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この記事は筆者の原田が、さまざまなマンガ・アニメの中に、仏教と重なる部分を見つけご紹介するシリーズです。
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今や社会現象ともいえるほど、人気を集めている『鬼滅の刃』。僕がその熱気をあらためて感じたのは、栃木県にある日光江戸村を訪れたときのことでした。
タイムスリップ感を売りにしているテーマパークだけに、“村内”の建物はどれも本格的に作られ、江戸の町を歩いている気分に浸れます。
また貸衣装のサービスもあり、サムライや商人、町民や農民など、時代劇風の衣服で過ごすと、より没入感が高まります。

ふと周りを見渡すと、自前の『鬼滅の刃』キャラクターのコスプレで、巡っている来場者もいます。
村内で行われる時代劇ショーでは、役者がアドリブで観客を巻き込むこともあり、コスプレの人に「そこの炭治郎(たんじろう)殿は、いかが思われる?」などと呼びかけ、会場を沸かせていました。
※炭治郎(鬼滅の刃の主人公)
このように、今や国民的人気アニメになった、『鬼滅の刃』。僕も大好きな作品として、原作の漫画を最後まで読みました。物語を深掘りすると、仏教の教えと重なって感じられる部分が、いくつも見えてきます。
『鬼滅の刃』と仏教。2つは一見、まったく違うものにも思えますが、いったいどのような部分が結びつくのでしょうか。その接点を、順に見ていきたいと思います。
鬼と人間が追い求めるもの
本作のストーリーに欠かせない存在が、「鬼」と呼ばれる者たちです。とてつもなく強く、人間を食べたり鬼に変えたりするため、人々から恐れられています。
最大の特徴は、太陽の光を浴びない限り、不老不死に近い肉体を持っていることです。大きな傷を負ってもたちまち回復し、生まれながらにして超常的な能力を、備えています。
それに対して、炭治郎が加わる鬼と戦う組織「鬼殺隊(きさつたい)」は、とてつもなく厳しい修行を、くり返さなければいけません。
数々の試練を乗り越えたメンバーだけが、やっと鬼と渡り合えるものの、寿命は普通の人間と変わりません。
老いれば衰え、怪我をすれば回復には時間がかかります。彼らは、限界を超える力を得るため、寿命を削って戦い続けるのです。
生物として強さの面では、人間よりも鬼が圧倒的に勝っており、作中ではあえて「鬼になりたい」と望む人間も登場します。鬼から、見込みのある人間を勧誘する際の「お前も、鬼にならないか?」という名ゼリフは、ファンの間でひときわ有名です。
人間と鬼。この対比を見ていると、仏教の中でもとくに重要な教えである「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を、思い起こさずにはいられません。
諸行無常と不老不死

不死へのあこがれは、物語の中だけではありません。現実の歴史においても、人類は長く不老不死を求めてきました。かつて、中国の皇帝が不老不死の薬を求めて、使者を派遣した記録も残っています。
現代でも科学の発達によって老化を遅らせたり、寿命を延ばしたりできる未来を、期待する人は少なくありません。
一方、仏教では正反対の立場を取ります。あらゆる生き物は時間と共に、死へ向かう「諸行無常」が真理だと語られます。
抗おうとするほど苦しみは増し、真理を受け入れて恐れを無くすことが、本当の平穏につながると説かれるのです。
生きられる時間が限られるからこそ、その中で何を為すのかを決意し、まい進する人生こそが、最大の使命であるとも教えます。
いつの日か科学が進歩し、不老不死に近いことが可能になれば、『鬼滅の刃』のように「どちらの生き方を目指すのか?」という問いが、現実問題として浮かび上がる日が、くるのかも知れません。
ひとつの何かを「全集中」で味わう

作品では人間が編み出した、「全集中の呼吸」が登場します。特別な呼吸法によって、身体能力を超人的に高め、鬼と渡り合う力を引き出す技術です。
ファンの間でもとくに人気の技で、「全集中」とプリントされたTシャツが売られていたり、日常の行動を「全集中で◯◯した」と表現したりして、親しまれています。
作中の用途とは違いますが、「全集中」は禅の中で語られる「一行三昧(いちぎょうざんまい)」という言葉と重なります。これは日常の、どんな行いであっても雑念を入れず、一点集中するべきという教えが込められた禅語です。
私たちは日ごろ、ついテレビやスマートフォンを見ながら食事をしたり、お風呂に入りながら明日の予定を考えたりと、別のところに気持ちが向かいがちです。
「一行三昧」の教えはその真逆を、大切にします。食事にしても入浴にしても、五感の全てを集中して味わうのです。
福厳寺の生活においても、実践されています。かつて弟子入りして間もない方が「お味噌汁が、こんなに美味しいなんて、今まで気づきませんでした」と、語っていたことがありました。
普段の生活で、当たり前に行っている動作さえ、味わい方ひとつで幸せを感じることができる。その感覚は、鬼滅ファンが使う「全集中する」という表現が、ぴったり当てはまるように感じられます。
悲しみに寄り添う炭治郎

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『鬼滅の刃』の魅力の1つとして、単純な勧善懲悪ではない、ストーリーの深みが挙げられます。
欲望のため鬼を目指す人間がいる一方、悲惨な過去を持ち、鬼にならざるを得なかった者も登場します。
鬼殺隊は鬼を滅ぼすのが目的であり、戦いでは容赦はしません。炭治郎も、鬼の非道な行いには怒りを爆発させて挑みますが、悲しい過去を持つ鬼に対しては共感し、寄り添う言葉をかけることがあります。
炭治郎に敗北した鬼が、消滅の間際に救われたような表情を見せるシーンもあり、多くの人の心を揺さぶります。
鬼殺隊の仲間から「鬼に同情するのか!」と責められる場面もありますが、炭治郎は信念を曲げません。
この在り様は仏教でいう「慈悲心」に通じるものがあります。慈悲心の「悲」は、他者の苦しみを見て、それを取り除こうとする心を指します。
ただ敵を倒すだけでない炭治郎の慈悲心は、多くのファンを惹きつけている理由の1つなのかもしれません。
仏教の学びを身近なものにする
「仏教を学ぶ」と聞くと、一般的には難しいイメージも強く、ハードルを感じる方も少なくありません。
しかし、『鬼滅の刃』のような人気作品に重ねれば「ああ、あのシーンはそういう考えだったのか」と、すぐ自身の中に落とし込むことができます。また物語の印象とともに学ぶことで、記憶にも残りやすくなります。
好きなアニメを入り口にして仏教に触れるのは、良い方法かもしれません。
現在、『鬼滅の刃』は海外でも大きな共感を得て、旋風を巻き起こしています。それは仏教的な考えが、国境を越えて受け入れられる可能性にも、繋がっています。
アニメはまだ物語の途中であり、いつか続きが発表されると思われます。これからどのように描かれるのか、僕も1人のファンとして楽しみです。


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