逆境のエンジェル

アメリカと日本、福祉と医療現場からの問いかけ(第41話)

逆境のエンジェルとは

「逆境のエンジェル」とは、アメリカで生活する筆者が、自らの人生をふり返り、いじめや身体障がい、音楽への情熱、音楽療法士としての歩み、異文化での生活、異文化間結婚、人種差別など、さまざまな体験・挑戦を通じて得た気づきと学び、成長をつづった体験談です。

前回のあらすじ

 知られざるアメリカにはびこる意図的な選挙戦略と、投票に関する問題を、カリフォルニア州と他州との比較から語っています。(第40話「選挙に見るカリフォニア・バブルの内と外」はこちらからご覧ください)

5年ぶりの、ある大学への訪問

 2024年11月。南カリフォルニアは、静かな秋の空気に包まれていました。

 私は通訳の仕事でこの地を訪れ、ロマリンダ大学(※)の社会福祉学科での研修に、5年ぶりに同行しました。

 私がこの仕事を初めて務めさせていただいたのは、いまから15年ほど前。当時、日本人学生の研修受け入れを担当されていた日本人のソーシャルワーカーさんが、自分の代わりになる人を探しておられ、お引き受けしたのが始まりでした。

 通訳の資格のない私にとって、いささか無謀とも思えることでしたが(笑)、以来、このご縁が続いています。 

 今回の研修目的は、日本の専門学校で学ぶ学生たちが、アメリカの福祉や医療の現場を体験し、その背景を深く学ぶことにありました。

 異文化のなかで何を感じ、何を学び取るのか――彼らの姿を見届けると同時に、私自身も多くの気づきを得られるとの期待を持って臨みました。

※ カリフォルニアの内陸部に位置するアメリカで最大級の私立医科大学

再会の喜びと懐かしさ

 ロマリンダ大学の社会福祉学科に足を踏み入れると、懐かしい記憶が蘇りました。

 過去の研修で出会った学生たちや講師陣との交流、初めて通訳として参加したときのアタフタと、冷や汗をかきながら通訳したことが、昨日のことのように思い出されました。

 しばし思い出に浸っていると、担当のタロロ教授が姿を現しました。

 彼はいつものように大きな体で堂々と現れ、両腕を大きく広げて「久しぶりだね! 元気そうだね!」と笑顔で私を迎えてくれました。

 その温かく力強いハグに、心がじんわりと笑顔で満たされるのを感じました。

 お互いに「また会えたことが本当にうれしい」と伝え合い、しばし再会の喜びに浸る時間を過ごしました。

ユニークな理念を持った教会

 ロマリンダ大学は、セブンスデー・アドベンチスト教会の組織の一部として運営される学校です。

 セブンスデー・アドベンチスト教会とは、キリスト教の教派のひとつですが、一般的なキリスト教団体とは少々異なる思想を持っています。

 彼らは、科学と人間全体を包括的に捉え、バランスよく整えるアプローチを根底に置いています。そして信仰を軸に、健康や医療、福祉の分野で大きな貢献を果たしているのです(詳しくはコラム欄をご覧ください)。

