大愚道場

《体感・気づき・鍛錬》沖縄空手にみる仏教の学び方

2023年10月28日、日本屈指の夏のリゾート地沖縄で、初の「大愚道場」が開催されました。

紺碧の海と、暖かな気候が広がる沖縄で開催される大愚道場では、どのような学びと気づきが待っているのかーー私は、未知数の沖縄に思いを巡らせながら、一路那覇空港に向かいました。

福厳寺から約1300Km。愛知県の最も遠い都道府県である沖縄県初の大愚道場を通しての学びや気づきをご紹介します。

基本姿勢を重んじる

街にはハイビスカスが咲き誇り、どこかゆったりとした空気の流れる「沖縄」と、仏教の世界に生きる「大愚和尚」。一見すると遠い存在に感じる二者ですが、実は意外な共通点があります。

それは「空手」です。

大愚和尚は、僧侶でありながら「空手家」の顔を持ちます。そして沖縄は、「空手の発祥地」でもあります。

沖縄で受け継がれてきた空手は「沖縄空手」と呼ばれ、「型」を日々鍛錬し、稽古します。「型」とは、対戦相手がいない状態で、「突き」や「蹴り」「受け」といった基本動作を表現する競技。

調べてみると、空手では「いかに相手をイメージして『型』を繰り出せるかが勝敗の分かれ道」といわれるほど、「型」が重要視されているといいます。

なぜなら、「型」は、実戦形式に通ずる基本姿勢だからです。

一方、大愚和尚の率いる大愚道場では、仏教における「法(ほう)=この世の真実のありよう」に特化して学びます。つまりそれは、「より良く生きるための、基本姿勢を学ぶ」とも言い換えられるのではないでしょうか。

大愚道場では、「八正道(はっしょうどう)」(苦しみの止滅につながる方法を具体的に説いた、八つの正しい生活法)を元に、仏教を学んでいきます。

「相手のいない状態で、基本姿勢をしっかり身につけた上で、実戦(社会)で生かしていく」

大愚道場での学びは、僧侶であり、空手家でもある大愚和尚ならではの構想であることがわかります。

体感して、気づき、鍛錬する

空手も稽古する場所を「道場」と呼びます。「道場」とは、さまざまなレベルの者が一同に集まり、基本から応用の稽古を体感して、鍛錬する場所。

「鍛錬する」とは、何度も稽古を繰り返して、心・技・体(精神・技術・体格)をともに深めていくことを指します。鉄が何度も打たれることで、強度が増すように、心・技・体も「何度も稽古する」ことで、深みを増します。

ではなぜ、道場での学びには、「体感する」ことが必要なのでしょうか。

大愚和尚はこういいます。「私たちは、外のことは多く学ぼうとするけれど、自分のことを知りません。佛心宗では、心についての学びと同じように、体(フィジカル)の修行に重きをおいています。なぜなら、『心は体に現れる』からです」と。

その言葉を裏付けるように、今回も、「心は体に現れる」ことを、自ら体感するワークが次々と繰り広げられていきました。

「体感する」ことがなぜ必要か。それは、ただの知識の教授では得られない「気づき」があるからです。

人は、気づくことで自分の心がわかり、自分を知ります。より良く生きるための第一歩は、まず「自分を知ること」です。

しかし、大愚和尚はこうもいいます。「現代人は、身体感覚に乏しい」と。

身体感覚が乏しくなればなるほど、自分の体の変化に気づかず、心の機微を見逃し、結果「下手に生きる」ことにつながります。

より良く生きる基本姿勢を学ぶには、体感して気づき、そして鍛錬することが欠かせないのです。

ご縁をいただいた皆さんのお声

沖縄の会場でご縁をいただいた皆さんのお声を集めました。どうぞご覧ください。

慈橋推進部・理純明水(りじゅんみょうすい)さん

今回で、大愚道場は4回目のサポートです。当初は、嬉しさ半分、不安半分でしたが、この様に沖縄まで飛行機で来られ、楽しんでサポートできるまでになった自分の変化に驚くとともに、心から嬉しさを感じています。

というのも、大好きだった旅行もできなくなるほど悩み、体調を崩してしまったことがあり、興味のあった仏教を深く学びたいとあれこれ模索する中で、「一問一答」に出会ったからです。

普段の介護の仕事では、自らの「怒り」をどうコントロールするかが大きな課題です。そんな時に大愚和尚のお話を思い出し、「いったん離れて冷静になる」ことを覚えました。実生活で生かされる仏教というのはこういうことかと、肌身で感じて感謝する毎日です。

