逆境のエンジェル

歴史から見るアメリカの警察官と黒人の関係|逆境のエンジェル(第33話)

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する著者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった物語です。

前回のあらすじ

 BLM(ブラックライブス・マター)のこと、無意識の差別のことを語っています。(第32話『BLM運動と折り紙が教えてくれたこと』はこちらからご覧ください)

アフリカ人はなぜアメリカに連れてこられたのか

 この連載のなかで、再三にわたり、人種差別の問題、特に黒人男性への不当な扱いや逮捕などを取り上げてきました。しかし、奴隷制の歴史について、いまひとつわかりにくいと思う方もいらっしゃるかもしれません。

 また、白人でも貧困層がいるのに…と、疑問を持たれるかもしれません。

 そこで今回は、なぜ「白人至上主義」の理念ができあがったのか、もう一度、歴史をひも解きながら考察したいと思います。

 コロンブスによるアメリカ大陸発見により、ヨーロッパ人がこの大陸に渡った経緯はご存知のことと思います。その際、ヨーロッパ人によって、先住民を強制労働に従事させる試みが行われました。

 しかしその試みは、疫病や暴力によって先住民が大量に死亡したため、失敗に終わりました。この状況を受け、ヨーロッパ人は新たな労働力として、アフリカに目を向けたのです。

 アフリカの奴隷制は古代から存在していましたが、ヨーロッパ諸国による大規模なアフリカ人奴隷貿易は、15世紀後半に始まりました。特にポルトガルは1444年に西アフリカから最初の大規模な奴隷輸送を行い、この慣行は他のヨーロッパ諸国にも広まりました。

 アメリカ合衆国におけるアフリカ人奴隷の輸送は、1619年にバージニア植民地のジェームズタウンで始まりました。オランダの船が約20人のアフリカ人を売り渡し、これが現在の奴隷制の始まりとされています。

 アフリカからの奴隷貿易は急速に拡大し、アフリカ人奴隷は過酷な条件のもと、主に綿花畑やタバコ農場などで働かされました。

「白人至上主義」は白人貧困層のためにつくられた!?

 17世紀後半、アメリカ南部で奴隷パトロールが組織されました。

 これは、奴隷が逃亡したり反乱を起こしたりするのを防ぐためのもので、奴隷制度の維持と白人の支配権の確保がその主な目的でした。

 当時の南部の経済は奴隷制に強く依存していましたが、多くの白人は奴隷を所有するどころか、住む家もなく、食べるものにも困窮する状態にありました。

 このような白人の間での経済的格差は、貧しい白人と裕福な白人層の間で緊張を生じさせました。

 この緊張を和らげ、暴動を避けるためにつくられたのが「白人至上主義」の理念でした。人種的な線を引き、他人種に対する恐怖や偏見をあおることで、白人コミュニティの団結を促そうとしたのです。

 つまり、白人間の階級差や不平等を目立たなくするために、人種差別が強化され、白人至上主義が広められたのです。

 現在、アメリカの中部南部で見られる白人の貧困は、この時代からの流れを引き継いでいます。また、1808年にアフリカから奴隷を連れてくることを禁止する法律が施行された後も、アメリカでは奴隷制度が存続。特に女性奴隷はたくさんの子どもを生まされるなど、極めて過酷な状況に置かれました。

 やがて白人による奴隷パトロールは発展し、南北戦争後の南部において、地方警察として成立しました。

 これらの警察組織は、奴隷制の廃止後もアフリカ系アメリカ人に対する抑圧の手段として機能し、ジム・クロウ法のような人種隔離法の施行へとつながりました。

 南北戦争以前は黒人が読み書きを習うことが禁じられ、もしそれがわかると、教えた側も教えられた側も殺されました。

 南北戦争後、自由を手に入れた黒人は、まさに水を得た魚の如くさまざまな技術を身につけ、新たな発明をしたり政治に参加するなど、アメリカ経済に大きく貢献しました。

 しかし、これによって、白人至上主義を刷り込まれていた貧困層の白人の反感を買い、黒人に対する暴力や殺害が継続し、さらに熱を帯びることになります。

 そして、その流れが現在のアフリカ系アメリカ人への教育の問題や、システム化された人種差別の問題へと続いているのです。

 奴隷制時代から貧困層にいる白人の多くは、継続して貧しい状態にあります。しかし、これを同じ白人の裕福層がつくり上げたものであることは、あまり知られていません。

 以前も述べたように、アフリカ系アメリカ人や他の少数民族は、白人に比べて逮捕されやすく、重い刑に処される傾向にあります。そして、警察の構成も、依然として白人が圧倒的に多いという特徴があることも、この歴史の流れでおわかりいただけたと思います。

