➤ この記事について
2017年に筆者の原田が、原初の世界のようなアマゾン川の大自然を旅して、世界の見え方を変えられた体験をお伝えするシリーズです。「こんな価値観もあるのか」などと感じながら、読んでいただけましたら幸いです。
あっさりとした現地のお別れ

ドルン、ドルルン。アマゾン探索の拠点としてきたロッジで、ハンモックに揺られていると、遠くの方から小型船のエンジン音が近づいて来ました。ガイドと契約した期間の最終日、仲介人が町へ送り届けてくれるための、迎えが到着したのでした。
何日も衣食住をお世話になり、危険を避けて無事に過ごせたのもガブリエルさんのお陰であり「忘れられない日々でした、本当にありがとうございました!」と伝えると、「僕も楽しかったよ、元気でね」と返してくれました。
これが日本であれば、船に乗り込んで姿が見えなくなるまで手を振る・・といった雰囲気になりそうです。しかしガブリエルさんは挨拶を交わした直後、何ごとも無かったかのようにUターンし、釣り具の手入れを始めています。
最初は正直、少しドライにも感じました。しかし思い返すと何日か前に現地民のカボクロが、家族の1人が長く町へ行く場面で、お互い「それじゃ」という感じで、あっさり別れていたのです。もしかするとアマゾンでは、こうした形がスタンダードなのかも知れません。
理由を聞いたわけではありませんが、自らも大自然の一部という世界観のもと、広大なジャングルで生きる人々にとっては、出会いや別れの感覚も違うのかも知れません。しかし湿っぽくならない別れ方でもあり、どこか日本のサムライが「では、達者で」「おさらば!」と去るようなカッコ良さもあり、悪くないようにも思えて来ました。
自由でカオスなブラジルの町

行きと同じく、アマゾンの大自然から町までは船や車を乗り継ぎ、何時間もかかりました。道中は運転手の人とはあまり会話をせず、見納めとなるジャングルの風景を、ずっと眺めている自分がいました。
相変わらずの深い密林と巨大な川、草木の匂いが入り混じる空気や風。つねに聞こえる無数の生き物の鳴き声。ずっと何日も触れてきましたが、それでも心癒されるものがありました。じょじょに水路から陸へ、泥の道から舗装された道路に変わっていくと、文明生活へ戻るのだという実感が沸いてきます。
そうしてたどり着いた、アマゾン川に接する港湾都市『マナウス』で、僕は3日ほど宿を取り、町を見て回ることにしました。アマゾンの大自然もそうですが、ブラジル自体が地球の裏側であり、しかも中心地から離れた地方都市は、簡単に来られる場所ではありません。ただ通過するだけでは惜しく感じたのです。

宿を取った港の周辺には市場もあり、さまざまな人種の人々で賑わっていました。ピンクや黄色や緑など、カラフルなパラソルの下にさまざまな露店が並び、商品の種類もあまり規則性がありません。
店員もほとんど制服や身分証はなく、みんなアロハシャツやサンダルといった格好で、誰がどういう立場か見分けがつきません。また道を歩いていると、色々な行商人に「これ買わない?」と話しかけられます。それも食べ物や飲み物であればともかく、民芸品や折り畳み自転車、水着など「なぜ今それを?」という物まで、何でも売ろうとしてきます。
周囲も路上で洗車をしている人や、音楽をかけて踊っている人、リアカーで山ほどのバナナを運ぶ人など、大勢の人があらゆる事をしながら、行き交っています。このカオスで自由な雰囲気は全てが色濃く、不思議な夢の世界に入り込んだようでした。熱帯の暑さも相まって、どこかフワフワした気分になって来ます。日本では「あの人は変わってるよね」と言われそうな人も、この個性が強い人だらけの町では普通で、周りの目を気にすることもなさそうです。
この開放感は本当に素晴らしいですが、しかしマナウスは全てが素敵な楽園ではありませんでした。行きの道中で味わったように、お世辞にも治安は良くないので、もし強盗に遭っても差し出せるダミーの財布を、つねに持ち歩いていました。あまり旅行者感を出さず、ホテルに荷物を置いた後はラフな格好になり、片手にビニール袋を下げて、買い物に行きました。

