逆境のエンジェル

逆境のエンジェル(第15話) 刑務所勤務の経験

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 結婚後、夫婦の価値観の違いによる摩擦や、困難を極めた夫の再就職、ようやく雇用された北カリフォルニアでの教職の仕事、そして大きなトラックを運転しての大冒険を語っています。(第14話『結婚後のチャレンジ』はこちらからご覧ください)

最高レベルのセキュリティが設けられた刑務所

 北カリフォルニアのベイエリアへの引っ越しは、私にとって新たな社会問題に出会い、学び考える転機となりました。私の転移先は、刑務所内にある州立の司法精神科病院で、片道120キロの距離を、約2時間かけて通勤しました。

 この刑務所は最高レベルのセキュリティ、レベル4に位置づけられ、職場への服装もこれまでのカジュアルなスタイルから、よりフォーマルなものへと変わりました。

 特に、白、青、デニムの衣服は厳禁で、露出の少ない上着が求められました。これらの色や素材が禁止されているのは、受刑者の制服と区別するためで、遠くからでも職員と受刑者を見分けられるようにするための措置です。

 また、受刑者がすべて男性であるため、特に女性職員の服装には、露出度に関して厳しい制限が設けられていました。

職員も疑われている!?

 職場への入場プロセスは、毎日の独特の儀式のようなものでした。最初のゲートを通過すると、すぐに警察の検問所があり、車のトランクや窓を開けるよう指示されます。着替えの持ち込みは禁止され、車内にはつねに必要最小限のものしか置いておけません。

 これは、着替えが受刑者の手に渡り、脱獄に利用されることを防ぐためです。刑務所内ではこうした厳重なチェックが行われ、何か違反行為をしていないか、つねに職員が疑われるような独特の雰囲気が漂っていました。

 第1ゲートを抜け、車を停めた後は、カバンや服装の点検が行われます。携帯電話や電子機器の持ち込みは禁止され、緊急連絡は職場のオフィスの電話を使用するしかありません。携帯電話をチェックする際は、車に戻る必要がありました。

 第2の関門を抜けたら、アスファルトに覆われた広大な構内を歩いて、受刑者のいる建物へ。ここで身分証明書を再度スキャンし、第3の関門であるドアをくぐりぬけ、鍵を受け取って病棟に向かいます。

 病棟の前には重い鉄の扉があり、ブザーを鳴らして刑務官に開錠してもらい、なかに入ります。受刑者には個室が割り当てられ、一病棟には約30人が生活しています。4.5畳ほどの広さの個室は、ドアがガラス張りになっているため、職員が行き来する通路からは、なかが丸見えになっていました。

横たわる厳格な境界線

 刑務所の朝は、出勤した職員と、ガラス張りのドアに体を密着させて立つ受刑者が、挨拶を交わすところから始まります。

 ときどき「エンジェルさん、おはよう! 今日の服装は似合ってるよ!」とか、「髪型変えたね! いい感じだよ!」と、愛想よく声をかけてくる者もいますが、受刑者と職員の間には、厳格な境界線を引くというルールが設けられていました。

 私もその指導を受け、受刑者からのそうした言葉に対し、「ありがとう! でも、その言葉は自分の大切な人に取っておきなさいね! 私からは何も出ないわよ〜」と返すと、彼らもまた「なーんだ! 何かくれると思ったのに(笑)。あとでチョコレートよろしく!」などといってくる。そんな軽妙なやり取りをしながら、その距離を保つよう努めていました。

 ここで関わりを持った受刑者は、南カリフォルニアのときと、かなり異なりました。精神病といっても、刑期中に鬱(うつ)になったり、終身刑を課され将来に希望を見出せなくて自殺願望を抱く、といった若者が、むしろ多く見受けられました。

 学力が高く、知的な会話のやり取りができ、鍛え上げられ引き締まった体型の持ち主…。刑務所のなかでなければ、かなり見栄えのする容姿端麗な受刑者が多かったのも事実です。

