➤ この記事について
筆者の原田が原始時代のような南米のアマゾン川の大自然を旅して、世界の見え方や価値観が変わった、一連の体験をお伝えするシリーズです。ぜひ「こんな世界や価値観もあるのか!?」など感じつつ、お読みいただけましたら幸いです。
片道30時間の過酷な旅
2017年の春、僕は成田空港からロサンゼルスに向かう飛行機の中で1人、ポルトガル語の単語帳をめくっていました。「“ウン”(1)、“ドイス”(2)、“トレス”(3)、“クワトロ”(4)・・」。
目的地のブラジルはポルトガル語が公用語ですが、個人的にまったく話せないため、せめて最低限の単語をと思い、頭に入れていたのでした。
まずは買い物などで必須となる数字、また“こんにちは”“ありがとう”から始まり“~に行く”“~お願いします”などです。
逆の立場で考えれば、たとえば東京で海外の人に「私、渋谷、行く、望む」などと話しかけられば、文法がまったく無くても「渋谷への行き方が知りたいのかな」と察せられます。単語の羅列とジェスチャーで、何とか乗り切ろうとしていたのでした。
ちなみに地球の反対側にあたる南米は、日本からの直行便がありません。
東のアメリカか、西の中東・ヨーロッパの“どちら側を経由して行きますか?”といった選択肢となります。
さらに僕の目的は辺境のアマゾン川に行く事だったので、まず東京からロサンゼルスへ約11時間。そこからサンパウロまで約14時間。そしてブラジルといっても、その国土はオーストラリアよりも広大です。
ブラジルに着いたあとも国内線で、アマゾナス州という地域まで5時間ほどかかります。
これを、どこの中継地においても滞在せずに、連続で向かったため、何だか永遠に飛行機に乗り続けている気分でした。
社会人で味わう“はじめてのお使い”
サンパウロに着くとブラジル内で買い物をするため、お金を通貨の“レアル”に両替します。
しかし、このお札やコインはそれぞれ、どの位の価値があるかという肌感覚がありません。
とりあえずは店員さんが「??? ??? ??? ??? 5 ??? 」と言ったので、「5レアル払えばいいのだな」と支払う具合です。
もしお釣りを減らされたり、高い値段をふっかけられたとしても、まったく分かりません。
しかし「よし、搭乗ゲートに着けたぞ!」「やった、オレンジジュースを買えた!」など、日本の生活では何の感慨もないひとつひとつに、大きな達成感が湧きました。
さながら“はじめてのお使い”気分で、小さな子どもに戻って冒険しているかのようでした。
反対に思い通りに行かないことも多く、むしろ焦ったり迷ったりすることだらけでした。
空港で“日本食”と書かれた看板を見つけたので喜んで入ると、スープの中にゆでたエビが入っている、ナゾの料理が出てきました。
長いクシがたくさん添えられていますが、そもそもどうやって食べるのかも、まったく分かりません。
そして、あまり贅沢を言ってはいけないのですが・・正直なところ、美味しくはありませんでした。
ファミリーレストランの説得
ブラジル行きの少し前、このときの僕はアマゾンの“ア”の字もなく、渋谷のファミリーレストランで「会社を辞めたい」と訴える後輩2人に、思い留るよう説得をしていました。
「ひとつの所で上手く行かないから、他に行ったって同じだよ」
「ほら、3年は続けろっていうじゃん」
などと、どこかから借りてきたような言葉を話していました。
以前に勤めていた会社はいわゆる体育会系で、自分の仕事が終わって定時で上がろうとした後輩2人は
「おい、お前ら。先輩がまだ働いてるのに、なに帰ろうとしているんだ!」
と、怖い上司に怒鳴られました。
「コーヒー入れて来ましょうとか、書類のコピーやりましょうかとか、何かあるだろうが!」。
また、この職場では“どんなことも皆で一緒に”という文化があり、良い仕事をした人を皆で褒めることもあったのですが、問題が起こるとフロアの全員が仕事の手を止め、集合というケースもありました。
そのため怒られるときも皆に囲まれ、人によっては公開処刑のような気分になってしまいます。
さらに後輩は反論をしてしまい、上司が激怒。結果として何時間も全員の前で、説教を受けることになってしまったのです。
なお、僕が後輩を引き留めていたのは“そうしないと上司から自分が怒られるので、それは避けたい”という一心でした。
説得は会社のためでもなければ、後輩のためでもなく、完全に保身が目的です。
おそらく、そこのところは後輩にも、見抜かれていたのだと思います。
