波乱万丈の「人生の物語」にフォーカスし、インタビューを通じて、それぞれの「人生の気づき」をご紹介する佛心の輪。
今回は、大愚和尚の「一問一答」に出会ったことで、薫さんがどのようにしてその教えを日々の生活に取り入れ、次なる挑戦に向かって歩み続けているかに迫ります。
(前回のあらすじ)
異国の地でさまざまな挫折を経験するなかで、大愚和尚の「一問一答」に出会い、新たな視点を得ることができた薫さん。キャリアの再出発や子育て、異文化のなかでの自分自身のあり方を模索する上で、その教えは心の支えとなり、前向きに生きる推進力となりました。(詳しくはこちらをご覧ください)
親子の関係の深さ、強さを思い知る
恵津子:今回は、薫さんが大変な状況を乗り越えるなかで、「一問一答」がどのように支えになったのか、もう少し詳しくお聞きしたいと思います。
薫:16年前、父を亡くしました。父はもともと、タンゴを聴く以外、趣味といったものがない人で、運動することもなく、退職してからアルツハイマー病を発症するまで、あまり期間はありませんでした。
そして、ある朝、目覚めることがありませんでした。以前から心臓が悪かったので、寝ている間に心臓発作を起こしたのだろうとの診断でした。
生前、私は父に何もしてあげられなかった…。そう思うと、辛くてたまりませんでした。
いまは母が施設に入っていますが、私のことは覚えていません。もうすぐ90歳になる母のことは、姉と兄に頼りきりで、自分を責める毎日です。
結婚に失敗し、仕事のキャリアも世間に自慢できるような成功を収めている訳じゃない。
それでも、わがままをいってアメリカに行った私を、支え続けてくれた両親。
今度は私が支える番なのに、何もできない罪悪感、いらだち…。そんな負の心に寄り添ってくれたのが「一問一答」の動画であり、大愚道場で出会ったみなさんです。
同じような悩みを持つ人がたくさんいることは、私にとって励みとなりました。
恵津子:薫さんの気持ち、よくわかります。私も父が亡くなったとき、最期に間に合いませんでした。
日本にいても、必ずしもすぐに駆けつけられるわけじゃない。でも海外にいると、時差や物理的な距離が、ことのほか大きな障壁に感じてしまいます。
薫:そうですよね。こんなに遠くにいて、親にどれだけ心配をかけていたのか…と、自分が親になって、より痛感するようになりました。
現在、私の息子はデンバーにいますが、いつもとても心配です。
ただ、和尚さまが「一問一答」で話される、親離れや子離れ、親子の関係についての教えには、多くの学びがありました。
息子もいまでは23歳になり、私のいうことをあまり聞かなくなりましたが(笑)、彼の人生なので見守っていこうという気持ちでいます。
まずはお釈迦さまの教えをしっかりと実践し、それを息子にも見せられるようになりたいです。
ほかにも、仏教の教えは、よりよく生きるための知恵として、実践するものであると知りました。
いまでは、お釈迦さまの教えが真理であると、心から理解できるようになりました。本当にありがたいと思っています。
善友とのつながりが広げる未来の可能性
薫:もうひとつ、私の心を支えてくれるものに、和尚さまの「寺町構想」があります。
いつも一緒にいなくても、信頼し助け合える仲間がいる。それは本当に素晴らしいことだと思いました。
恵津子:寺町は、ここアメリカでも実現しつつありますよね。
薫:はい。居心地のよい仕事場やお店、カフェなどがあって、そこに行けば、少し日本を感じられる、日本人コミュニティのような場所…。
和尚さまのお話を聞いて、将来に対する気持ちが少し楽になりました。
恵津子さんとお会いできたのも、寺町構想のおかげですものね。
恵津子:本当にそうですね。薫さんは私に強烈な印象を与えてくださいました。
薫:大愚道場の翌日の「一問即答」でも、それぞれのお話から、みなさん一生懸命生きているんだなと感じました。
恵津子:状況は違っても、母国を離れて生活することの大変さは同じですものね。
薫:みなさんと話すことで自分の考えや生き方が変わり、前向きに進めるようになりました。みなさんの存在が私にとっての励みです。
同時に、アメリカにいる人たちだけでなく、日本にいる方々ともつながりたいです。
私には、過去を振り返って自分を責める悪い癖がありましたが、仏教の「反省はしても後悔はするな」という言葉に救われました。
恵津子:残りの人生がいつ終わるかは、誰にもわかりませんからね。だからこそ、いまを一生懸命に生きることがだいじだと、私も仏教を学ぶなかで強く感じています。
アメリカにいても忘れない、日本人としての気遣い
恵津子:薫さんは日々の生活のなかで、日本文化とアメリカ文化をどのように融合させていますか?
