逆境のエンジェル

逆境のエンジェル(第10話)多様性と人種差別

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 いよいよアメリカでの生活がスタート。ここで私が勤務することとなった州立司法精神科病院がどういうものか、そしてそこで出会った忘れがたい受刑者のことを語っています。(第9話『アメリカでの生活』はこちらからご覧ください)

衝撃的なアメリカの「Big」

 アメリカに来てまず目を引いたのは、あらゆるもののスケールの大きさでした。

 この広大な国では、スーパーマーケットの棚に並ぶ牛乳パックひとつを取っても、日本で見慣れたサイズの約2倍。この驚異の大きさがアメリカの標準なのです。

 街を走る車も、小型のセダンより、どっしりとしたピックアップトラックやSUV(スポーツ用途の多目的車)が主流。

 人々の体格も日本人と比べて格段に大きく、ただただ圧倒されます。

 アメリカの豊かさは、量の多さでも現れます。レストランで出される一皿は、日本のそれの2倍から3倍のボリューム。

 最初のうちは半分も食べきることができずに残したり、持ち帰りをすることもたびたびでした。

 しかし、ときが経つにつれて、その量に驚かなくなりました。かつては想像もつかなかった量を食べられるようになった自分に、人間の適応力のすごさを感じずにはいられません。

 身長は変わらないのに、横幅はこの国の文化にすっかりなじんでいます(苦笑)。

 とはいえ、いまでも外食でこの量を食べきれることは、ほとんどないのですが…。

 ほかにも駐車スペースが、大型車でも余裕を持って駐車できる設計になっていたり。

 住宅においてもその広さは顕著で、郊外に足を延ばせば、広大な庭を持つ豪邸が目につきます。だいたい家具や設備の一つひとつが、日本とはケタ違いの大きさなのです。

 私が住んでいたアパートでも、キッチンのカウンターや流しの背が高く、慣れるまで少し時間がかかりました。

 踏み台を使ったり、カウンターによじ昇り、ひざまづいて棚から物を取るなど、少々滑稽な姿を演じつつ、少しずつこの大きな国の生活になじんでいきました。

アメリカに抱いていたイメージ

 広大な土地に多様な人種が上手に調和して生活し、努力すればどんな人でも受け入れてくれる、自由と可能性に満ちあふれた寛容な国…。

 それが渡米当初、私が思い描いていたアメリカのイメージでした。

 確かにある部分において、その通りのアメリカの姿がありました。

 たとえば、私のような移民で、身体に障がいを持つ者が、仕事に就き自立して生活していけることや、私の障がいも含めて受け入れてくれた夫と出会えたことは、寛大で偉大なアメリカを象徴していると感じます。

 また、日本の文化である折り紙や和太鼓を使ってのセラピーに、価値を見出してくれている現在の職場も、アメリカの懐の広さを示しているといえるでしょう。

 就職時の健康診断で深刻な病気が見つかったものの、アメリカで開発された新薬で完治しました。これも、世界一の最先端医療技術を持つこの国にいるからこそ。

 私はそんなアメリカが大好きですし、ここで築いたかけがえのない人間関係や経験、生活に感謝しています。

 しかし一方で、アメリカはまったく別の側面も持っています。

逆流を必死で泳ぐ

 アメリカでの暮らしは、多様性にあふれ、許容範囲が広いと感じる一方で、生きにくいと感じることもしばしばあります。

 日本に帰省した際に観たTV番組で、X JapanのYOSHIKIさんが、アメリカでの仕事や生活について、「まるでいつも逆流を必死で泳いでいるような感じ」と表現していたのが印象的でした。

 「逆流を必死で泳ぐ」というこの比喩は、まさにその通りだと私も思います。

 渡米して最初に直面したのは、人間関係を築くことの難しさでした。

 地域によって異なるかもしれませんが、表面的にはフレンドリーなのに、なかなか距離が縮まりにくいと感じることがよくあり、職場では孤立感や孤独感を強く抱いていました。

 イギリスではそこそこ良好な人間関係を築けていたので、アメリカでのこの難しさには、正直、焦りを感じました。

 さらに、イギリス訛りの英語が馬鹿にされたり、会議の予定を知らされなかったり。

 会議での発言が無視され、同じ意見を別の人が述べると採用されるなど、不本意な状況に遭遇することも多々ありました。

 こうしたできごとが、実は職場いじめや人種差別の一端だったと理解したのは、ずいぶん経ってからのことでした。

人種差別の鮮烈な体験

 アメリカに来てから一年が経ったころ、ひょんなことから、教師をしているアフリカ系アメリカ人の男性と出会いました。

 お互いの考え方に共感し、仕事帰りや週末に一緒に食事しながら会話を交わすうち、私たちの関係は徐々に深まっていきました。

 しかし時折、彼が突然硬い表情を見せ、「出るよ!」といって、レストランを急いで出ることがありました。

 初めのうちはその理由がわからず、ただ彼が「頑固で扱いにくい人」だとか、「これだから教師をしている人は…」などと思っていました。

 しかし、私たちがレストランに入っても、なかなか席に案内されなかったり、注文を取りに来てもらえなかったりと、そんなことがたびたびありました。

 そうした場所では、ほかに黒人の客がいないか、いても黒人同士、黒人と白人のカップルであることが多く、黒人とアジア人のカップルはほとんど見かけませんでした。

 私が140cmほどの身長で、彼が180cm以上のがっしりとした体格。それゆえ、私たちは余計に目立っていたのでしょう。

 だとしても、こんな待遇を受けるいわれはないと、私は憤慨の思いを禁じ得ませんでした。

 しかし、彼は冷静でした。その横顔からは、彼の持つ人種の平等への考えと、白人至上主義に屈しない、黒人としての誇りが見て取れました。

 そしてもちろん、このような扱いを受けたレストランを、私たちが再び訪れることはありませんでした。

 アメリカの生活を通して、見えてきた理不尽な現実。イメージとのギャップから、受ける衝撃は決して小さいものではありません。

 でもそれは、この国の人種差別の現状を知る上での、ほんの序章にしか過ぎませんでした。

 次回は、複雑に入り組む人種差別の問題と、それに対してさまざまな意見や考え方がある中、自分の無知や一般化しているステレオタイプによって戸惑い、何が真実なのか迷っていた筆者の心情について語っています。

第11話はこちら

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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その②

 一般に、異人種間のカップルは、伝統的な価値観や宗教観、言語の違いなどから、社会の一部から受け入れがたいと見なされるようです。

特に、黒人とアジア人のカップルの場合、外部からの風当たりがいっそう強くなり、同じ人種の人からも「裏切り行為」としての目線を向けられることがあります。

近年では、異人種間の恋愛や結婚に対し、オープンな雰囲気が増しつつありますが、彼らを取り巻く社会的偏見や差別は依然根強く、直接的な差別行為から、微妙な排除、不公平な扱いまで、さまざまな形をとって表現されます。

感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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