➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出合いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
現代社会における、ユニークな、そして複雑化する人間関係について語っています(第64話『「寄り添い」と「自己肯定感」の光と影』はこちらからご覧ください)。
関わりのなかで育まれるもの
前回は、「優しさ」と引き換えに、人の心が揺らぎやすくなっている現代の構造について触れました。では、そんな時代を生きていくなかで、私たちはどのように心を育てていけばよいのでしょうか。
心理学や教育学の研究を読み解いていくと、実は、見えてくる方向性はひとつのように見えます。
「避ける」のではなく、「向き合い方を身につけること」。
今回は、SNS、AI、というテーマを通して、その具体像を考えてみたいと思います。
比べる心の奥で、何が起きている?
夜、何気なくスマートフォンを開き、誰かの投稿を見る。
楽しそうな写真や成果の報告が並ぶなか、なぜか自分だけが取り残されたように感じ、寂しさや嫉妬心が湧き上がってしまう。
こうした感覚は、多くの人が一度は経験しているのではないでしょうか。
そういう私自身も、「きれいでいいな、うらやましいな」「楽しそうだな。私もあんなことができたらいいのにな」と、仏教を学んでいるにも関わらず、こんな感覚に陥ることが少なからずあります。
2023年のアメリカの権威ある機関である「National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine」の報告では、SNSは有益にも有害にもなり得るとしています。特に「ただ流れてくる投稿を眺め続けるだけ」という使い方が、比較や不安を生みやすいと指摘しています。
また、2024年に発表された、アメリカ医師会が発行する小児科学の医療雑誌の分析でも、SNSと不安・抑うつには、小さいながらも関連性があることが確認されています(因果関係は単純ではないとされています)。
ここで注目したいことは、SNSをやめることではなく、使い方を変えるということなのです。
つまり、ただ眺めて、「いいね」を押すだけで終わるのではなく、ひとこと添えて関わってみる。そこから対話へつなげていくということです。
(このひとことが誹謗中傷を産んで炎上するという、負の連鎖に結びつくこともありますが、そのことについては、また別の機会に取り上げたいと思います)。
そうした小さな行動が、SNSを「比べる場所」から「つながる場所」へと変えていく可能性をつくり出すのだそうです。

安らぎのなかで、失われていくもの
最近では、悩みや迷いをAIに相談する人も増えてきました。AIは、混乱した思考を整理し、感情に言葉を与え、状況を客観的にとらえることに役立つようです。
私自身も、普段は英語を使って生活していることから、日本語の会話や文章が英語の語順になったり、直訳的な表現や横文字を多く使ってしまったり、日本語の語彙が出てこない…などということが多くあり、その逆もまたあります。
この点において、AIは思考を整理して、言葉に置き換えてくれる、非常に頼もしい存在です。
しかし、その一方で、2025年の、テクノロジーと人間の関係を研究しているアメリカの研究機関「MIT Media Lab」と、AIを開発し社会への影響を研究している「OpenAI」の共同研究では、AIとの対話は孤独感を和らげる可能性はあるものの、使い方によっては依存を強める可能性もあると報告しています。
さらに別の研究では、AIは人間よりも寄り添い応答をしやすく、判断の偏りを生んでしまうリスクがあると指摘しているのです。
一般的に私たちは、人との関わりのなかで、こんなことがあるように思います。
たとえば誰かに本音を伝えた際、相手が少し戸惑った表情を見せたとき。あるいは、勇気を出して相談したのに、思っていた言葉が返ってこなかったとき。私たちの心のなかに、迷いや戸惑い、ざわつきが生まれることは、読者のみなさんもきっと経験があることでしょう。
また、私もよくやってしまうことですが…、勇気を出して悩みを打ち明け、どこかで共感してほしいという気持ちを持っているのに、相手は解決策を次々と提案してくる。
そのとき、心のなかで、「そういうことじゃないのに…」と思いながらも、相手の助けてくれようとする好意も汲み取ろうとしてしまう。
わかってもらえなかったような寂しさから、心のなかが揺れる。そして、どういえばいいだろうと再考してみたり、「まぁ、いっか」と諦めたり。そんな経験、みなさんもありませんか。
そういう揺れの経験は、
・相手の立場を想像し
・言葉を選び直し
・関係を結び直そうとする
そういう力を、少しずつ身につけているように思うのです。
人と向き合うとき、私たちは言葉だけで関係を築いているわけではありません。表情や沈黙、声の調子、そして言葉にならない雰囲気や気配のようなもの。そうしたものを通して、「何かが通じた」と感じる瞬間があります。
仏教では、このような在り方を、「感応道交(かんのうどうこう)」と表現します。
お互いが何かを感じ取り、それに応じることで、別々の道を歩んでいたふたりが、ふと交わるような体験です。
それは、正論的な言葉によって生まれるのではなく、その場にいる「ありよう」そのものが響き合うことで生まれるものなのかもしれません。
確かに、その過程には痛みを伴うこともあります。時間も労力も必要です。繊細な人ほど、心の揺れ幅が大きくなります。
しかし、そこに「共感」というハーモニーが生まれたときの、安堵感や喜び。これを経験できるのも、痛い思いの経験があるから。私たちが人間だからに違いないと、そう見ることができるのではないでしょうか。
現時点でAIは、思考を整えることはできるかもしれません。しかし、この「響き合い」までは再現することができないのです。
だからこそ、
・考えを整理するときはAIを使う
・関係を育てるときは人ときちんと向き合う
その両方を行き来することが、これからの時代には求められているのではないでしょうか。
便利さは、人を助けてくれます。けれど、人を回復させるのは、最後まで「関わり」なのかもしれません。
誰かの言葉に救われた記憶。
ただ隣にいてもらえた安心。
わかり合えなかったあとに、それでももう一度向き合おうとした時間。
そうした不完全で、遠回りで、ときに痛みを伴うやり取りのなかでしか、本当の意味で、人は育っていくことができないのだと思います。
揺れることを避けるのではなく、揺れながら、誰かと響き合っていく。
その営みのなかにこそ、AIには置き換えられない、人間という存在の、静かな尊さがあるのではないでしょうか。

次回の投稿は、ほめること、寄り添うことが推奨される現代の子育てや、相手との関わり方について、掘り下げて考えてみたいと思います。6月15日(月)夜7時を予定しています。
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