母からの便り

「好きならとことんやりなさい」花柳衛宗さん/母からの便り

今回のゲストは、日本舞踊家の花柳衛宗(はなやぎえいそう)さん。

5歳の時に踊りを始めて75年。踊りに魅せられつつ、結婚・出産・子育ての経験を経た花柳さんは、これまでどのような人生を歩み、そして今何を思うのでしょうか。

日本舞踊家として、また一人の母としての生き方や想い、花柳衛宗さんからのお便りです。

5歳で踊りに魅せられて

女の子としての行儀や礼儀をきちんと身につけるため、5歳から踊りを始めた衛宗さん。

掃除の時にも踊りだすほど踊りが好きで、母や祖母が普段から愛用していた着物を着られることも嬉しかったといいます。

そして19歳の頃、幼稚園で踊りを教えるようになりました。

幼稚園でのお稽古は、「間違ったことを教えてはいけない」と強く責任を感じる中で、一度に複数人の子どもと向き合うことは大変でしたが、もともと子どもが好きだった花柳さんは、徐々に子どもの心をうまくつかみ、和気あいあいと楽しく過ごすようになります。

「好きだからこそ、乗り越えられました」

衛宗さんは、幼稚園で教えた経験はとても良い学びだったと振り返り、教え子の子どもたちが大きくなって突然あいさつに来てくれた時は「本当に嬉しかったです」、と顔をほころばせます。

愛する「踊り」から離れた5年間

 当時は、お見合い結婚が当たり前の時代。特に恋愛することはなく踊りを愛していた衛宗さんは、「舞妓さんになりたい」と思ったこともありましたが、お兄さんの強い勧めでお見合い結婚をすることに。

お見合いで出会ったご主人は仕事に一生懸命で、人柄も良く、「良い結婚をさせてもらいました」と感謝しているといいます。

しかし踊りと子育ての両立は難しいと考え、結婚して5年間は家事や子育てに専念。息子3人を育て上げましたが、「食事と洗濯以外のことは思い出せない」というほど忙しい毎日を送りました。

とはいえ、踊りの世界から離れていた5年間は「やはりとても寂しかった」と心の内を話します。

やりたいことのために「役割をこなす」

寂しい思いをしながらも、愛する踊りの世界を離れ家庭に専念できた裏には、一体どんな思いがあったのでしょうか。

「自分がやりたいことがあるなら、自分がやるべき事もきちんとやらなければいけない。踊りをやりたいからこそ、自分の役割もきちんとこなさなければならない。そう思っていました」

舞踊家としての顔と、家庭人としての顔。その両方を大切にしていた花柳さんは、こんな想いを強く抱いていたのです。

そのかいあって、3人の息子さんたちはとてもよく育ってくれたといいます。「先日も息子から感謝の言葉をもらいました」と、衛宗さんは嬉しそうに語ります。

やがて子育てが落ち着き始め、再び踊りの世界に戻った衛宗さん。75年後の今日まで踊りとともに生きてきました。踊りに魅せられた「舞踊家」としての自分と、「母」としての自分の両立の秘訣は何だったのでしょうか。

衛宗さんの芯の通ったメッセージが込められた「母からの便り」、続きはぜひ動画でお楽しみください。(※動画は以下の画像をクリック)

編集後記

人には誰しもいろいろな顔があります。家庭での顔、会社での顔、自分の好きなものに没頭する時の顔。どれか一つしか選べない訳ではなく、全ての自分を楽しむために出来ることがある。

妻や母として生き、人生をかけて自分の好きを追求してきた花柳さん。

「好きならとことんやりなさい」その一言に、人生を力強く、楽しく生き続けるヒントがあるように思います。

                                  唐木貴子

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