 そして彼らのなかには、それを十分自覚し、愛嬌をふりまく者もいて、ときとしてナンパのようなやり取りが交わされることも。職員のなかには受刑者と不適切な関係を持って、解雇になった人もいました。

仏教に通じる「Letting Go」とは

 ここでのセラピストとしての仕事では、使用できる楽器や教材などに対し厳しい制限があったため、創造力をフル回転させ、限られた教材でセラピーを行う必要がありました。

  職業柄、私たちは提示される問題に対処するだけではなく、気づきや癒しのきっかけを提供することにも力を入れていました。

 このアプローチの一環として、仏教の「諸行無常」という考え方に基づいた”Letting Go” という概念を、アクティビティを通じて実践することがありました。Letting Goとは、直訳すると「手放す」という言葉で、これは、心理療法やカウンセリングのなかではよく用いられる手法です。

 アートセラピストの同僚からアイデアをもらい、チベット仏教の砂絵曼荼羅を参考に、チョークで壁画を作り、完成したらそれを消去し、新たな壁画を描き始める…というグループセラピーも行いました。このプロセスでは、アイデアを出し合い、協力して作品を完成させ、その過程で学んだことや心の動きを共有しあいます。

 そして、作品が完成したら、それを自らの手で消していきます。講義を聞くよりも、実際にこうした経験を積むことで、気づきや癒しのきっかけが生まれるかもしれない…。そんな思いから、セラピーの一環として取り入れていました。

 ​​共同で何かを創造する過程では、私も後ろでウクレレを弾きながら歌うなど、場を盛り上げる努力をしていますが、一度だけ自分も描画に挑戦しました。実は彼らが描くのを見ていて、私の好奇心とやりたがりが顔を出してしまったのです。

 気分よく作業をしながら、ふと目を向けると、アーティストをめざしていた受刑者が腕を組み、ややあきれた様子で眺めています。他の受刑者も作業を中断し、不安そうに私の手元を見守っているではないですか。

 「ちょっと、ちょっと、なんでそんな顔して見ているの? 私だって、岩くらいなら描けるわよ!」と、内心少々意地になっていた私は、描き終え、われながら悪くないと自己評価していたのですが…。

 アーティストをめざしていた例の受刑者が、「うーん、ここをこう変えると、形がよくなるんだよ」と、私からチョークを受け取り修正。すると、実に見事な出来栄えになりました。

 「さすが〜。これこそがまさに共同作業よね!」。私たちは思わず歓声を上げて笑い合いました。こうして、彼ら一人ひとりの長所が見えてくるときこそが、この仕事をしていてよかったと、心底、思える瞬間です。

 長年の生活環境や性格は、そう容易く変わるものではないかもしれません。それでも、彼らが刑期を終えた後、セラピーグループで体験したことが、それぞれの人生を輝かせることに役立ちますように…と、私は心よりそう願わずにはいられませんでした。

 次回は、受刑者からの衝撃の言葉から学ぶ、組織的・社会的人種差別について物語を進めていきます。

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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その

 カリフォルニア州内の5つの司法精神病院では、つねに6,000人以上の患者が治療を受けています。また、州内にある32の州立刑務所では、2023年1月時点で約10万人が収容されているほか、カウンティ刑務所(留置所のようなところ)にもおよそ6万人が収監されていると報告されています。

 カリフォルニア州で収監されている人数は、日本のそれの約13倍にあたります。この情報から、アメリカ、特にカリフォルニアが、犯罪率や精神病患者の数で高い数値を示しているように見えるかもしれません。しかしこれは、アメリカ社会に根ざした複雑な問題の一側面を示しています。

 なぜならば、これら被疑者や受刑者のうち、カウンティ刑務所では66%、州立刑務所では74%を、黒人とラテン系の民族が占めているからです。州内における彼らの人口比は50%にも満たないことを考えると、黒人やラテン系住民が取り締まりの集中的対象になっていることは明らかで、司法システムがいかに不公平かが見て取れます。このような不均衡は、単に犯罪率の問題ではなく、社会経済的な不平、教育へのアクセスの欠如、人種差別など、より広範な社会的課題に関連しています。

感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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