➤逆境のエンジェルとは
「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。
➤前回のあらすじ
実際にアメリカで暮らして感じた、壮大で寛容なこの国の風土。しかし、そんななかで感じてしまう生きにくさ。さらに、黒人男性との出会いによって目覚めた、人種差別の体験を語っています。(第10話『多様性と人種差別』はこちらからご覧ください)
怒鳴り込みに行こうと、本気で思った出来事
交際期間中、彼は教職に携わりながら、大学院で勉強を続けていました。夜遅くまでの勉強やレポート作成に励む日々。
しかし、彼が受け取る評価は、ときにギリギリの合格点で、けっして納得のいくものではありませんでした。
彼は全教科を教える資格を持ち、英作文や国文学のスペシャリストとしての難しい資格も有していました。
また、文章力、洞察力、分析力にかけてもたいへん優れているので、ときどき他人から頼まれて、レポートや論文を仕上げることもあったくらいです。
あるとき彼は、受け取った評価に疑問をもち、教授に説明を求めに行きました。そのときいわれたのが、「こんなすばらしいレポートを君が書けるはずがない。
これはコピーしたものだろう」という言葉。それを聞いたとき、私は直接その教授に怒鳴り込みに行こうかと思うほど、強い憤りを感じました。
でも、このような評価は、黒人の学生にとってめずらしいことではありません。これは黒人への根強い偏見の現れなのです。
「黒人」イコール「スポーツ選手、エンターテインメント、貧困、犯罪者、麻薬、野蛮…」。このようなイメージを思い浮かべる人は少なくないでしょう。
そして、どの人種よりも劣っているというステレオタイプ(※)も、残念がらいまだ社会にはびこっています。
のちの物語でくわしく掘り下げていきますが、これはアメリカ社会に根強く残る、組織化された人種差別の実態の、ほんの一部にすぎないのです。
※ 多くの人に浸透している固定観念や先入観のこと
肌の色が遺伝子の優劣を決める?
彼に出会う前、イギリスにいたときも、人種差別の存在にある程度、気づいていました。
しかし、アメリカに移り生活を始めたころは、自分が認められたいとの思いにかられ、そこに意識を向ける余裕がありませんでした。
むしろ、白人至上主義に迎合することで、この国の文化に溶け込もうとしていたように思います。
恥ずかしいことに、私自身も人種差別的な偏見を持っていました。
学生時代に学んだアパルトヘイト(※)や黒人奴隷の歴史のなかで、教師が述べた「黒人は劣った遺伝子を持っている」という言葉を信じてしまっていたのです。
また、「野蛮」という言葉を含む黒人男性に関する固定観念も、どこかで耳にし、信じ込んでいました。
しかし、これらのステレオタイプは、白人優位社会の継続と確立を目的として作られたものだったのです。
肌の色の違いだけで憎しみや暴力が生じることは、私には理解し難いことでした。
にもかかわらず、地元の人々や現地に住む日本人との交流のなかで、黒人やヒスパニック系の民族を非難する意見に同調していた時期もありました。
※ 南アフリカ共和国における、白人支配者層による人種差別・隔離政策(くわしくは末尾のコラムをご参照ください)
白人至上主義の犠牲者
教師をしている彼の、生徒や保護者との絆の強さ。それは彼の際立った能力の証で、ほとんどの児童が学力を伸ばしていきます。
また、ユーモアのセンスがあり、知的好奇心が旺盛で、記憶力抜群。まさに「歩く百科事典」のような人だといえます。
さらに、「いじめは絶対に許さない!」という強い信念をもち合わせていました。彼の教室でいじめがなかったのは、その火種を小さいうちに消すよう尽力していたからです。
しかし、そんな彼の実力が他の教師からの妬みを招き、黒人としてのステレオタイプに無理やりはめ込まれてしまいました。
根拠のない噂を流されたり、彼のクラスがなくなったり、人員削減と称して解雇されたことも。
教室から、彼の私物や教材が盗まれることもよくありました。
彼が能力を十分に発揮できず、苦しみ、ときに涙を流している姿を見ることは非常に辛く、胸が張り裂けそうになることはたびたびでした。
確かに、経済的、社会的に成功している黒人や、他のマイノリティもいます。
日本人の野球選手やアーティストなどのアメリカでの活躍は、とても勇気づけられます。
しかし、そんな成功者のなかには、自分たちの文化や歴史を否定し、白人至上主義に迎合して、同じ民族や他の少数民族を見下す人々がいることも、残念ながら事実です。
ただ、そうやって社会的地位を得たことは、必ずしも幸せを意味するわけではなく、健康を害したり、うつ病や薬物依存、過度の飲酒、自殺などの問題が伴うことは往々にしてあります。
日本人の知人から聞いたところによると、アメリカに派遣された友人は、「昇進を望むなら、黒人とは付き合うな」と上司からいわれたのだそうです。
これを聞いて、日本企業がそういうことをいうのかと失望しましたが、この言葉はある意味で、アメリカ社会を正確に反映しているともいえます。
それでも誇りに思うこと
彼が経験する上記のような人種差別や抑圧に対しても、彼の置かれている状況は、彼自身に責任があると主張する人々もいました。
成功を収めている黒人の例を引き合いに出し、彼の状況は因果応報というわけです。このような見方に、私は一時期戸惑い、混乱し、何が真実なのかの判別がつかなくなりました。
そのころアメリカでは、初のアフリカ系アメリカ人大統領として、バラク・オバマ氏が就任。
これにより、アメリカにおける人種差別は、すでに薄らいでいるとの認識が広がり、彼の直面している問題は、彼の性格や態度に起因するものだという見方が強まりました。
そしてそれが、彼を非難する言動を加速させることにもなってしまったのです。
しかし、よく考えてみれば、彼のように優れた能力と良識、思いやりを備えた人物が、もし白人であれば、このような扱いを受けることはなく、むしろ能力が認められ、高く評価されているはずです。
これはまさに、アメリカ社会の仕組みを物語っていることなのです。
思えばそれまで、私は無知ゆえに、彼を傷つける発言を幾たびもしてきたのだと思います。しかし彼は、そんな私を辛抱強く受け止め、指導し続けてくれました。
黒人としてのルーツに誇りをもち、白人至上主義に必要以上に迎合しない。そんな強い精神力の持ち主である彼には、いまも日々驚かされることばかりです。
そしてそんな彼の存在は、私自身の誇りにもなっています。
次回は、居住分離から見るアメリカ社会の問題について話を進めたいと思います。
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Angel’s column 【知ってほしい! アパルトヘイトのこと】
アパルトヘイトは、1948年から1994年まで南アフリカ共和国で実施された、白人至上主義に基づく人種隔離政策です。この制度は、白人が政治的、経済的、社会的な権力を独占し、黒人や他の有色人種の市民を制度的に差別・隔離しました。
住居、教育、医療など生活のあらゆる面で厳格な人種分離が行われ、非白人に対する広範な制限と不平等が法律によって正当化されました。アパルトヘイトは国際的な非難の対象となり、内外の圧力により1994年に終結しました。
このアパルトヘイト制度に反対し、平等な社会の実現をめざして戦った、南アフリカの反アパルトヘイト運動の象徴的なリーダーが、のちに南アフリカの初の民主的選挙で大統領に選ばれた、ネルソン・マンデラ氏です。彼のリーダーシップは、世界中で尊敬されており、平和と人権の象徴となっています。
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