➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出会いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
30年以上、日系スーパーの前で月に1回開催されていた古本市が閉店になりました。そこでの様子とそこでの人間模様を語っています。(第59話『小さな商店に宿る、見守りの灯』)はこちらからご覧ください。
当たり前の中に宿るもの
60話目の節目に
今年も早いもので、残り1週間ほどとなりました。
この連載をはじめて2年目も、今回で一区切りとなります。更新ペースを落としながらの執筆となった1年でしたが、気づけば節目となる60話目。継続することの尊さを、改めて噛みしめています。
毎年、日本へは年に2度ほど、おもに母の様子を見るために帰省していますが、今年は諸々の事情が重なり、1年ぶりの帰省となりました。
そんな久しぶりの日本滞在のなかで、改めて感じた日本文化、日本人のあり方について、今回は綴ってみたいと思います。
長い移動の中で、身体に耳をすます
サンフランシスコ空港から日本までは、直行便でおよそ12時間。帰りでも10時間近くかかる、非常に長いフライトです。
そのフライトのなかで、私が最も心がけていること。それは、機内での体調管理です。
気圧の影響でか、機内食のあとに腹痛を起こしたり、腹部の膨満感で眠れなかった経験を重ねるなか、いまは事前に機内食を抜く申し込みをすることが、自分の身体には一番負担が少ないと気づきました。
食べない、という選択もまた、自分の身体の声に耳を澄ますこと。
機内食を抜いても、飲み物やスナック、到着前の軽食はいただけるため、ほとんど体を動かさない機内では、それがいまの自分にとっての最善だと感じています。
日本に降り立って、まず感じること
ささやかな所作に現れる、日本文化の底力
日本に到着して、まず感じるのは、空港の清潔さと、匂いのなさでした。
床や壁が磨き込まれているだけでなく、空間そのものが整えられている印象があります。
預け荷物を受け取るベルトコンベアーには、荷物の取り間違いを防ぐための注意喚起の看板が立ち、細やかな配慮が至るところに見られます。
また、エレベーターに乗り込むときに自然に交わされる会釈。後から乗る人のために扉を開けて待っていたり、誰かが先に降りるときに軽く頭を下げ合ったり。
言葉はなくとも、目線だけで「どうぞ」「ありがとう」と伝え合う、あの一瞬。
そこには、相手を思う気遣いの姿勢が、静かに息づいています。
今回の帰省では、久しぶりに会う方、初めて会う方など、たくさんの交流がありました。
そのなかでいただいた、心づかいのこもった手土産。可愛らしく、美しいパッケージやものの形、ご当地自慢の品々。
それらを手にするたび、日本人の持つ手先の器用さや、相手に対する心遣いを感じ、ありがたさと同時に、「すごい文化だなぁ」と、しみじみ感動しました。
日本にいて息苦しさや生きづらさを感じ、飛び出したのは25年以上も前のことです。
けれど、日本に暮らしていれば「当たり前」として見過ごしてしまう光景も、海外に長く身を置いていると、それが決して当たり前ではないことに気づかされます。
こうして帰ってくると、それらは心地のいい日本文化の特色であり、長所であり、強さなのだと実感します。

変化の影に見えた、小さな違和感
一方で、相反して気づいたこともありました。
電車などで、われ先に席を争う姿や、歩きスマホで周囲に気づかない人々の存在です。
仕事などで周囲に気を遣い続け、疲れているからこそ、「せめてこの時間だけは」という思いもあるのでしょう。
最近読んだ記事では、日本の若者の間で、将来への不安から結婚や子どもを持つことよりも、「自分のことだけを考えて生きたい」と考える人が増えているともありました。
思わず、「日本は捨てたものではないですよ」と伝えたくなる、そんな気持ちにもなりました。
また、高齢化が進む日本では、郊外を中心にタクシーの数が減り、呼んでもなかなか空車がない場面も増えています。
一年前に比べても、確実に郊外のタクシーが減ったことを、今回の帰省で実感しました。
変わりゆく日本の風景――インバウンドと共に
滞在中に強く感じたことのひとつは、インバウンドの影響です。
行きの機内も帰りの機内も、日系航空会社でありながら日本人の姿は少なく、周囲からはさまざまな外国語が聞こえてきました。
沖縄へ向かう国内線でも、周囲を見渡すと日本人以外の方が大半を占めていました。
日本はいま、確実に変化のただ中にあります。
どのお店やホテルでも、日本語を流暢に話す外国人従業員のイントネーションも耳に入り、日本が世界で第4位の移民受け入れ国になったという事実を、肌で感じる場面が多くありました。
海外の視点が映し出す、日本人の生き方
今年は、日本を訪れた同僚も多くいました。
彼らから必ずと言っていいほど聞かれたのが、食事のおいしさ、清潔さ、サービスのよさ、そして歴史的建造物や観光施設の充実ぶりでした。
ほめられると、やはりうれしいものです。そのなかで、特に私の心に残った感想がありました。
ある同僚は、こんな話をしてくれました。
「どう見たって、80歳近いか、それ以上に見える人が、颯爽(さっそう)と自転車に乗っているのよね。入った食堂を経営しているご夫婦も、たぶん80歳くらいだと思うけど、とにかく元気。私なんて、まだ50代半ばなのに、ちょっと歩いただけで疲れたって文句を言ってる。見習いたいと思ったわ」。
食事やサービスをほめられるのもうれしいのですが、この言葉は、それ以上に印象深く残りました。
そこには彼女の、日本人の「生き方」そのものを見つめるまなざしがあったからです。

