福厳寺でお唱えしている「修証義」というお経には、善い行いも悪い行いも、あとで必ず自分に返ってくるということが書かれています。お寺で修行をさせていただいていると、ぴったりとその法則が成り立っていることに気がつきます。
例えば、あるとき、洗濯物を雑に干した際に、「少し雑だけれど、これくらいは良いかな…」と思った時に限って、先輩にそれが見つかり、お叱りを受けたり。他にも、いいかげんに、やってしまったこと、うしろめたい気持ちになることは、大抵あとから、自分の首を絞めることになります。仮にその時に誤魔化せたとしても、小さな罪悪感が積み重なり、怠け癖が習慣化してしまうと、大事な時にやるべき行動がとれなかったり、大きな問題に発展し、信用を失うことになってしまうと、今は実感しています。
私は、お寺に来る前に、親にしてしまったことへの後悔をずっと隠していました。わざわざ過去の出来事を、修行仲間にも言う必要がないと思っていましたし、「終わったことをクヨクヨと後悔せず、今できることに集中するのが修行者だ!」と思って、自分の中に留めていました。
しかし、だんだんと人を騙しているような感覚が苦しくなって、修行仲間、お寺の皆さんに全てを話させていただきました。
皆さん温かく聞いてくださり、本当に心が楽になりました。
しばらくは目を合わせるのも恥ずかしかったですが、その後は頭がとても軽く、長いこと心にかかっていたモヤが晴れ、気分が爽快になりました。
全部無かったことにして、「良い人」としてあろうという考えが自分を苦しめていたようです。
悪い種を蒔いたら、必ず悪い結果が自分に返って来ると分かりながら、逃げようとしていたのかもしれません。しかし今回、そこから逃げようとせず、自分から報いを受け入れようと思い、洗いざらい打ち明けたことで、本当に楽になりました。
これからは、過去の自分が取れなかった善き行動を心がけ、何かしら報いを受けなければいけない時は、逃げずに自分から受けに行く、そのような修行者でありたいと思います。どんな報いが降りかかるのか、少し怖いですが、楽しみでもあります。そのようなあり方が、自分の人生を明るくし、人のお役に立てると思うからです。
自分の生き方を整えてくれた、師匠、道場の環境や、修行仲間に心から感謝いたします。
合掌 洞厳大勇