こちらの記事は、佛心会員の季刊誌である『慈光』の中の連載記事『カルチャーブリッジ』で掲載された内容をより詳しくお伝えするコーナーです。
受け継がれたもの
これまで2回にわたり、アキラ・タナさんご自身の歩みと、ご家族が戦時中に経験した強制収容所の歴史をたどってきました。(前回の「沈黙が遺したもの〜戦時収容所の日記から 〜」はこちらからご覧ください」)
そこから見えてきたのは、音楽家としてのアキラさんの背景に、移民として生きた家族の歴史と、苦難の時代を支えた精神性があったということです。
では、そのような家庭で育つとは、どのようなことだったのでしょうか。
家の中には日本があり、一歩外へ出ればアメリカがある。ふたつの文化のあいだで育った経験は、アキラさんの人生観や音楽にどのような影響を与えたのでしょうか。
家のなかの日本、外のアメリカ
『慈光』の記事でも触れていますが、アキラさんのお話のなかで強く印象に残るのは、「家のなかの日本」と「外のアメリカ」を同時に生きる感覚です。
家では日本語があり、日本の文化があり、外へ出ればアメリカ社会が広がっている。その間で育つことは、単純ではありません。
アキラさんは、この感覚についてこう話してくださいました。
「移民や移民の子どもたちは、ふたつの文化のあいだでバランスを取って生きているんです」
そして、そのことは難しさであると同時に、豊かさでもあるといいます。
「複数の考え方、生き方、話し方を理解できるのは、とても満たされることでもあります」
さらに、こう続けられました。
「だから、人を簡単に判断しないようになるんだと思います」
この言葉には、いまの時代にこそ必要な響きがあるように思います。
自分とは異なる背景を持つ人に出会ったとき、私たちはつい、自分の物差しだけで相手を見てしまいがちです。
しかしふたつ以上の文化を生きる人は、その背後にある歴史や事情に、自然と想像力を働かせることができるのでしょう。
その姿勢は、まさに仏教の「縁」を感じ取るまなざしにも通じるのではないでしょうか。
インタビューの途中、会話はふと、日本語へと移っていきました。
けれどもそれは流暢な日本語一色というのではなく、英語と日本語が入り混じる、なんとも温かな「ちゃんぽん」の会話でした。
筆者が「これから日本語で話しましょうか」と笑いながら切り出し、「簡単なことは話せるけど、難しい言葉になるとちょっと困るね」と笑顔でおっしゃる様子に、私はとても親しみを覚えました。
その混ざり合いそのものが、アキラさんの人生を表しているように思えたのです。
どちらか一方ではない。日本語だけでもなく、英語だけでもない。そのなかに立ちながら、両方を自分のものとして生きてきた方の言葉でした。

「子どもを信頼する」という教え
『慈光』の記事でも触れた、ご両親の子育てのエピソードは、深く心に残りました。
高校生の頃、アキラさんが大麻を吸っているところを父親に見つかったことがあったそうです。
日本から渡ってきた一世の親にとって、アメリカの若者文化は理解しやすいものではなかったはずです。厳しく叱られても不思議ではありません。
しかし、父親は頭ごなしに否定しなかったといいます。アキラさんは、そのことを振り返ってこう話されました。
「親は、子どもが自分で経験して学ぶことを信じていたんだと思います」
そして、ご自身の子育てについても、
「だから自分も、子どもたちには同じように接してきたと思います。親がすべてを決めるのではなく、信頼すること。それが大切なんです」
と語られました。
また、音楽の道に進んだときも、ご両親は止めなかったそうです。
「何をしても支えてくれる親がいることは、本当に特別なことだと思います」
母親は演奏を聴きに来てくれたり、父親は若い頃のバンド活動を、機材を車で運ぶなどして支えてくれたのだそうです。
家のなかでドラムの練習をしていても、台所で料理をしながら、あるいは部屋で執筆をしながら、その音を受け止めてくれていたといいます。
人を導くとは、その人を思い通りに形づくろうとすることではないのでしょう。その人のなかにあるものを信じ、失敗も含めて、その歩みを見守ることなのでしょう。
そこに、仏教が教える慈しみの実際があるように感じました。

音楽は、人生そのものを映す
インタビューの終盤、私は少し遊び心を込めて、「今日のこの会話を、もし音楽のタイトルにするとしたら何ですか」と尋ねました。するとアキラさんは少し考えてから、こんなふうに答えてくださいました。
「Nostalgia、懐かしさかもしれませんね。あるいは Gratitude、感謝でもいい」
そして、こう続けられました。
「自分の人生や歴史、音楽を通した人とのつながりを話していると、やっぱり感謝になるんです。いまもそれを話せることへの感謝ですね」
その言葉を聞いたとき、今回のインタビューの全体が、ひとつの音楽のようにも思えてきました。音楽の話をしていたはずなのに、気がつけば家族の話になり、歴史の話になり、祈りの話になっていたからです。
アキラさんは、最後にこんなことも話してくださいました。
「いろいろな音楽を経験してきたことが、自分をつくっているんです。ひとつの音楽しか知らないと、見方が狭くなってしまうことがある。それは人生と似ています」
この言葉もまた、深く心に残ります。音楽とは音だけのことではなく、生き方そのものを映しているのかもしれません。

音の奥で息をしているもの
OTONOWAの音楽、そこには、仏教の家に生まれたひとりの音楽家の歩みがありました。
日系人としての歴史がありました。家族が語らなかった沈黙がありました。そして、親に信頼されて育つことのぬくもりがありました。
懐かしい童謡がジャズとして響くとき、それは単なる「面白い試み」では終わりません。
そこには、故郷へのまなざし、世代を超えて受け継がれてきた記憶、そして言葉になりきらない祈りが流れています。だからこそ、聴く者の胸の深いところにまで届いてくるのでしょう。
私が『どんぐりころころ』を思わず口ずさんでしまったのも、その歌が単に懐かしかったからだけではないのかもしれません。
その旋律の奥に、人の歴史や家族の記憶、見えない祈りのようなものが静かに息づいていたからこそ、心が先に動いてしまったのでしょう。
OTONOWAの演奏には、どこか安らぎがあります。しかし同時に、ただ優しいだけではない、深い余韻があります。
音の向こうにたくさん折り重ねられている人生。アキラ・タナさんの言葉を伺いながら、私はあらためて、音楽とは人生そのものなのだと感じました。
懐かしい旋律が、異国の地でジャズとしてよみがえるとき。そこには、過去を懐かしむだけではない、いまを生きるための力があります。祈りにも似たその響きは、これからもきっと、多くの人の心の奥に静かに流れ続けていくのでしょう。

次回のカルチャーブリッジは、佛心会員季刊誌7月号に掲載される記事を深掘りしていきます。お楽しみに。
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