先日、脳科学研究者で東大教授の池谷裕二(いけがや ゆうじ)先生の市民公開講座「脳科学の達人」に参加する機会がありました。
スピーチの中で人間の視覚センサーの働きを示す、ある実験の話がありました。被験者の前にモニターを置き、左側に赤、右側に緑と画面を2分割します。真ん中に仕切りを挟んで右目と左目の視野が交差しないように設定します。
つまり、左目には赤を見せ、右目には緑を見せるのです。そして、被験者に聞きます。「何色が見えますか」と。
答えは「黄色」。
人間は勘違いをしている
外の世界に黄色は存在していないのに、脳の視覚センサーの働きでそういう風に見える。「人間は実在していないものをありありとそこに存在するがごとく見ている」という先生の言葉に、私は考えさせられました。
池谷先生は「このケースで言うと、黄色とは幻覚なんです。」とキッパリといいます。
池谷先生は、続けておっしゃいます。「私たち人間の目には極々一部の光しか見えていない。にも関わらず、私たちは世界の全てを見ているかのような勘違いをしている。人間とはそういう生き物なのである」と。
言い換えれば、人間は物事の全体像を感知することができない、ということでしょうか。不可視光線の方が可視光線よりはるかに膨大なのに、私たちは、それに気づかない。私たち人間の感覚世界がいかに狭きものかを、大変分かりやすく説明されていました。
私たちは太陽光の光の中で日常を過ごしています。太陽光は一見無色透明に見えますが、実は7色の集合体です。そして、光は電磁波ですから様々な波長を含んでいます。その混ざり具合によって物は様々な色に見えます。
色の見える仕組みは、光と物と観察者の3つがあって成り立ちます。ですから、この3つのいずれかが変われば違った色に変化します。ここで大事なのは同じ光でも観察者が変われば色=知覚が変わる可能性は大いにあるという点です。
それを前提と知った上で世の中を眺めてみると、「自分が正しい」とか、「これが絶対」とか、そういうことは言えないなあ、ということが分かります。そして「私にはこういう風に見えますが、でもあなたには違って見えているのも分かっています。」というニュートラルなスタンスに立てると思いました。
お陰様のお陰で
私はあえて、〝こういう風に〟、と風という文字をあてはめてみました。それは、風(かぜ)というのは、空気の働きによって四方八方にどうとでも向きも強さも変わる性質だからです。
目に見えない風の力を心の働きと捉えてみると、こっちから風が吹いたらこういう風に見え、あっちから風が吹けば、こんな風に世界が見える、となります。私たち人間の世界観は何とも心もとないことでしょう。
『違う光を当てて物を見ると、全く違って見える』ということのよい例として、池谷先生は紫外線カメラで撮影した花の映像を見せてくれました。その花の写真が私たち人間の目に映る花よりはるかにキラキラしてきれいなことにびっくりしました。
この話はダークマター、ダークエネルギーの存在にも通じると言えます。夜空を見上げると無数の星が輝いています。私たちは、星の一つ一つをきれいだなあと、目に見える星にフォーカスしますが、実は星の周りの黒い部分、ダークマター、ダークエネルギーの方が実ははるかに大きくて強力な存在です。
近年、宇宙の星と星の間の目では見えない宇宙空間はダークマター、またはダークエナジーという暗黒物質で満たされていて、これが星を光らせている重要な役割をしていると、注目が集まってるようです。
星を定位置に保ち、銀河を形成できるのは、ダークマター、ダークエネルギーがあるからだということは確かなようです。
これはそのまま、人間世界にも当てはまると思っています。私たち個々の生命はもちろん、森羅万象が存在していられるのは、お陰様=ダークマター、ダークエネルギーのお陰ではないでしょうか。
「お陰様で」という言葉は日本を知る上で、キーワードと言ってもいいでしょう。日本では、ほとんど挨拶言葉に近いともいえます。それくらい、真っ先に口から出る、日本独特の表現だと思います。
「陰」という言葉は、日本では古来から神様、仏様、ご先祖など、目には見えないけれど陰からしっかり支えてくれている、そういう有難い存在を意味します。
見えない存在、空間にスポットライトを当てる。それが日本人の古来からの視点です。今の状態で生きていられるのは常に守ってくれて、助けてくれる様々な存在があってこそと認識していないと、出てこない言葉、それが「お陰様」。
今生きていられるのは自分以外の保護があるお陰だと感謝を表す、深い言葉だと思います。
私は、「お陰様で」という謙虚で美しい言葉が大好きです。
天野瀬捺