➤前回のあらすじ
連載を始めたきっかけについて、大愚和尚の一問一答の動画に出会った影響、ロサンゼルスでの大愚道場と一問即答で相談した内容、そしてそこで受けた「書くこと」のアドバイスを振り返りました。(第1話『連載にあたって』はこちらをご覧ください)
第2話からは、私の生い立ちからアメリカ移住までの物語を、いくつかのイベントとそれに伴う感情の変化をたどりながら、複数回に分けて紹介します。この物語をつうじて、私が現在の職場で働く理由や、人種差別に深い関心を抱く背景をご理解いただければ幸いです。どうぞ、しばらくの間、私の過去のお話にご同行ください。
まずは、結婚生活を通して気付いた子供時代のトラウマを振り返り、そこから幼少期にさかのぼってみたいと思います。
よみがえる子供時代のトラウマ
結婚して間もない頃、私たち夫婦はカップルセラピーを受けていた時期がありました。そのなかで私が「食事を一緒にすること」にこだわるという話題がでました。私は夫婦で食事をすることの重要性を強調し、夫は仕事の都合から、毎回一緒に食事をするのは現実的ではないと、論理的に反論しました。これを聞いて、私は苛立ちを感じ、その重要性をさらにまくし立てました。
セラピストから「なぜそんなに一緒に食事をすることにこだわるのか」と問われた際、私は、家族との食卓が自分の家族の価値観であったことを声を荒げて答えました。
それから彼女は、私の学校での昼食時間について尋ねました。「なんでそんなことを聞くのか」と、戸惑いつつも、その瞬間に言葉にできない悲しみが押し寄せ、私は泣き崩れました。
自分でもその押さえきれない感情に戸惑いながら、記憶がよみがえりました。それは、小学校の給食の時間に、自由に好きな人と食べて良いといわれても、いつも一人残された苦しみでした。なんとかどこかのグループに入れてもらおうと声をかけても拒絶され、泣きながら一人食べ始め、同情したグループに入れても、苦しみと悲しみを感じながら給食を食べた、切ない記憶でした。
その過去の経験に私の心はこだわっていたのです。夫に背中をさすられ励まされながら、泣き止んだ私にセラピストが、「これがトラウマなのですよ」と説明しました。
結婚生活は、異なる環境で育った二人が一緒に生活して行く場です。この環境のなかで、お互いの過去のトラウマが再び浮かび上がり、相手に投影され、関係に苦しみをもたらすことがあります。
当事者はそれがトラウマだと気付かず、相手を攻撃したり、窮地に追い込んでしまうことがあります。私はその瞬間をつうじてそれを実体験したのでした。
面白いもので、原因がわかってからは、そのこだわりが無くなり、状況によってはさっさと食事を先に済ませてしまうことにも抵抗がなくなりました。その変化に、夫からは「一人で食べるのは寂しいから一緒に食べよう」とからかわれ、あの時の出来事が笑い話になりました。
薄々気づいていました
私は自営業を営む父とそれを専業主婦として支える母との間に生まれました。一人っ子として育ちましたが、物心ついた頃から自分が周囲の子供と見た目が少々異なること、それがからかいや、いじめの対象になっている事に薄々気づいていました。
写真を見ても、どことなく他の子とは違っているように見え、違和感を感じていました。両親の口論が、私の体のことが原因であることも、幼いながら理解していました。
喧嘩を止めるために、おどけてみたり、他に注意がいくように割って入ったりしました。一旦はそれで収まってもすぐに再開し、最後には怖くて苦しくなり、耐えられなくなった私が泣き出す、というのが毎回のオチでした。
いじめと向き合う
小学校に上がるとすぐにからかいといじめの対象となり、それは卒業するまで続きました。特に男子生徒からはさまざまなあだ名で呼ばれました。バイキン、メガネザル、ギブス女、など、今考えれば笑い話になるあだなですが、当時はそう言われる度に悲しみで一杯になりました。そう言われないように強く振る舞ってみたり、みんなの輪に入りたくて話しかけても邪険にされたり、逃げられたりしました。
緊張すると声が上ずってぶりっ子と言われるので、気をつけて低い声で返事をしたりと工夫してみるのですが、今度は怒っていると言われ、ますます混乱しました。
他の生徒と私はなぜこんなにも違うのだろうか、なぜ、こんなに嫌われるのかと悩み、「なんでこんな体に産んだんだ」と、親を恨んでその感情を直接ぶつけ、母を泣かせてしまったこともありました。
学業成績も今ひとつだったため、「頭が悪いから馬鹿にされるのだろうか?」と感じることもありました。また、いじめられることで自分の性格にも疑問を持っていました。人間関係が上手く築けず、浮いてしまったり、孤立してしまうことにもイライラしていたのです。
それでも、頑張れば何とかなる。自分にだって何か出来ることがある。必ずそれを見つけるのだと思い、自分を奮い立たせていました。しかし、事態は一向に改善されるようには思えなかったのです。
次回は、理不尽な教師からの叱責、クラスメートからの拒絶に直面し、自分の存在価値に疑問を抱く筆者が、生きる意欲を失いつつも、死と生きることへの葛藤と、複雑に絡み合う心情へと物語は進んでいきます。
第3話はこちら
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(感想、メッセージは下のコメント欄から。皆様からの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室)
エンジェル恵津子様
こんにちは!
