➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出会いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
5月の「メンタルヘルス月間」を受けて、職場で開催された、職員と患者のための「メンタルヘルスラン」について語っています。(第51話『鼓動と共に歩む〜Turn Awareness into Action⓶〜』はこちらからご覧ください)
「ヴァレーホ」という町を知っていますか?
今回は、私の住む町の紹介から、アメリカのリアルな姿に迫ってみたいと思います。
みなさんは、カリフォルニア州の州都がどこかご存知ですか?
ロサンゼルスやサンフランシスコだと思われている方も、きっと多いことでしょう。確かに、あの華やかな都市たちの方が、首都っぽく思えます。
しかし、カリフォルニア州の州都はサクラメントです。
サンフランシスコから北東におよそ140キロ、内陸に位置するこの街は、州議会や知事官邸のある政治の中心地として知られています。
実は、サクラメントが州都に決まるまで、短い間だけカリフォルニア州の州都だった町がふたつあります。
そのひとつが、私がいま暮らしている、Vallejo(ヴァレーホ)という町です。
ヴァレーホは、カリフォルニア州北部のベイエリアの、北東端に位置する港町。サンフランシスコから北東へ40キロほどの、「ノースベイ」と呼ばれる地域に属します。
サン・パブロ湾に面し、ナパやソラノ郡と隣接しており、隣にはもうひとつの元州都、Benicia(ベニシア)もあります。
サンフランシスコからフェリーでもアクセス可能な、湾岸都市のなかでも郊外寄りのロケーションにあるヴァレーホは、観光地でもなく、有名な都市でもない、ベイエリアのちょっと地味な存在。
とはいえ、なかなかユニークな歴史や文化背景を持った町です。
丘と水辺が混ざる地形で、湾に流れ込むナパ川の河口に広がっており、風通しがよく開放感に満ちています。
気候も、カリフォルニアらしい地中海性気候で、一年を通して比較的穏やか。雨がほとんど降らない夏は、平均25〜30度ぐらいまで気温が上がり、近年では30度以上になる日も多くありますが、湾から吹く風のおかげで朝晩はとても涼しく感じられます。
冬も平均10〜12度前後と温暖で、雨が多いものの、雪が降ることはほとんどありません。
春や秋の気候も穏やかで、朝晩の寒暖差にさえ気をつければ、一年を通して比較的心地よく過ごせる町です。

一瞬の州都、はかない夢
1852年、ヴァレーホが州都になったのは、当時の知事であったマリアノ・グアダルーペ・ヴァレーホ将軍が、土地の提供を申し出たことがきっかけでした。
将軍の名がそのまま町の名になったこの地は、カリフォルニアの未来を託すにふさわしい可能性があると、大いに期待されました。
しかしその夢は、あまりにもはかないものでした。わずか1カ月で州都の機能は隣町のベニシアへ移され、その後すぐに現在のサクラメントへと定着したのです。
栄えて、崩れて、それでも生きている
ヴァレーホは、造船の町として栄えた時代もありました。
1854年に、アメリカ西海岸初の海軍造船所「メア・アイランド造船所」が開設、町は軍とともに発展しました。特に第二次世界大戦の頃は、ここで働くために多くの人が集まり、町は活気に満ちていたといいます。
でも、それも長くは続きませんでした。
造船所が閉鎖された1996年以降、町の経済は一気に冷え込み、2008年には全米で初めて財政破綻を宣言した町になったのです。
そして、20年近く経つ現在でも、回復の兆しはとても緩やかだと感じます。
さらに、警察官の人数が足りないばかりか、彼らの質にも問題があり、それが治安の悪化を招いているといわれています。
いまでも「治安が悪い町」として名前が挙がることがよくあります。確かに、町の中心地では、銃を使った事件や事故が、時折、勃発しています。私も夜に町の中心に行くことは、ほぼ皆無です。
多様な人々と、“ギリギリで暮らす”リアル
この町には、フィリピン系の住民がとても多いです。かつてフィリピンはアメリカの植民地でした。そのため、多くのフィリピン人が、海軍造船所で働くためにこの地に移住して来たのです。
そして、造船所が閉鎖された後も、すでに定住したフィリピンの人々は、親族や知人を呼び寄せ、コミュニティを広げていきました。
文化的な支え合い、宗教や言語の共有などが形成されたヴァレーホは、彼らにとっての安住の地だったのでしょう。実際、フィリピン料理店、食材店…など、地元に根ざした店がここにはたくさんあります。
また、最近では台湾系のスーパーもオープン。ここでは日本の食材も手に入るので、私は橋向こうの店まで行くかずに済み、とても便利になりました。
ほかにも、ラテン系、アフリカ系、白人、アジア系と、この町の人種は実に多彩。スーパーやレストランでは、いろいろな言語が聞こえてきます。言葉が違っても、誰かが誰かを避けるわけでもなく、なんとなく自然に混ざっている感じがあります。
このように、歩いていると「ここはどこ?」と思うくらい、日常のなかに多様な文化が溶け込んでいます。
そして、この“ゆるやかな共存”こそが、ヴァレーホらしさのひとつだといえそうです。
最近では、サンフランシスコやオークランドから、物価高騰に苦しんだ人々が引っ越してくるケースが増えていると聞きます。
ヴァレーホはベイエリアのなかではまだ地価や家賃が安めなので、「ここなら暮らせるかも」とやってくるようです。けれど、移り住んできた人が安心して根を下ろせるようなサポートは、まだまだ充分とはいえません。
増えていくホームレス、増やさないためのまなざし
こうした背景もあってか、町のあちこちで、以前にも増してホームレスの人を見かけるようになりました。
道路脇にテントが並び、車のなかで暮らす人も少なくありません。
そんな姿を見るたび、やるせなさと、「これは他人事じゃないんだ」という気持ちが交差します。
もしかしたら、何かひとつの事情が少し違っていたら、私もあのなかにいたかもしれない…。
そう思わせる現実も、ここにはあります。
それでも、温かいこの町の顔
そんなヴァレーホにも、ホッとできる場所はたくさんあります。
自然豊かな森林のハイキング。お気に入りのタイ料理や、韓国料理のレストラン。いつもフレンドリーに迎えてくれる昔ながらのブレックファーストカフェ。
週末に開かれるダウンタウンのファーマーズマーケットでは、新鮮な野菜や果物、パン、地元のハチミツ、手づくり石けんやアクセサリーなどのショップが並びます。
この季節だと、行く店々で味見させてくれる、新鮮な果物やハマス(ひよこ豆のディップ)とピタパン。買い物が終わる頃にはお腹も買い物袋も大満足(笑)! そんな気のおけない風景がここにはあります。
犬を散歩させる人たち、目と目が合うと軽く笑顔でうなずくお年寄り。なんでもないようで、とてもホッとする情景です。