薫:日本人特有の気遣いを大切にしています。アメリカでは、誰かがやってくれるだろうと考えることが多いですが、私は自分が気づいたら率先してやるようにしています。
たとえばコーヒーメーカーが空になっているのを見たとき、私は新しいコーヒーを作っておきます。
コピー用紙も少なくなったら補充します。日本ではこうしたことは当たり前ですよね。
恵津子:確かに、アメリカではそういう気遣いは少ないかもしれません。
薫:私の母が「自分がされて嫌なことは人にしない、自分がしてほしいことを人にする」とよくいっていましたが、それは日本人特有の考え方かもしれませんね。
でも、気が利くかどうかというのは、本当にだいじなこと。たとえば、この間の交流会で恵津子さんがおっしゃっていた、ゴミを拾うという感覚。
恵津子:そうなんです。こちらではゴミを拾っていると、「なぜあなたが拾っているの? あなたの仕事じゃないでしょ」といわれたりします。
薫:病院で働いていたときにも驚いたことがありました。ある患者さんがベッドから落ちそうになって、その娘さんからクレームをいわれました。
看護師が、自分が下げたベッドのレールを、戻さないまま帰っていったのです。理由は、「自分のシフトが終わった」から。
日本ではちょっと考えられないことですよね。私はアメリカにいても、そうした気遣いをなくさないよう心がけてきました。
恵津子:素晴らしい心がけだと思います。そうした心配りは、アメリカで長く暮らしている日系人の方々が、受け入れられてきた理由のひとつだとも思います。
薫:日本人として誇りに思うのは、やはり気遣いや勤勉さですね。それは体に染みついているもので、日本人なら教えられなくても自然にできることです。
そんな自分のなかの文化を大切にしながら、他の文化とも調和し生きていきたいです。
あなたのチャレンジを支えるひとりでありたい
恵津子:では最後に、これを読まれている方々に、ひとことお願いします。
薫:海外に行くことは本当に素晴らしい経験ですし、機会があればぜひいろいろなところに足を運んでみてはいかがでしょう。
海外に移住してみたい、仕事をしてみたいと思う方も、ぜひ挑戦していただきたいです。悩んでいるなら、私たちのように海外に住んでいる人を頼ってください。
たとえば、カリフォルニア州は恵津子さんが詳しいですし、中西部なら私がいます。アメリカは州によっても物価や生活環境が違いますから、その土地に詳しい人に聞かれるといいでしょう。
私もときどき、日本に帰ることを考えたりするので、日本の現状も知りたいです。お互いに情報交換できればうれしいです。
恵津子:本当にそうですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。
ネブラスカ州オマハについて
ネブラスカ州はアメリカの中西部に位置しています。この州には、日本と積極的に取り引きする120以上の企業があり、製品分野は、自動車部品、医療機器、水処理システムなど多岐にわたります。
カワサキモーターマニュファクチャリングは、45年以上にわたり、ネブラスカにてニューヨーク市とワシントンD.C.向けの鉄道車両を製造しています。ほかにも、森尾電機、丸紅、NTTグループ、伊藤忠商事、三菱重工業などがネブラスカに投資し、エネルギーや技術分野でのプロジェクトを展開しています。
ネブラスカ州最大の都市であるオマハは、ミズーリ川沿いにあり、19世紀半ばには、アメリカ西部開拓の重要な拠点として発展しました。経済の中心は農業、保険、交通、製造業など多彩で、多国籍企業の本社も数多く集まっています。
また、オマハは日本の静岡県静岡市の姉妹都市でもあります。曹洞宗の禅センターでは坐禅会を実施しているなど、仏教との縁も身近に感じられます。
あとがき
異文化のなかで、自分らしさを保ちながら前進する。そのためには、強さと優しさが必要であることを、薫さんとの対談を通じ、強く感じました。
その核になっているのが、薫さんが大切にしている「日本人としての気遣い」。日本で当たり前に行われることが、異国では特別な価値を持つのだと、改めて気づかされました。
きっとこのような姿勢が、アメリカ社会で薫さんが、周囲から信頼され、受け入れられている理由のひとつなのだと確信しました。
薫さんが勇気を持って語ってくださった今回の対談。みなさんはどのような感想を持たれたでしょうか。
このシリーズでは今後も、さまざまな国で奮闘する日本人、日本で挑戦する外国人の物語をお届けしていきます。どうぞご期待ください。
薫さんオススメ動画「大愚和尚の一問一答」↓
(感想、メッセージは下のコメント欄から、よろしくお願いいたします。by寺町新聞編集室)