「それ、本心で言ってますか?何だか原田さんって、あやつり人形みたいですね。」
と、言われてしまいました。
結局1人はそのまま退職し、しかし内気なもう1人は残る決断をしました。
あとで上司に報告すると
「そうか、だが良く1人は説得してくれたな。これからも頼むぞ」
と褒められたので、内心ガッツポーズです。
しかし後輩が口にした「人形みたいですね」という言葉が、心のどこかにチクチクッと刺さっていました。
連続するカルチャーショック
アマゾン川は数か国にまたがるほど広大で、様々なアクセス方法があるのですが、僕の場合はマナウスという地方都市に行き、そこの港(海ではなく川の)で現地ガイドと落ち合い、船で連れて行って貰う契約をしていました。
ブラジルに知人は誰もおらず、マナウス空港の到着口では誰の迎えもないはずでしたが、出た途端に6~7人のナゾのおじさんが、親し気に駆け寄り話しかけてきました。
「ボア タルヂ!(こんにちは) 」「シネィス(中国人)?ジャポネス(日本人)? 」
日本人だと分かると、そのうち何人かがカタコトの日本語で話しかけて来ました。
「ボクもトウキョウ住んでたよ、セタガヤ、セタガヤ」
「どこイクの、アマゾン川?一緒に行こう、イルカと泳げるトコロあるよ。」
ちなみにアマゾン川には“アマゾンカワイルカ”という、薄ピンク色のイルカが生息しています。
おじさん達は明らかにツアー勧誘の客引きでしたが、素性もよく分からない相手に身を任せ、もしジャングルの中に放置でもされたら、死んでしまいます。
あらかじめ信用できるガイドと契約して、良かったと思いました。
しかし予約していたホテルに行こうと、調べていたバス乗り場に行くと、バスが一台もいません。
すると東京に住んでいたらしい1人が、教えてくれました。
「日曜だから、今日はバスないよ。でもタクシーある。知り合いの、安心のタクシー」。
たしかにバスは動いていない様子で、どうしようかと戸惑いました。
現地はお世辞にも治安が良いとは言えず、公的な情報によるとマナウスは現在でも、強盗事件の発生率が日本の1800倍であるなど、もはや数字が大きすぎて感覚が分からなくなるほどのデータが、示されています。
現地人につけられたあだ名は「サラダ」!?
また僕が到着した当時、マナウス市内の刑務所が襲撃され、凶悪犯80人ほどが脱走したという情報も、発表されていました。
万がいち強盗に遭う想定もして、たとえばダミーの財布やパスポートなども備えていましたが、さすがに自力で町中へ行くのは不安でした。
それに比べて日本語も通じるうえ、素性は分かりませんが、おそらく悪い人ではなさそうに感じた、おじさんのタクシーの提案を受けることにしました。
乗り場に行くと、日本と違いタクシーの運転手は、アロハシャツにサンダルというラフな格好です。
1人ヘッドフォンで音楽を聞いてノリノリな様子でしたが、話していたおじさんも助手席に乗り込み、道中は運転手と2人でずっと陽気なテンションで話し続けていました。
「名前なんていうの?・・ハラダ?オウ、サラダ。よろしくサラダ!」。
なぜかサラダというあだ名をつけられてしまいましたが、現地の名所やニュースなど、色々なことを教えてくれました。
しかし窓から街の景色を見ると、綺麗なビルが建っていたかと思えば、その隣は落書きだらけの廃屋があるなど極端です。
学校らしい施設も見かけましたが、門や塀が高い鉄格子で囲われていました。
これは犯罪対策であり、子供だけで登校すると誘拐される可能性が高いので、裕福な家庭はお金を出し合ってバスを借り、通わせているのだそうです。
また、いかにもならず者が出てきそうなシャッター街もあり、タクシーをお願いして正解だったと思いました。
無事にホテルへ到着し、しかし請求された額をあとで調べると、通常の5倍くらい取られていることに気づきました。
ただ、あまりに目まぐるしい環境もあってか、まったく腹は立ちません。
「まあ、観光ガイド代だったのかな…」
などと思いましたが、どうしても日本との違いは肌身に染みました。
レストランの席に荷物を置いて確保、電車でスマートフォン片手に居眠り。
もしマナウスでそんなことをすれば、身ぐるみ剥がされてしまいそうです。
僕は日本に居るのが嫌になり、この地に来たつもりでしたが、しかしあの治安と秩序は特別な環境だったのだと、思い知りました。
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