 ここで働く人々に接すると、その信仰が単なる理念や形式ではなく、実生活に深く根ざしていることが伝わってきます。

 たとえば、病気や精神的な問題を抱える患者に対し、単に治療や看護を行うだけではなく、その人の背景や心の痛みにも深く共感し、精神的な支えとなるよう努めている姿。

 ときとしてアメリカ人は、自分たちが世界で一番優れているという考えを、強く打ち出す傾向があります。

 しかしここでは、愛国心を重視しつつ、どの文化にもそれぞれ長所と短所があり、お互いを尊重し、学び合う姿勢が大切、という考えが根付いているように見受けられます。

 特に、職員の一人ひとりの、社会問題や医療について真剣に向き合う姿勢には、純粋さと誠実さが感じられました。

仏教と、不思議なほどに響き合うもの

 この学校の理念や人々の姿勢を目の当たりにしていると、そこには仏教の教えに通じるものがあると感じずにはいられません。

 ロマリンダ大学の人々は、信仰をただの言葉や理念で終わらせるのではなく、福祉、医療、教育に対する具体的な行動を通じ、人間性を高めようとしています。

 その姿は、佛心宗が説く「慈悲」「智慧」「仏性」の教えを思い起こさせるものです。

 なかでも、教授やスタッフ一人ひとりが見せる温かさと情熱は、心の奥深くに響くものがありました。

 彼らが向き合うのは、目の前の人間に対し、心と体、そして背景をも含め、すべてを理解しようとする姿勢です。

 そこからは、優劣や偏見を最小限に省き、何が必要なのか、何を求められているのか、自分に何ができるのかを考え、手を差し伸べようとする様子が見て取れました。

 たとえば、休憩時間のこんなひとコマにも、そうした姿勢が表れていました。

 5分ほどの休憩中、メキシコにルーツを持つ職員が、メキシコの菓子パンとココアを学生たちに振る舞ってくれたのです。

 その菓子パンを手に取り、笑顔でココアを飲む学生たち。その和やかな情景は、授業が再開しても継続していました。

 日本の学生たちは、「授業中に飲食が許可されるなんて初めて!」と目を輝かせ、緊張がほぐれた様子でリラックスし、学びに取り組んでいました。私は通訳で忙しく、一口も食べられませんでしたが(笑)、学生たちが心和む状況をつくり出してくれた、その職員の心遣いには、大いに感銘を受けました

 また、研修の最終日には、11月の感謝祭にちなんだ取り組みも行われました。それは、それぞれお世話になった施設に感謝の気持ちを表すための、日本人とロマリンダの学生たちが協力して臨んだ「感謝の木」の制作です。

 異なる文化や背景を持つ学生たちが、ひとつの作品を完成させていく様子は、まるで人と人とのつながりの象徴のようでした(この「感謝の木」については、次回以降で写真とともに詳しくご紹介したいと思います)。

越えていく言葉の壁

 こうしたことからも、ここで働く人々には、仏教の教えと同じように、「自分にできる小さなことを積み重ね、少しでも世の中をよくしていく」という、普遍的な価値観がしっかりと根付いていると感じます。

 病院や施設を訪れた際には、どの職員も優しい笑顔で迎えてくれます。これは、無味乾燥な州立病院で働く日々とは明らかに違います。

 単に知識を教えるのではなく、人々が健康で幸福に生きられるよう支え、社会をよりよい方向に導こうとする。その姿勢は、見る者に深い感動を与えます。

 職員たちが、病気や精神的な問題だけではなく、その人の心の奥底にある声に耳を傾けようとしている姿。それは、ブッダが貧しく苦しむ人々を、その痛みから解放しようとされたエピソードを思い起こさせるものでした。

 アメリカでありがちな表面的な相づちや愛想のよさ、「聞いているふり」も、ここではほとんど見かけません。そうした彼らの態度からは、相手を深く理解しようという誠実さが伝わってきて、その真摯な姿勢は、学生たちに強い影響を与えたようでした。

 ロマリンダ大学の大学院生と日本の学生たちが、言葉を使わず自己紹介をするアイスブレーク(※)から始まった今回の研修。

 言葉の壁を超えて打ち解けようとするその取り組みは、学生たちの心にダイレクトに働きかけるものでした。彼らがたちまち心を開き、笑顔で交流することができたのは、そうしたプロセスによるものだと、大いに感心させられました。

 その後に参加した「アメリカの福祉の歴史」と「ホスピスケア」についての授業では、講師が「他人の死と向き合うことは、自分の死を考えることに通ずるもの」と語りかけました。

