➤逆境のエンジェルとは
アメリカで暮らす筆者が、いじめ、身体障がい、音楽への情熱、異文化での生活、人種差別、仏教との出会いを通じて成長していく物語。個人的な体験を超え、社会の不平等や共生の課題にも鋭く斬り込み、逆境のなかで希望を見出す力を描きます。
➤前回のあらすじ
現在のアメリカはどのような社会の構築を目指しているのか、カースト制度の類似点などから語っています。(第49話『繰り返される歴史と「見えないカースト制」』はこちらからご覧ください。)
“Turn Awareness into Action” (気づきを行動に)
5月はアメリカの「Mental Health Awareness Month(メンタルヘルス啓発月間)」です。
1949年から続くこの取り組みでは、「こころの健康への理解と偏見の解消」を目的とし、さまざまな啓発活動が行われています。
今年2025年のテーマは、“Turn Awareness into Action(気づきを行動に)”。
心の問題に「気づく」だけで終わらず、「じゃあ、どうするか」と一歩を踏み出すこと。それは決して大きな変革ではなく、日々の小さな行動であってもよい。
このテーマには、そんなやさしくも力強い呼びかけが込められているように感じます。
興味深いことに、日本にも「五月病」という言葉があります。
ゴールデンウィーク明けのこの季節、新しい環境や人間関係に少し慣れ始めた頃、緊張の糸がほどけ、ふっと気持ちが沈む…。学生や新社会人を中心に、気力が湧かなくなったり、無力感に襲われたりする心の不調のことをそう呼びます。
文化や国は違っても、5月という季節が人のこころに与える影響には、どこか共通点があるのかもしれません。
だからこそ、立ち止まって、「自分の心はどう感じているか」に耳を澄ませる時間を持つことも大切なのだと思います。
私はカリフォルニア州の精神科病院で、音楽療法士として働いており、日々、さまざまな背景を持つ患者さんたちと接しながら、「心の叫び」と「回復への希望」の両方に向き合っています。
そして、この仕事を通して実感しているのは、こころの問題は決して特別な誰かのものではなく、いつか自分自身にも訪れる可能性があるものだということです。
実際、私もある年の夏、自分でも驚くような心の不調を経験しました。
生まれて初めて「これがうつ病なのか」と思った朝
それは2019年の夏の朝のことでした。
いつものように目覚めたはずのその瞬間、胸の奥がぎゅっとつかまれるような重たい感覚に襲われました。
言葉にできない絶望感と悲しみが、理由もなく、突然押し寄せてきたのです。そして、気づくと涙が止まらなくなっていました。
「もう生きていたくない」。そう思っている自分が、心のどこかに確かにいる。
そんな自分に気づいたとき、私はふと冷静になり、「これはうつ病だ」と悟ったのです。
長引くようなら精神科を受診して、薬をもらった方がよいとも判断できました。しかし、そこまで俯瞰的に見ているにも関わらず、とにかく本人はとても辛いのです。
先に起きていた夫が、なかなか起きてこない私を心配して部屋をのぞきに来ました。そこには、ベッドにうずくまって泣いている私の姿。それを見て、夫は驚いたような、戸惑ったような表情を浮かべていました。
その日はなんとか職場に行ったものの、同僚から「すごく辛そうな顔をしてるよ」といわれました。そして「今週いっぱい、休みをとった方がいいんじゃない?」とやさしく提案されました。
私もその方がいいかもしれないと感じ、職場に事情を話して、数日間休ませてもらうことにしました。

ただ、手を動かし、体を使うことで救われた
次の日も、朝起きるのが本当に辛くて、布団から抜け出すまでにかなりの時間がかかりました。
けれど、このままではいけないという気持ちが、どこかにありました。
そこで私は庭に出て、古くなった丸太をどかしたり、草をむしったり、石を拾ったり。ただ黙々と体を動かす作業を何時間も続けました。
誰かにいわれたわけでもなく、頭で考えたわけでもない。
でも、無心で土に触れ、手を動かし続けているうちに、少しずつ心のなかのざわめきが静かになっていくのを感じたのです。
1日2日と、そうした時間を過ごすうちに、気分は落ち着き、翌週には仕事に戻れるまでに回復しました。
その数年後のこと。大愚和尚を知り、「うつのときは、まず体を動かすことが大切」と話されているのを聞いて、「あの庭仕事は、まさにそれだったんだ」と腑に落ちたのです。
もちろん、私の症状は比較的軽かったからこそ、すぐに回復できたのだと思います。もっと深く苦しんでいる方々にとって、そう簡単にいかないことも多いでしょう。
それでも、「行動すること」「手を動かすこと」が、心の波を鎮め、自分を保つ一助になる。そのことは、実感として、いまも強く残っています。
「この時期、いつも落ち込みやすいよね」といわれて気づいたこと
私にはもうひとつ、長年気づかずにいた “心の癖”がありました。
それは、「自分は誕生日の前後になると落ち込みやすい」ということです。
あるとき同級生に「毎年この時期、ちょっと元気ないよね」といわれ、「そういえば、そんなことが何度かあったかもしれない」と初めて意識しました。
祝ってもらうことが苦手なわけではないし、楽しい思い出がないわけでもない。けれど、その時期になると、なぜか心が不安定になる。
おそらく、過去の思い出や無意識のなかに沈んだ何かが、心の奥でざわつくのかもしれません。
でも、そういう “自分の傾向” に気づいているだけで、「またこの時期が来たな」と少し冷静に見つめることができる。そして、「今回は無理せずに過ごそう」と、自分にやさしくできるようにもなったのです。
自分の心の波を知ること、それも立派な “行動(Action)” だと思います。
気づきの先にある、一歩ずつのやさしさ

うつや不安の症状は、時に誰にも気づかれず、また、自分でも気づかないまま深まっていくことがあります。
「まだ大丈夫」と思い込んで無理を続けた結果、ある日突然、心も体も動けなくなってしまう…、そんな人も少なくないでしょう。
私があのとき救われたのは、夫のさりげない支えと、同僚の「休んだ方がいいよ」という、やさしい一言でした。
その言葉は、まるで深い霧のなかに差し込んだ光のようで、心の奥にそっと届きました。
けれど、少しずつ元気が戻ってきたとき、私はもうひとつ、大切なことに気づきました。
それは、「支えてもらうこと」に安心しすぎず、自分からも少しずつ歩み出してみようという思いでした。
ほんの小さなことでもいいので、「今日は庭に出てみよう」「手を動かして何かをつくってみよう」。そうやって、自分の行動を通して「私はまだここにいる」と感じることが、失っていた自信を少しずつ取り戻す力になるのだと。
そしてそれが、たとえ何度倒れても、起き上がりこぼしのようにまた立ち上がる原動力にもなる。そんなふうに思っています。
“ Turn Awareness into Action ” 。それは、特別な人だけができることではありません。
「今日はちょっと無理しないでおこう」
「誰かに話を聴いてもらおう」
「隣の人に、声をかけてみよう」
そんな、小さくて静かな行動の積み重ねが、自分を守り、誰かの光にもなっていくと、そう思うのです。
次回の投稿のテーマは、職場で開催された「Mental Health Run」の風景と、黒人や有色人種が抱える心の問題について、お話したいと思います。(更新は5月26日夜7時)
記事の一覧はこちら
(感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)
コメント