大愚和尚

vol.1「なぜ『処方箋』なのですか?」今こそ聴きたい!大愚和尚の一問一答

YouTube「大愚和尚の一問一答」はこの度、チャンネル登録者数が50万人を突破しました。

スタート以来、多くの皆様にご視聴いただきましたが、リピーターまたクチコミで拡散くださる様子には、現代人の心のよりどころとして役立っていることを感じてなりません。

今回は、「今こそ聴きたい!大愚和尚の一問一答」として、疑問のあれこれをまとめました。

シリーズ第一弾は、大愚和尚へ直撃インタビュー「なぜ『処方箋』なのですか?」ーーー「処方箋とは医師が出すものなのに、なぜ?」と疑問に思いませんか?大愚和尚に真意を聞いてみました。  

お釈迦様は、医師のように

Q:「処方箋」といえば、一般的には医師が出すものという認識だと思いますが、なぜ一問一答のお答えに「処方箋」と名付けられたのでしょうか?

面白い質問ですね。もともとは無意識で言葉を使っていたのですが、以前コメントで「処方箋は医師しか書けないはず」との書き込みを目にして、「そういえば無意識でつかっていた」と気づき、それを考えるうちに理由が明確になりました。

YouTubeチャンネルの名前は「大愚和尚の一問一答」ですから、私自身の考えや意見を話すこともあります。しかし、ベースは仏教の教え、つまり「お釈迦様が説かれた教え」です。

「獅子吼(ししく)」ライオンがほえると皆が黙る様から、お釈迦様の教えには反論の余地がない意を表す

お釈迦様は悟りを開いた後、旅をしながら人々の苦しみを解放するお手伝いをしていました。

お医者様が、体の現実を見て科学的に分析をし薬を処方するように、お釈迦様は、私たちの心に何が起きているのかという現実を見極め、人々にどう生きるべきかという教えを処方したのです。

その姿から「医王(いおう)」との別名があったといいます。

撮影前に御本尊に向かって礼拝(らいはい)をする大愚和尚
 

私は今、皆さんの苦しみに対して根本治療を施すために、お釈迦様に代わってその教えを処方する立場をもったいなくもいただきました。

そうした気持ちが、無意識に「処方箋」という言葉を選ばせたのだと思います。

教えは、「真理」

さきほど、「ベースはお釈迦様が説かれた教え」といいましたが、これは「お釈迦様の個人的な意見」ではありません。その教えは「真理」「世の中の法則」を指します。

では、真理とは何か。「法則」の「法」という漢字は、さんずい(水)に「去る」と書きます。水はどこからどこへ流れるのでしょうか。そう、上から下に流れますよね。これは重力が働いているためです。

重力を発見したのはニュートンだといわれていますが、ニュートンはあくまで定理にしただけで発見したわけではありません。そのずっと前、人間のいない時代から重力はあったのです。

なぜなら、それは人間でなくてもわかることだからです。犬でも、口にくわえている獲物をぱっと離せば下に落ちることを知っていますよね。

このように、時代や場所が変っても決して変わらない原則、それが「真理」です。

真理を突きつけ、生き方を処方した

お釈迦様の教えに、三宝印(さんぼういん)や四宝印(しほういん)という真理があります。

諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)という3つの真理に、一切皆苦(いっさいかいく)を足して4つにしたものが「四宝印(しほういん)」です。

例えば、「諸行無常」をわかりやすく説明すると、誰しも永遠に18歳でいたいと思いますよね?でもそういうわけにはいきません。28日周期で体の細胞はどんどん生まれ変わり、刻々と変化して、誰しもが死滅に向かって生きています。

つまり、「諸行無常」とは、世の中のありとあらゆるものが、同じ状態で永遠に続くということはないということです。

「こんな悲しい真理を突きつけるなんてひどい」と思われるかもしれません。しかしお釈迦様は、「こういう現実をあなたたちは生きているのだ」と現実を見据えた上で、「今日どう生きるかを考えよう」と、その生き方を「処方」したのです。

「処方」は「説得」ではない

ところで私は、「説法」という言葉があまり好きではありません。というのもお釈迦様は、あくまで「処方」をしたわけで、「説得」したわけではないからです。

「我は、 良医の病を知って薬を説くが如し。服すと服せざるとは医の咎にあらず 」(われは、りょういのやまいをしってくすりをとくがごとし。ふくすとふくせざるとはいのとがにあらず)

「私は、名医が薬を処方するのと同じように、悩みの原因が何かを分かって説法するのである。しかしその薬を飲むか飲まないかは医者の責任ではない。飲む人の問題である。」

これはお釈迦様の言葉です。

つまり、「私の責任じゃないよ」といっているわけです。いってしまえば、責任逃れですけども、これはちゃんと経典にでてくる言葉ですからね。お釈迦様の教えで、苦しみを解放できるかどうかは受け取る側次第ということなのです。

一問一答は、自分で越えていくもの

一問一答は現在、2000名以上の方々にお答えをお待ちいただいている状態です。よって3、4年前のお悩みを、今やっとお答えすることもあります。

そうなると、お悩みを送ってくださった本人が見ていないことも考えられますし、むしろそのお悩みはすでに解決しているかもしれません。

というのも、いつ返ってくるかわからない答えをただ待っていても仕方がないですからね。
皆さん自分の悩みと類似した質問を見ておられるのですよね。そして面白いことに、質問者以外の人からお礼のお手紙をいただくことも多いのです。

このように一問一答は、皆さんが「自分で乗り越えていく」という新たな側面があります。一人一人のお悩みに対して答えない、そういった「余地」があることは大切だなと、のらりくらりとやらせてもらっています。

取材を終えて

「薬を服用するかどうかは、自分次第」。この言葉を聞き、私は思わずハッとしました。

お医者様を信じ、処方されたお薬をなんの疑いもなく飲む私は、「自分の未来を自分で決めてこなかったかもしれない」と思ったのです。

確かに、私は何かに悩んだ時「誰かに答えを教えてほしい」と思う節があります。

しかしそんな私にも、自分で決める余地を与え、日々鍛錬させてくれるのが「大愚和尚の一問一答」です。他の誰かの悩みと答えを聞くという、自分との絶妙な距離感が、「自分ならどうだろう」という思いに自然と至らせてくれます。

悩みに対して答えないーー本末転倒のようですが、まさに大愚和尚がいうところの「のらりくらり」、つまり余白のあるところが、YouTube「大愚和尚の一問一答」の人気の秘訣なのかもしれません。

桐嶋つづる