ヴァレーホは、実はアートやミュージックが盛んな町でもあります。月に一度、ダウンタウンでは「アート散歩」と称して、たくさんの手づくりアクセサリーや絵画などが展示され、販売されます。
ライブ音楽も路上で演奏。屋台も出るなど、とても賑わいます。
そして、グラミー賞を受賞した歌手のH.E.Rはこの町の出身です。
それから、忘れてはいけないのが、ダウンタウンに佇む、Empress Theatre(エンプレス・シアター)。
1912年に建てられた歴史ある劇場で、クラシック音楽のコンサートやジャズナイト、映画の上映、コミュニティの催しなどが行われています。内部はリノベーションされて美しく保たれており、古き佳きアメリカの面影が残っています。
この劇場は、町の人たちが芸術や文化に触れることができる貴重な場所。きらびやかな都会の大劇場とは違うけれど、ここには「文化を絶やさない」という思いが生きているように感じます。

さらにさらに、もうひとつ。この町には、子どもたちや家族連れの笑顔が集まる場所があります。
それが、Six Flags Discovery Kingdom(シックス・フラッグス・ディスカバリー・キングダム)という遊園地です。絶叫マシンのスリルと、イルカやライオンなど動物たちとのふれあいが一度に楽しめるこのテーマパークは、地元の人はもちろん、ベイエリア各地からの来場者にも長年親しまれてきました。
近年は少し活気が落ち着いたようにも感じますが、それでもヴァレーホの数少ない家族向けレジャースポットとして、大切な存在であり続けています。

名もなき町の、名もなき声に耳をすます
ヴァレーホは、有名な観光地でもなければ、ハイソな街でもありません。でも、確かに、ここには“生きている人たちの声”があります。
歴史に名を刻まなかった町の、注目されない現在の姿のなかにも、ちゃんと物語がある…。
私はそんなふうに、この町を見ています。
整っていなくても、不完全でも、ここの町にも今日を生きる人たちの姿があります。
決して派手ではないけれど、それぞれの場所で静かに踏ん張りながら、家族を支え、隣人と助け合い、小さな幸せを見つけようとする日々があります。
そうした営みの一つひとつが、この町の時間をつくっているのだと思います。
きれいごとでは語れない現実のなかで、それでも前を向いて暮らしていく。それが、「逆境を生きる」ということなのかもしれない…。そんなふうに、この町に教えられています。
次回は、今年初めて職場で患者のために開催された、Juneteenth(ジューンティーンス)のブロックパーティイベントについて語っていきたいと思います。(更新は7月14日夜7時)
記事の一覧はこちら
Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その⑳】
ヴァレーホの地も、アメリカの他の土地同様に、かつてはPatwin(パトウィン族)などアメリカ先住民が暮らしていた土地です。市内の高級住宅地として知られるGlen Cove(グレン・コーブ)は、先住民にとっての埋葬地を含む聖地であり、長年にわたり儀式の場として使われてきました。しかし、19世紀以降の土地開発により、多くが略奪されました。
「ヴァレーホ」という地名は、スペイン語を話すメキシコ人将軍、マリアノ・グアダルーペ・ヴァレーホに由来します。スペインの支配を受けていたカリフォルニアは、1821年、メキシコがスペインから独立したのに伴いメキシコ領になり、1848年の米墨戦争後にアメリカに編入された歴史があります。このような背景から、現在の地名や文化には、メキシコ統治時代の名残りが多く見られます。
(感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)
コメント