寺町ニュース

書道 vol.4:最も上達する練習方法とは?

本日の学び

「”直せない”って、これが書道の魅力ですよね。」

本日の学びは、「練習」です。

「本番」こそ、一番の「練習」

私の書道の先生は20代のころ、書の道を究めるために東京の大学に入学され、書道漬けの日々を過ごされていたそうです。

その後、お寺に嫁ぐことが決まり、先生の生活は一変しました。お寺には、毎日様々な人が、様々な理由で訪れます。その人たちを、区別することなく迎え入れるのは、それだけでもたくさんの時間と気配りが必要です。そのうえ、幼稚園を経営することになり、その運営にも奔走されていたそうです。当然、書にかけられる時間は少なくなりました。

しかし、先生の書は、お寺の生活の中で開花したといいます。なぜでしょうか。

それは、上達のために、本当に大切なのは、「本番があるかどうか」だから。

「お寺に来てから、筆を持つのはほとんど本番のときでした。」先生は、こうおっしゃいました。

御塔婆や御位牌といった、書き直すことのできない本番の書が、お寺では唐突に求められます。さらに、それらはご遺族の方々にとって、亡くなった家族そのものです。御塔婆を見て、御位牌に手を合わせて、亡くなった方を思い出します。そして、自身の生きる力に変えていきますから、刻まれた文字というのはただの墨の線ではなく、生と死をつなぎ、お互いを養いあうための道となります。

半紙を何枚束ねても比較することができない重みが、その一筆にかかっているということ。その事実と真剣に向き合うことで、先生の書は上達したのです。

さらに、書以外の寺務作業が、結果的に書に生きる事にもなったそうです。

「目の前に降りてきたことに、全力で対処していく」という心の在り方、身体の使い方が、やがて自分の書に現れてくるようになる。

つまり縁起によって、私が形成されるということです。お寺での生活が、あらたな先生の在り方を築き、新たな先生の書を築いたのです。

「縁起」という教え

上の動画では、師匠が「縁起」についてお話されています。この縁起を意識することが、より良い出会い、恋愛や結婚につながるということです。しかし、先生のご経験を伺うと、「自分の役割を果たすこと」は、恋愛に限らず、自分の目標や夢を実現させていくきっかけになるのだと分かります。

まとめ

上達の秘訣は、「本番を経験していくこと」と、「目の前の自分の役割を果たしていくこと」です。

前者は、一見矛盾しているようですが、人生を長い目で見たときに、一つ一つの本番が、成功失敗に関わらず、のちの成長につながっていくということです。

後者は、何か上手くなりたいと思い、練習しているときには、遠回りなように思えます。しかし、自分に関係ないと決めてしまうことで、そこから得られる学びや気づきを逃すことになります。その学びこそ、現状を突破し、次のステップに進むためのカギになることがあるのです。

私自身、練習と本番であれば、練習のほうが気が楽で、本番は怖いと思ってしまいます。しかし、その一時の恐怖を乗り越え、挑戦することの意味を、今回は痛感しました。

また、目の前のことから逃げずに役割を果たしていくというのも、やはり失敗の恐怖や不安を感じたり、面倒に思ったりする自分がいます。その自分の心の様子を観察しながら、目の前の学びを得ていきたいと思います。

先日はチェンソーで丸太を切るという経験をしましたが、「真上から見る」という感覚が、書道の時の姿勢と共通していると感じました。チェンソーの刃を、ブレずにまっすぐにあてられるようになった時、私の字も一本芯が通るようになるのではないかと想像しました。どこで、どうやって学びがつながっていくのかを楽しみながら、様々なことに取り組んでいきたいです。

本日もありがとうございました。

洞貫 善龍

ABOUT ME
知哲(ちてつ)
寺町新聞編集長。ナーランダ出版社長。モチモチの大きな手からは想像できない、繊細な表現を得意とする。佛心宗福厳寺の僧侶であり、映像クリエイター。さらに、グラフィックデザイナーとしても佛心宗の各種取り組みに関わる。YouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」では企画運営を担当。好物は里芋の煮っころがし。
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