また道も整備されていない所がちらほらあり、突然デコボコや穴があるので、足元は気を付ける必要があります。町を走る車も「自分が通るぞ」という主張して来るケースが多く、しばしば利用したタクシーでさえも、運転手はクラクションを多用していました。
夜のフライトはめいそう空間
消灯後のうす暗い機内、座席のディスプレイには世界地図に、飛行機の現在位置を示すアイコンが点滅しています。日本へは中継地で滞在せず連続で乗り継いだため、合計30時間を超えるフライトは、時間の感覚が無くなりました。
時差ボケどころではなく、消灯後も眠れないケースがしばしばあります。妙に目が冴えてしまい、そうかといって動ける場所は、化粧室に行く位しかありません。通常であれば苦痛な時間ですが、座席でひたすらアマゾンの記録を書き続けることができたため、いま思えばあの集中できる時間があって良かった気がします。

絶え間なく聞こえるゴオオォォという飛行音も、不思議と集中力が高められます。無機質でほとんど動けない場所ではありますが、不思議なめい想空間のように感じられ、アマゾンの記憶に対しても「あれは、どういうことだったのだろう」という思考が深まりました。
ちなみに機内のサービスで、映画や音楽を視聴することも出来たのですが、あまり観る気にはなりませんでした。しかし何となくチャンネルを変えているとき、たまたま目に留まった1つの科学番組が、アマゾンの経験と結びつき、深く脳裏に刻まれることになりました。
その番組は『地球の寿命はあと何年?』というテーマでした。その解説によれば、地球よりも先に寿命がおとずれるのは太陽で、爆発の直前に肥大化すると言います。その大きさは地球にも達し、灼熱の星となった地球ではあらゆる生命が死滅。そして最後は地球ごと飲みこんで、爆発するのだと言います。

その推定時期は約50億年後とのことで、冷静に考えれば、そんなにも先のことを考えても仕方ありません。しかし今、泣いたり笑ったりしながら生きている人類の子孫も、アマゾンで見たような雄大な自然や、他の動植物たちもの子孫も。いつかは必ず消滅する運命を思うと、何とも切ない気持ちになってしまいました。
人類は何のために命をつないでいる?
科学番組を視聴し終わると夜の機内で、「人類は何のために、命を繋いでいるのだろう」と、考え込んでしまいました。しかし、そのとき世界樹で教えられた「すべての生命は、相互に関係している」という言葉が思い出されました。
人類の築き上げた文明を考えると、現在も急速に発展を続け、今や宇宙開発を進めて別の惑星に住む技術さえ、追い求めています。遠い未来にそれが実現したとき、人類だけでは生きて行けませんから、さまざまな動植物も移住させるはずです。そうなれば結果として地球の生命は、他の惑星で存続することにつながります。
また最前線で宇宙開発に携わる人々も、社会という基盤や必要な道具を作る企業、また食べ物の生産者がいなければ、日常生活は送れません。その食べ物も、自然や生き物からもたらされなければ存在せず、科学技術もそうした全てに支えられている事実に思い至りました。

人類が宇宙を目指す理由は好奇心、あるいは国家や企業の技術促進などがあります。あるいはライバルへアドバンテージを取るためなど、必ずしも未来の地球のことまでは、考えていないのかも知れません。それでも宇宙へ飛びだす技術は今のところ人類しか持ち得ず、そうした知性がはるか未来に、地球の生命が存続する道を拓く可能性があります。
そう考えると人類の存在意義は、最終的には『地球の生命のため』ではないかと、思えました。そして僕はアマゾンの体験を通じ『文明よりも自然』という考えに傾いていましたが、自然破壊などバランスを崩さない範囲で両立するならば、どちらも必要なのだと思い直しました。
アマゾンという別世界への旅は、狭い視野で過ごしていた以前よりもずっと、広い視野を与えてくれたようでした。
日本再発見と仏教世界への旅立ち

