化していると批判されながらも、声を奪われた人々の現実を世界に突きつけました。
Snoop Dogg(スヌープ・ドッグ)や2Pac(2パック)といった西海岸のスターだけでなく、東海岸からもThe Notorious B.I.G.(ザ・ノトーリアス・B.I.G. )が台頭し、ギャングスタ・ラップは全米規模で社会的議論を呼び起こしました。
しかし、実はヒップホップの原点は、まったく異なるところにあります。
1970年代半ばから後半にかけての、ニューヨークのサウス・ブロンクス。黒人やプエルトリコ系の若者たちが、差別や貧困、治安悪化のなかで自分たちの声を持つために生み出した文化、それがヒップホップでした。

空き地がステージに変わった日
当時のニューヨークは財政危機により公共サービスが削減され、若者たちは遊ぶ場所も限られていました。
クラブに入るお金もなく、居場所を奪われた彼らは、街角やコミュニティセンター、空き地で、「ブロックパーティー(※1)」を開きました。
先駆者のDJ、 Kool Herc(クール・ハーク)はターンテーブルで「ブレイクビーツ(※2)」と呼ばれる部分を繰り返し再生し、その上でMCがリズムに合わせて言葉を乗せました。
当初は観客を盛り上げる軽妙なかけ声が中心でしたが、やがてそれは、社会や日常のリアルな出来事を語るスタイルへと発展していきます。
「俺たちの生きる世界は、テレビにも新聞にも出てこない。でも、確かにここにあるんだ!」。
そんな叫びが乗せられたビートとともに、仲間と食事や会話をしながら踊る。これこそがヒップホップの始まりでした。
※1 住民同士が食事を囲んだり、音楽やダンスを楽しんだりする、屋外の交流イベント。詳しくは第53話をご参照ください
※2 ドラムやパーカッションのノリのいい部分をループ・再構築する手法
商業化がもたらした影と光
1980年代後半から90年代にかけて、ヒップホップは全米のメインストリームへと進出します。
N.W.AやIce-Tらによって、都市の暴力や警察の横暴を赤裸々に描き出した「ギャングスタ・ラップ」。その強烈な表現は、差別や社会不正への抗議である一方で、刺激を求めるリスナーやメディアの関心を集め、商業的にも大成功を収めます。
しかし、大手レコード会社は売上を重視したため、暴力や性的描写を強調する作品が目立つようになりました。アーティストのなかには、実際には関係のないギャングを装って過激なイメージを演出した結果、現実の抗争に巻き込まれた者もいました。
それでもヒップホップには、社会問題、家族や恋人への愛情、人種差別への抗議などを真摯に描いた名曲が数多く存在します。私は普段あまり聴きませんが、心を揺さぶられる曲に出会うこともあります。

歌詞が鏡になる瞬間
現在、音楽のジャンルにおいて確固たる地位を築いたヒップホップ。若者に人気というだけでなく、その歌詞の内容が私にとって非常に興味深く、患者と共有したいと思わせるものがいくつかあります。
そうした歌詞を患者と一緒に分析をすることは、自分自身を深く見つめるきっかけになると考えるからです。
「自分以外にも、苦しみながら前に進もうとしている人がいる」。そう気づくことは、自己と他者の理解を深める大切な一歩です。
そのためによく使うヒップホップの曲が、次の2曲です。
母への愛と赦し──2Pac『Dear Mama』
2Pacは、激しさと優しさを併せ持つ稀有な存在でした。
『Dear Mama』(1995年)には、母への深い感謝と複雑な感情が込められています。
2Pacの母親は、1966年に米国で結成された、黒人の自己防衛と人種差別撤廃をめざす革命的政治組織「ブラックパンサー党」の一員としても活動しました。
牢獄に入れられ、勾留され裁判になった経験も持ち、その母親のもとで育った2Pacは、貧困や差別、母親の薬物依存など、きれいごとではない過去を背負います。
自分が若い頃は、母親に対して嫌悪感を抱いていた2Pac。
しかし、自分で生計を立てるようになり、母親の苦労がわかってくるのです。「あなたがいなかったら、俺はいまここにいない」と歌い続けます。
美しいメロディーラインの楽器演奏から始まるこの歌。激しさのなかに込められた、母親への感謝「あなたは尊敬されている(You are appreciated.)」という表現が、何度も繰り返され、複雑な感情のなかから深い愛情が浮かび上がってきます。
歌詞を見ながらこの曲を聴いた後、患者から決まって「いい曲だなぁ」という感想が寄せられます。
そんな彼らに対し、私は2Pacの母親の背景、母親に対しての複雑な気持ちについて、説明しながら自分たちの人生と対比させていきます。
患者のなかには、家族との複雑な過去をもつ者も少なくありません。そんな彼らが、家族にも複雑な過去があることを理解できれば、2Pacのように感謝できるかもしれない…。そのようなことを話し合うのです。
音楽によって感性を刺激されると、気持ちが解放しやすくなります。「母親に感謝している。そのことを伝えたい」…。いつもは埋れがちだった思いが、音楽を通して次々とあふれ出てきます。
普段は虚栄をはっていたり、クールに振る舞っている患者たちから語られる本音。それらをさらに深掘りしながら、自己認識、受容というテーマへとつなげていきます。
それができるのも、共感性の高いヒップホップという音楽だからこそ可能と考えています。
自分と向き合う──Lil Wayne『Mirror』
もうひとつの名曲、Lil Wayne(リル・ウェイン)の『Mirror』(2011年)は、自分を映す鏡を見つめながら、自身の弱さや過ちを受け入れようとする曲です。
鏡に映った自分を見て、“Damn, I look just like my fxxxing dad”──「くそっ、俺はまるでクソ親父そのものだ」と歌い、父親に似てしまった自分への複雑な感情や葛藤をストレートに吐露します。
そこには、「自分を変えたいなら、まず自分をありのまま受け入れることだ」というメッセージが込められています。
そんな音楽に触れ、患者は自分の人生を振り返り、「本当は自分を許せていなかった」と気づくことがあります。音楽はときとして、残酷なまでに正直な鏡になりますが、それは癒しへの第一歩でもあります。
この曲を聴くと、必ず思い出すのがマイケル・ジャクソンの『Man in the Mirror』で、「世界を変えたいのなら、まず自分が変わることだ」と歌うこの曲。
そう、どちらも、自分がどんな人間なのか、どのような人間になりたいのか、自分の内面を根気強く掘り下げていくことの大切さを歌った曲です。

暴力ではなく、癒しのために
ヒップホップは、ときに叫びのように響き、ときに祈りのように心に静かに沁みていく。
それは単なる音楽ではなく、自分の内側を掘り下げ、誰かに向かって手を伸ばすための手段であるのかもしれません。
その曲に乗せられた願いが、ビートと歌詞を通して形になるとき、聴く人のなかにも何かが芽生えるのでしょう。
共感かもしれないし、反発かもしれない。でも、そこに対話が生まれるのです。
音楽療法という場は、過去の過ちや痛みを閉じ込めてきた人が、自分の声を解き放ち、他者とつながるための練習の場所であるのかもしれません。
ヒップホップは、街角から生まれた声を、いまも運び続けています。
その声が、逆境のなかにいる誰かの心に届き、「生きてみよう」という気持ちをほんの少しでも灯せるのなら、それこそが、この音楽が持つ最大の力だと、私は信じているのです。
次回は、読者の方からいただいたおたよりから、「生きること」について考えてみたいと思います。(更新は9月1日夜7時)
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