一人でも多くの方に、私と同じような嬉しさを経験していただきたい。その一心で、今後もサポートを続けたいと思います。

サポートメンバー・上村幸子(うえむらゆきこ)さん

昨年の福岡開催時、サポートメンバーとして参加して以来です。

友人には「本が何冊も書けるね」といわれるほど、これまでの人生にはいろいろなことがありました。そんな中「一問一答」に出会い、大愚和尚を知ったのです。

大愚和尚には、大樹のような、計り知れないエネルギーを感じます。より良い生き方へと導いてくださる方と出会えたことが心から嬉しく、これからも学び続けようと心に決めました。

それ以来、「人のためになることを、ほんの少しずつ」という思いで、普段から過ごすようにしています。私は自宅でピアノを教えていますが、自身のつらかった経験を生かし、生徒とその親御さんの心のよりどころとなれるよう、今後も努めたいと思います。

サポートメンバー・島田聖子さ

私は沖縄在住です。福厳寺まで、なんとか足を運べないものかと思いあぐねている時に、沖縄での大愚道場開催を知り、初参加で、思い切ってサポートメンバーに手を挙げさせていただきました。

しかし、教化部長の慈香さんが、朝一番に笑顔で迎えてくださったことで、私の不安は一気に吹き飛びました。私は、何事も「人」で成り立っていると考えています。「ここなら大丈夫」そう確信しました。

コーヒー豆を焙煎・販売して8年が経ちます。コロナの影響で悩み、焦りを感じた時に、「一問一答」に出会い、自分の中に軸がなかったことに気付かされました。

コーヒー豆も、心がぶれている時はうまく焙煎できません。心・技・体はつながっているという大愚和尚のお話を、身に染みて感じます。

私が多くの「気づき」を得たように、みなさんにも同じように「気づき」のチャンスがもたらされるよう、できる限りのサポートをしたいと思います。

参加者:玉城靖規(たまきやすのり)さん

屋久島に家族4人で移住し、半年ほどです。以前から、両親とともに沖縄で保育園を経営しておりましたが、経営の難しさに忙しさも相まって悩む中、昨年「一問一答」に出会いました。

論理的に、静かに、厳しく仏教を教えてくださる大愚和尚に引き込まれ、気づけば、自然な形で生活習慣から見直すようになっていきました。

そうこうしているうちに、来年から自身が理事をつとめることになりましたが、自分はまだ下手に生きていると自覚しています。保育園の現場から一度離れ、一から見つめ直すことに決め、今に至ります。

明日開催される、沖縄初の経営マンダラにも参加予定です。今後はサポートメンバーとしても参加してみたいと思っています。

参加者:ステンゴー和江さん

主人が今年春にリタイアし、海外を転々とする生活に終止符を打つと同時に、沖縄に戻ってきました。主人は日本語は話せませんが、「いつも見ている『一問一答』の方に会いにいくよ」と話してきました。

私は、コロナ禍に「一問一答」に出会いました。大愚和尚の言葉が大変心に響いたのです。そして、大愚和尚の人間らしさにもひかれました。

「自分に向かう」という教えが心にすっと入り、長年主婦を続けてきましたが、「人のために何かしたい」と思いたち、今ではハワイアンロミロミのセラピストとして活動しています。

今日は、同じテーブルになったみなさんと、とても楽しく過ごさせてもらっています。大愚和尚も、「サンガは4人以上で」とおっしゃっていましたよね。とてもいいご縁をいただきました。

編集後記

諸説はありますが、空手は、古来「琉球」と呼ばれていた沖縄で、1900年代初頭からはじまったといわれています。一方、仏教は2500年前から脈々と続くもの。空手の精神に、仏教の精神が含まれていたとしても、何ら不思議はありません。

「空手」の基本は、攻めではなく「守り」にあるといいます。やみくもに相手を攻めるのではなく、自分を守る方法としての基本姿勢を学ぶという点も、どこか仏教に通ずるものを感じます。

仏教を学ぶのであれば、「体感・気づき・鍛錬」をもって、「心が変われば、行動が変わる」ことを、一人でも多くの方に、体感してもらいたい。

今回、沖縄大愚道場をリポートして、強くそう感じました。

また、大愚和尚の「ラフテーのように、柔らかく…」の言葉に象徴されるように、

「空手も生きることも、ただただ力強ければよいのではなく、状況に合わせてさまざまな『型』を繰り出せるだけの、心と体の柔軟性が必要である」

空手の発祥地「沖縄」にて、このことを深く学ばせていただいたように思います。

ABOUT ME
志保
寺町新聞・副編集長。自身を「透明なうつわ」と捉え、向き合った人の「色」を鮮やかに描き出すことに心を燃やす。執筆・編集のほか、企画ディレクターとしても活躍。回遊魚のごとく、日々人探しと情報集めに奔走している。好きな食べ物は、しょうがの甘酢漬け。
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