母と歩いた、秋の三溪園
今回の帰省で、もうひとつ心を打たれたのが、日本の四季の美しさでした。
毎年この時期に帰省するのは、日本の秋と冬を感じたいという思いもあるからです。
福厳寺でのあきば大祭があることから、今後もこの時期が恒例の帰省になっていくのかもしれません。
帰省するたびに、母が密かに楽しみにしているのが、私との小旅行です。今回は横浜に2泊の旅をし、その際に訪れたのが三溪園でした。
ちょうどイチョウが見頃を迎え、園内は柔らかな黄金色に包まれていました。
足元に重なり合うイチョウの葉の感触。風が吹いた瞬間に舞い落ちる葉のなかに立っていると、まるで黄金のシャワーを浴びているようでした。
ゆっくりと歩く母の隣で、その景色を眺めながら、同じ季節をともに味わえる時間の尊さを、静かに感じていました。
日本の四季は、ただ美しいだけでなく、「いま、この瞬間」を大切に味わう心を、思い出させてくれます。


仏教と、日本文化の重なり
慈悲のありかたとは?
仏教には、「慈悲」という教えがあります。
それは、ただ優しくすることでも、相手の苦しみを取り除いてあげることでもありません。
相手の存在をそのまま認め、その人が自分の人生を生きていく力を奪わないこと。逃げずに、現実と向き合うことを信じて待つこと。
仏教で語られる慈悲とは、そうした静かで、芯のある関わり方です。
日本文化の中に見られる多くの所作やふるまいは、この慈悲の感覚と、深いところで重なっているように感じます。
エレベーターで交わされる会釈。手土産に添えられる控えめな言葉。過剰に踏み込まず、しかし見捨てもしない距離感。
そこには、相手を変えようとせず、相手の人生を尊重する姿勢があります。
年齢を重ねても日々の営みを大切にする人の姿や、四季の移ろいを味わい、今この瞬間に心を向ける在り方もまた、無理に抗わず、現実を引き受けるという意味で、慈悲の一つの形なのかもしれません。
また仏教では、「無常」が説かれます。
すべては変わりゆくという事実を、嘆きとしてではなく、だからこそ、いまを大切に生きるための智慧として受け取る教えです。
三溪園のイチョウが、やがては散り、枝だけになることを知っているからこそ、黄金色に輝くその一瞬が、これほどまでに心に残る。
それもまた、無常を受け入れるなかで育まれる、慈悲の感覚なのだと思います。

守るべきものは、静かなところに
日本に帰省し、文化や人のあり方、そして季節の美しさに触れるなかで感じたのは、守るべきものは、目立たないところにこそ宿っている、ということでした。
海外、特に欧米文化が格好よく魅力的に映ることも多いと思います。
けれど日本には、他の国にはない、控えめで、目立たないけれども、守っていきたい文化があります。
海外に住む日本人も、日本に住んでいる方々も、そこに視点を移してみることで、見えてくるものがあるのかもしれません。
来年もまた、変わり続ける世界のなかで、小さな気づきを大切にしながら、この連載を続けていけたらと思います。
今年も連載をお読みくださいまして、ありがとうございました。みなさまがよい年を迎えられますことを、心から願っております。
2026年最初の投稿は1月19日(月)夜7時を予定しています。
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