日本で体験した「アメリカの人種差別」

 では、上記のことを知った上で、私たちにできることは何でしょうか。

 これをお読みの方は日本に住んでいらっしゃる方が多いと思います。しかし、この人種差別の問題は、日本であっても他人事ではないと感じています。

 なぜなら、日本はアメリカの影響を大きく受けているからです。

 現在は日本に移住している外国人が大勢いて、これからも増え続けることが予想されます。そのなかにあって、私たちに内在する差別意識に目を向けることは、彼らと上手に共存していくために必要なことだと思います。

 以前、日本に夫と一緒に帰省した際、仕事関係で付き合いのある方とその奥さまと、4人で食事をしたことがありました。

 ご主人とは10年以上の付き合いがあり、彼は日本人で、奥さまは白人のアメリカ人です。

 結果から先にいうと、非常に居心地の悪い時間でした。この方たちとこういう形で交わることは、もうないだろうと思わせるものでした。

 待ち合わせの時点から始まったのですが、最初に挨拶をして以降、ご夫婦はともに、ほとんど私の夫の顔を見て話しかけることはなく、日本語で私にだけ話しかけてくるのです。ご夫妻は英語を話しますし、事前のメールで夫はほとんど日本語を話さないこと、会話は英語でお願いしたいと伝えてありました。

 しかし、レストランの席についても日本語で話をし、夫の存在を夫婦そろって無視します。私が英語で会話をお願いしますと伝えて、やっと会話が英語になりました。それでもしばらくは、英語で私にだけ話しかけてくるのです。

 これは、彼が仕事で見せていた姿とは異なりました。アフリカ系アメリカ人の教授や博士に対する彼の対応は低姿勢でした。

 しかし、夫に対しては見下した態度を取るのです。

 よほど、食事をせずにレストランを出ようと思ったのを、やっとの思いで踏みとどまりました。会話の流れで夫が説明するアメリカの教育問題などには、挑戦的な意見をいったり、夫の教育現場での経験を否定するような言い方までしたことには驚きました。

 これは、まさしくマイクロアグレッション※。白人や肩書のある少数民族以外は見下したり、いないものとして扱う、アメリカ文化の直輸入が日本にもあるという経験でした。

※ 小さな攻撃性。無意識の偏見や差別によって悪意なく相手を傷つけてしまう行為

「慈悲心」を拠りどころとして

 ここに、人間の弱さや無知がある。私はそのことを痛烈に感じました。

 同時に、自分はどうなのかと考えずにはいられませんでした。そして、なぜもっとはっきりと彼らの態度に対して問題提起をしなかったのかと、自分の弱さや優柔不断さを大いに反省しました。

 歴史を正しく理解しつつも、私たちは多様な視点を持ち、他者の経験や歴史を尊重するという意識を持つこと。黒人コミュニティや他のマイノリティの声に傾聴し、彼らの現実や苦しみを理解する努力を惜しまないことが大切なのです。

 つまり、仏教でいう「慈悲心」を育てる必要があるのです。

 白人至上主義がつくり上げた虚構の壁を崩し、人間としてのつながりを深めるためには、他者の痛みを理解し、ともに寄り添うことが求められます。

 そのためには、偏見やステレオタイプにとらわれることなく、人としての本質を見つめる視点を持ち続けなければなりません。

 私たち一人ひとりが心のなかに灯す「変わりたい、変えたい」という意識が、社会全体の変革へとつながっていく…。そう信じて、歩みを止めずに行動していきたいと思います。

 次回は、無意識の差別について、具体的にもう少し深く考えてみたいと思います。(9月23日夜7時更新)

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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 その

 「コロンブスの日」をご存知でしょうか。これはクリストファー・コロンブスが1492年にアメリカ大陸に到着したことを記念したもので、アメリカでは10月の第2月曜を祝日に制定しています。

 しかし、この日は長い間、議論の対象となっています。多くの先住民とその支持者は、コロンブスの到来が先住民にとって苦難の始まりだったと考えており、「コロンブスの日」が先住民の土地奪取、文化の破壊、多数の死を祝うものとして非難しています。

 この背景から、「コロンブスの日」を公式な祝日としていない都市や州も少なくありません。カリフォルニア州のバークレー市では、この日を「先住民の日」として祝うことに切り替えており、それに続く市も出ています。この変更は、先住民の文化と歴史を尊重し、彼らの経験を認めるための動きです。こうした「コロンブスの日」に対する反対は、先住民の尊厳を認め、アメリカの歴史をより公平に描くことをめざす、広範な社会的努力の一環だといえるでしょう。

感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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