 この言葉に触れた学生たちが、静かに深い思索の表情を浮かべていた光景は、いまでもとても心に残っています。

※ 「氷を解かす」との意味。初対面の人同士が出会う際、その緊張をときほぐすための手法

胸に刺さった教授の言葉とは

 学生たちにアメリカの福祉現場が与えた衝撃は大きかったようです。

 実際「アメリカの福祉は進んでいる」と初日から憧れを抱く学生も多く見られました。

 そこで私は、そんな彼らの状況にもう少しバランスを持った見方を提供できないかと考え、担当教授に相談して特別講義をお願いしました。

 教授が前日までの研修の感想を尋ねると、予想通り、学生からは「アメリカの福祉はすごい!」という声が多数聞かれました。

 すると教授は、「みなさんは、西洋文化やここでの福祉のあり方がかっこいい、素晴らしいと思ってしまうかもしれません。しかし、アメリカの福祉制度は、人種差別や階級格差の歴史に深く根ざしているのです」と静かに語り始めました。

 「みなさんは日本人です。日本には独自の歴史と素晴らしい文化があります。ここで学んだことを活かしつつも、日本文化を基盤にした福祉制度を築く必要があるのです。日本人として、自国の文化に誇りを持つ。それこそが重要なことなのです」。その言葉は力強く胸に響いてきました。

 そして最後に、「ここでは私だけが先生ではないのです。みなさんも私の先生です。お互いが違いを学んでいくこと、それが大切なのです」。

 通訳をしながら、私の声は、感動と感謝で震えていました。

 この言葉を聞いた学生たちも、「アメリカはクールでかっこいいと思っていたけれど、いろいろな問題があることがわかった」「日本のことをもっと勉強して誇りを持ちたい。そして、日本に適した福祉が何かを考えたい」。そのような意見が複数共有されました。

 さらには、「日本独自の文化や価値観を活かしながら、新しい福祉のあり方を考えていかないといけない。自分たちがその担い手になりたいと意欲を示す学生もいました。

 私はそんな彼らの言葉から、このような若者がいる限り、日本もまだまだ大丈夫!と、確信することができました。

 日本の未来を支える若者たちが、問題と課題に目を向けて、自ら行動を起こそうとする。そんな芽吹きを感じた3日間の研修でした。

 次回は、引き続き今回の研修と、目の当たりにしたアメリカ社会の問題。そして、新政府に対する現場の思いについて語っていきます。(12月9日 夜7時更新)

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Angel’s column 【知ってほしい! アメリカの社会的背景 そ

 アメリカ・カリフォルニア州に位置するロマリンダは、世界的に知られる長寿地域(ブルーゾーン)のひとつです。この街は「セブンスデー・アドベンチスト教会」の信仰を基盤としており、菜食主義や禁酒禁煙をはじめとした、規則正しい生活を実践する住民が多いことが特徴。アメリカの平均寿命より10年長く生きる人が多いことも、この地域の魅力を際立たせています。

 街の中心的存在であるロマリンダ大学は、1905年にセブンスデー・アドベンチスト教会によって設立されました。「人を全人的に癒す」を理念に掲げ、医学、看護、公衆衛生などの専門教育を提供しています。学生は単に医療技術を学ぶだけでなく、患者の精神的・社会的背景を理解するホリスティック(全人的)な視点を養います。また、発展途上国での医療ミッションや災害医療に取り組むという、国際的な活動も行われています。

 ロマリンダ大学付属病院は、最先端の医療を提供する施設としても注目されています。特に小児医療や心臓外科の分野で革新的な実績を持ち、1984年にはヒヒの心臓を移植する「Baby Fae」の手術で世界を驚かせました。

 予防医療や健康教育を通じ、地域住民の健康管理にも貢献してしているロマリンダは、信仰、教育、医療が融合したユニークなコミュニティです。その全人的なアプローチと健康的なライフスタイルは、多くの人々に希望と学びを与えています。

感想、メッセージは下のコメント欄から。みなさまからの書き込みが、作者エンジェル恵津子さんのエネルギーとなります。よろしくお願いします。by寺町新聞編集室

ABOUT ME
エンジェル 恵津子
東京都出身。音大卒業後イギリスに渡り、現在はアメリカのカリフォルニア州立病院で音楽療法士として勤務。和太鼓を用いたセラピーは職員、患者共に好評。厳しい環境下で自分に何ができるのか模索しながら、慈悲深く知恵のある人を目指して邁進中。 歌、折り紙、スヌーピーとスイーツが大好き。
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