「逆境のエンジェル」辛かったご経験を乗り越えられて、今だから話せる大切な事を聞かせて頂いてありがとうございます。わたしの好きな小説の言葉。「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。」昨年12月、約6時間の初めての愛知県バス旅「あきば大祭」参加、楽しみの中にもとても緊張しておりました。灯籠イラスト‥国際ブースでしたでしょうか。お祭りで初めて出逢った方とともに、恵津子さんが和やか気さくに話しかけて下さったおかけで、お祭りのはじめから楽しい気持ちで本当に充実した1日を過ごす事が出来ました。連載、必ず拝見させて頂いています。ありがとうございます。
理恵さん、こんにちは!
投稿お読みいただき、コメントもありがとうございます。あきば大祭にバスで6時間揺られてお越しくださったのですね!お一人で来られて、楽しみでもあり、不安や緊張もあったのですね。私も実も、あの日が初めてで、最初は少し緊張していました(笑)楽しい1日をお過ごしくださったとの事、とても嬉しいです。
また、お会いできますこと楽しみにしています。
今後ともよろしくお願いいたします。
エンジェル恵津子様
今回も大切な過去のお話を書いてくださり、本当にありがとうございます。ここには書き表せない恵津子さんの想いや感情があっただろうな…そんなことを思いながら読ませて頂きました。間を空けることなく書かれていることも凄いなぁ!!と思っております!
次回も続きを読ませて頂けるのを心待ちにしております!
たかちゃんさん、
応援のコメントをこの度もありがとうございます。
自分の過去を書きながら、読み直し、書き直しを繰り返す中で自分の中で型がついた部分がはっきり見えてくるように感じます。
毎週月曜日の更新を目指して頑張ります!
エンジェル恵津子 様
今回も大変重い内容で、心が震えました。幼少期から数々の試練を超えてこられたが故に現在の強く美しい恵津子さんがおられるのですね。「人生は大いなる何かに導かれている」「人生で起こること、すべてに深い意味がある」「人生で出会う人、すべてに深い縁がある」試練、逆境に遭った時、「大いなる何か」はこの試練、逆境を私に与えることによって、何を教えようとしているのか。人生において、成功は必ずしも約束されてはいないが、逆境に正対し乗り越えることによって、成長は約束されていることを学びました。還暦を越えて、まだまだ未熟な私ですが、恵津子さんのように試練を学びとして精進してまいりたいと存じます。有り難うございました。【合掌】
みんといさん
今回もお読みいただき、コメントもありがとうございます。
自分では逆境の人生を歩んで来たという意識は薄いですが、
辛い事の中で、沢山の学びをいただいた結果が今にあると思っています。まだまだひよっこで自分に甘いですが、ご縁によって結ばれた点のつながり、次は明るい点に繋げていけるように進んで行きたいと思います。
エンジェル恵津子様
辛く悲しい思いをここで私達に
シェアしてくださりありがとうございます。
今悟りの道を歩まれている恵津子さんが
過去の記憶を振り返り書き記す事によって
更に学びを深めていかれるのだろうと思います。
私も過去の苦しい経験や自身の愚かな言動を
思い出し全ては気づき学ぶ為だったのだと思えます。次回の連載も楽しみにしています。
Emiさん
コメントありがとうございます。
この連載投稿を通じて、過去を丁寧に振り返る時間を持てていることで、整理整頓が出来てきている部分があることに、気づきます。Emiさんがおっしゃるように、全ては気づきと学びの機会であったと知り、感慨深いものがあります。