長旅の末に成田空港に帰り着くと季節は春まっ盛りで、その陽気もあってか電車に乗ると、うとうと眠っている乗客を多く見かけました。中には片手に握っているスマートフォンが、こぼれ落ちそうになっている人もいます。
もしブラジルで同じように無防備な姿を見せたら、身ぐるみ剝がされてしまいそうです。国によって事情は違うとはいえ、比べるとあまりのギャップで、思わず「ふっ」と口もとが緩んでしまいました。

都内の公園では大勢がお花見に訪れ、シートの上に寝っ転がっている人や、自分達の置いた荷物に目もくれず、フリスビーで遊んでいる家族連れもいます。先ほどの電車もそうですが、治安の悪い国では考えられず、今まで当たり前に見て来た光景も、じつは特別の中の特別なのだと、肌身に感じました。
道路を走る車はクラクションをほとんど鳴らさず、横断歩道を渡るときも多くの車両が、かなり手前で止まってくれます。僕のアマゾンへの旅は、日本の生活が嫌で飛びだしたようなものでしたが、外の世界を見て帰ってくると、今まで見えていなかった素晴らしい部分を、再発見することが出来たのでした。

さて、これが何かの物語であれば、大冒険を境に人生はすっかり好転し、ハッピーエンドへ向かう流れになりそうです。しかし現実はそう簡単には行かず、以後も大きな失敗をしてしまうなど、人間の根幹はそう直ぐには変わらない事実も、思い知りました。
また次第にアマゾンの記憶も薄らぐなか、2019年からはコロナ禍が始まり、周りもギスギスして重苦しい状況になってしまいます。いろいろなことが上手く行かず、不安に苛まれることも増えてしまいました。
そうした状況に突入して数年後の春、僕は岐阜県の多治見市にある、とある旅館に宿泊していました。女将さんから「よく遠方からいらっしゃいました。お仕事か何かですか?」と聞かれた僕は、そうではなく電車で数駅先にある、お寺を訪ねるためと答えました。

女将さんは「なるほど、こちらにご親戚かお知り合いが。法事か何かで?」と言いましたが、それに対し「いえ、とくに縁は無く。お和尚さまの法話を、聞きたいと思いまして」と答えると、「?」と、首を傾げられていまいました。
これは逆の立場であれば無理もなく、それまで僕の中でもイメージとして、お坊さんの法話といえば『小学生の頃、朝礼で聞く校長先生の話』と同じカテゴリーでした。それを、わざわざ遠方まで聴きに行くなど、およそ考えもしないことです。
しかし、たまたまYouTubeで目にした、お悩み相談の動画に心を揺さぶられ「お寺を尋ねて、直接お話を聞きたい」と思い立ったのでした。翌日、コロナ禍で縮小の規模ではありましたが、花まつりを開催する福厳寺の境内は、春の緑に美しく彩られていました。

そして山門をくぐった先にあった出会いに心を打たれ、僕はある意味で仏教という世界に対し、新たな旅に出ることになりました。住職の大愚和尚が全国で開催する、さまざまな行事へ足を運ぶようになり、佛心会にも入り、今に至ります。
この旅はアマゾンの探訪とはまるで異なりますが、仏教が説く自然観や人間の在りようは、意外なところで重なる部分も少なくありません。やはり世界樹で学んだように、まるで離れているように見えることも、すべてはどこかで繋がっているように思えます。

今この文章をパソコンで打ち込んでいる瞬間も、ジャングルでは先住民が槍や弓を手に、獲物を追っているかも知れません。昼も夜も、日本の文明生活に対して地球の裏側では、雄大なアマゾン川に無数の生き物の鳴き声が、こだましているに違いありません。
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