➤逆境のエンジェルとは
「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。
➤前回のあらすじ
アメリカに見る医療差別の実態や、かつて行われた黒人への人体実験について述べています。(第25話『アメリカの医療差別とストレス』はこちらからご覧ください)
子どもを持たないという選択
私たち夫婦には子どもがいません。私の病気の治療が原因で、妊娠が難しい状況だったこともありますが、それ以上に、黒人の子どもの母親になることへの重大な責任と恐怖が、私のなかにありました。
日本人との間であっても、肌の色や姿かたちで、この国では黒人と扱われます。
義理の両親は離婚しています。義父は私たちの結婚を喜んでくれましたが、結婚して一年後に他界しました。
一方、義母とはほとんど接点がなく、彼女は私が日本人であることに嫌悪感を示しています。夫と彼の母親との関係はとても複雑で、夫は多くの幼少期のトラウマを抱えていて、ほとんど行き来はありません(詳しくは第13話をご覧ください)。
もし私たちに子どもが生まれたら…。その子は黒人として育つことになります。
しかし、こうした状況下では義理の家族からのサポートは期待できませんし、日本に住んでいる私の両親からの支援も受けられません。信頼できる知人や友人も近くにおらず、夫と私だけで子育てをすることには、大きな不安がありました。
社会で目にする黒人男性への不当な暴力や差別を、目の当たりにすればするほど、万が一私たちの子どもが同じような経験をしたら…と、耐えられない気持ちになりました。
それに、男の子でも女の子でも、もし私の障がいが遺伝したら、さらに生きづらくなってしまうかもしれません。医学治療における差別問題は、私自身、身をもって感じていたものです。
どうやってこの社会で強く、安全に生きていくことができるのか。たいていの問題に対し、いつも「なんとかなる!」と楽観的に推し進めてきた私ですが、この問題については、それではあまりに無責任と感じ、悩みに悩み、なかなか答を見つけることができません。
そして…。私たちは、子どもを持たない方がよいという結論に至りました。それは、私の心情を汲み取った夫の判断でもありました。
持たないと決めたとはいえ、子どもを持つことへの切望や、ときおり湧き上がる悲しみは、そう簡単になくなるものではありません。しかし、あのとき下した決断は、あのときの最善の決断だったと思います。
なぜなら当時の私は、黒人の子どもを持つ母親としての責任を果たすには、あまりにも無知で未熟だったからです。子孫を残すことは叶いませんでしたが、代わりにいま置かれている状況で、日々の出会いを通し社会に貢献していく…。それが私にできることだと、いまはそう思っています。
先進国で一番、産後死亡率が高い国
2022年7月10日に発行された朝日新聞『GLOBE』に載っていた、以下の記事に思わず釘づけになりました(同じような内容が『National Library of Medicine』にも記録されています)。
米疾病対策センター(CDC)のデータによれば、2020年に米国で妊娠中および出産後42日以内に亡くなった女性の数は861人。2018年には658人、2019年には754人と、近年増加傾向にあり、「ニアミス(死にかけた)」経験のある女性も、年間約5万人いるそうです。
経済協力開発機構(OECD)の統計によると、2019年の10万人あたりの妊産婦死亡者数は、フランス7.6人、カナダ7.5人、イギリス6.5人、オーストラリア5.9人、そして日本は3.7人。これに対し米国は17.4と、他の先進国に比べ飛び抜けて高いことがわかります。
その理由として挙げられるのが、出産後のサポートや専門医の不足。地方や貧困地域では、産婦人科医や助産師の数が足りないため、適切な医療ケアが受けられず、妊娠中の合併症を管理することが難しいとされています。
また、医療保険がない、または不十分なために、定期検診や必要な治療を受けられない女性が多いという事情もあります。
とはいえ、世界一の医療先進国であるはずのアメリカで、妊産婦の死亡率が、なぜこんなにも高いのでしょうか? それにはある理由が隠されています。
妊産婦が命を落とす根深い理由
「米国で黒人女性が妊娠・出産後に命を落とす確率は、白人女性に比べ約3倍におよぶ」。
そう聞くと、みなさんは何を思われるでしょうか? 黒人女性は何か健康上の問題を抱えていると感じられるでしょうか?
実は、黒人女性の妊産婦の死亡率が高いのは、奴隷時代から続く差別や、黒人に対する偏見によるものだといわれています。システミック・レイシズム(組織的人種差別)。アメリカの社会構造は、もはや人種差別を生むように設計されていて、それが妊産婦死亡率にも現れているのです。
たとえば一部の医療従事者には、「黒人は肌が厚いから痛みを感じない」という固定観念があるといいます。もちろん、まったく科学的根拠に基づかないものですが、この誤った認識により、妊婦が痛みを訴えても、誇張した表現であると受け取り、適切な疼痛処理(痛みの処理)を施さず、手遅れになってしまうケースが多いといいます。
また、黒人居住区の医療資源の不足も大きな問題です。たとえばマンモグラフィ(乳がんの有無を調べる検査機器)も、精度の低いものが使用されているため、本来なら見つかるはずの腫瘍(しゅよう)も、見逃されてしまうことが多いとのこと。
そもそも黒人居住区で暮らす女性は、経済的・環境的条件の悪さから、日常的に強いストレスにさらされていて、これが心臓病や高血圧などの慢性疾患リスクを高める一因になっているようです。こうした現実も、黒人女性の妊産婦死亡率に影響していると、現在、多くの研究結果が発表されています。
システミック・レイシズムの根深さを目の当たりにするたび、いつも絶望的な気持ちにさせられます。こうした偏見や差別に対し、どのように向き合えばいいのか…、ただただ途方に暮れるばかりです。
それでも、新しい生命の誕生の日が、命を奪う日になっていいはずがありません。そんな決然とした思いを持って、自分に何ができるのか、考えていけたらと思っています。
次回からは数回にわたって、アメリカの学校教育の問題や、現在の子どもや若者に見られる傾向へと、物語を進めていきます。
第27話はこちら
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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その⑭】
日本でも、少子高齢化が進んでいることが頻繁にニュースになっていますが、実は、アメリカにおいても同じです。日本の平均世帯人数は2.27人で、出生率は約1.36(2023年)。人口維持に必要な2.1を大きく下回っています。同様に、アメリカの出生率も過去数十年で徐々に低下しており、平均世帯人数は3.31人。2023年には出生率は1.64まで下がっています。
この原因としては、住宅費の高騰、教育費用の増加など、経済的な不安が挙げられます。女性の教育水準の向上や労働参加率の増加も、出生率低下の原因と考えられ、結婚年齢の遅延や家族計画の変化など、社会的および文化的要因も出生率に大きな影響を与えています。
さらに顕著なのは、人種間での出生率に差があることで、最も低いのが白人の出生率(約0.99)。これは、全体の出生率を下げる要因であるだけでなく、白人至上主義思想において脅威となっています。白人の人口を維持するためには、当時、純白人とみなされていなかったドイツ人やアイリッシュ、イタリア人が純白人と同等に位置づけられ、ユダヤ人やイスラエル人も白人として扱われるようになった歴史があります。
アメリカで議論になる中絶問題も、実は白人の出生率低下をくい止める方策でもあるようで、中絶を望む白人女性に対し、宗教を盾に「中絶は違法」と定めている州もあります。
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