YouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」をきっかけに、人生が変化した経験を持つ人が、自身の物語を記す「一問一答ものがたり」。今回は、愛犬の旅立ちにまつわる香薫理掌(こうくんりしょう)さんの物語をお届けします。
2023年9月、愛犬がその生涯を閉じました。ジャーマン・シェパード、名前はニモといいます。
12歳の誕生日を迎えた頃、大きな腫瘍が見つかり、手術を乗り越えたものの、後遺症で後ろ脚が麻痺。散歩は車椅子で、3時間置きに体位を変え、用足しを促し、最後の数カ月は介護生活でした。
それでも食欲は旺盛で、調子の良いときはキャンピングカーで旅行に出かけ、みんなに愛され、ある時にはペットフード販売サイトの取材まで受け、「この様子なら15歳くらいまで生きられるよね」と願っていた矢先のことでした。
もちろん覚悟はしていました。人間に換算すると90歳近く、大往生です。
わかってるけど、腑に落ちないペットロス
あまりに落ち込み、明日をどう過ごせばよいかわからなくなった私は、救いを求めるように「大愚和尚の一問一答」の一本の動画を探しだします。「ペットロスの乗り越え方」です。
しかし、それは、大愚和尚の一問一答と出会って以来、初めて拒絶を覚え、なかなか腑に落ちない『一問一答』でした。
「全ての生き物は、生まれたその瞬間から、いつかは『土に帰る』契約をして、この世に出てきている」
その通りである、と頭では理解しています。でも心がついていかないのです。
ジャーマン・シェパードの形をした大きな穴が心にぽっかりとあいたまま私の中の時が止まってしまい、愛犬がもうこの世にはいないという事実自体が不可思議で、受け入れられませんでした。
いつもであれば、大愚和尚の説法は、清らかな水がすーっと渇きを癒やすように、すんなり心身に染み込みます。ところが、今回ばかりは和尚の言葉が、はらはらと細かい粒になって、ただただ散っていく、そんな感覚でした。
過去への「執着」と、愛犬への「依存」
大愚和尚の言葉も拒絶し、長いトンネルに迷いこんでしまったような不安にさいなまれる中、ある日ニモの写真を整理していると、「ニモはもう存在しない」という悲しみの間に間に、違った感覚が生まれてくることに気づき、私はがく然とし、声を上げて泣きました。
その感覚とは、「過去への執着」です。
私は、数年前まで、当時の夫と二人でハワイ島にて暮らしていました。そこにある日やってきたのが、ニモです。その日以来、旅が好きな夫婦の生活は、犬中心の生活へと一変。私は何の疑いもなく、二人と一匹の生活がずっと続くと思っていました。
しかし、その後私たち夫婦は離婚。ニモは、夫とともに日本に渡り、夫が新たに築いた家庭で晩年を過ごし、そして旅立ちました。
振り返ってみると、ニモがいたから、私は夫婦として暮らしていられた。つまり、われわれ夫婦の関係は、愛犬を迎える前から、破綻していたのかもしれません。
本当は、夫婦間がうまくいかないことへの「怒り」という炎がくすぶっているにも関わらず、「ニモが幸せならそれでいい、それでいい」と念佛のごとく唱え、自身の心が壊れないように、炎を見て見ぬふりをして過ごしてきました。
私は、自分の怒りを隠そうとするあまり、愛犬に完全に「依存」していたのです。そして、愛犬が旅立ったことで、今度は自分の過去すべてが否定されたような気持ちになってしまっていた。大愚和尚のおっしゃる通りでした。
もちろん愛犬が旅立った悲しみは計り知れませんでしたが、その裏に潜む「過去への執着」が、より私を悲しみのどん底に誘っていることに気づきました。
動物はみな、ただ「ひたすらに生きる」
ニモを日本に送り出したあの日、ホノルル空港でいつまでも泣き止まない私に
「犬は大丈夫だ、任せておけ。それよりもおまえは大丈夫か?」と、空港グランドスタッフの方が声をかけてくれました。
しかしニモは、家族のメンバーが変わることに一瞬の戸惑いはあったとしても、日本に到着したその日からまた、ご飯を食べ、散歩をし、寝て、一日一日を精一杯生きたでしょう。
あの時、なかなか立ち直れずにメソメソしていたのは人間だけです。
大愚和尚はこういいます。「死ぬということに対して、ジタバタする動物はいない」と。
動物は、人間のように、過去を悔やみ未来を憂うことはしません。「死ぬということに対してジタバタしない」とは、すなわち、目の前にある「生」をひたすらに生きているからだと、ニモから教わったように思います。
いまだに、ニモの写真を見ると涙がでてしまいます。
でも、手術の後遺症で後ろ脚が不自由になっても、前脚でしっかり大地を捉えて、前に前に進んでいたニモ。
「ジタバタすることはなく毎日散歩に出かけていたニモを見習って、ママも『今』を精一杯生きるからね。」私はそうニモに誓って、日々を過ごしています。
ニモが、「ひたすらに生きる」ことを教えてくれたから。
香薫理掌
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by寺町新聞編集室
私も犬を昔飼っていました。やんちゃな犬で、特別な時間もありましたが別れは寂しいですね。
さとしさん、コメントありがとうございます!
愛犬も、いつまでも子供のようなヤンチャな犬でした。大きな体で甘えてきて、時には制御がきかずに怒られて。怒られた瞬間はさすがにシュンとするのですが、次の瞬間からまた「遊ぼう!遊ぼう!」と。『今』を生きてるんだなと、怒りながらいつも笑っていました。本当に寂しいです。
理掌 合掌