➤ この記事について
2017年に筆者の原田が、原初の世界のようなアマゾン川の大自然を旅して、世界の見え方を変えられた体験をお伝えするシリーズです。「こんな価値観もあるのか」などと感じながら、読んでいただけましたら幸いです。
クライマックスへ向かうジャングルの旅
熱帯雨林の天気は変わりやすく、急に湿った風が吹いたかと思うと、ザァッーとバケツをひっくり返したようなスコールが降り注ぎました。とたんに大きな水たまりがあちこちにでき、草木から滴る雫がピチャピチャ、パチャパチャと、心地よい音を奏でます。 そうかと思えば急に晴れる時もあり、水面には綺麗な青空が映されますが、とつぜんの蒸し暑さに包まれます。

アマゾンの旅は想像もつかない体験の連続でしたが、その冒険もラストの日が近づいていました。名残惜しくも、ガイドと約束した日数が終われば、町まで送り届けてもらわなければいけません。そのタイミングで、ガブリエルさんは「最後に、とっておきの場所へ連れていってあげよう」と言ってくれました。
目的地は森の奥地で、そこには“世界樹”と呼ばれる巨木が、そびえ立っていると言います。何だかファンタジーの物語に登場しそうな名前ですが、そこには今回の旅でいちばん伝えたいメッセージが秘められていると言い、何が待ち受けているのか出発前からドキドキしてきます。
地底アマゾン川と未知の先住民
奥地へ向かう道中も、壮大なアマゾンの景色を前にガブリエルさんは、船の上でさまざまな知識を教えてくれました。前々から思っていたことではありますが、僕が「本当に、何でも知っていますね」と伝えると「いや、それは逆で何も知ってはいない。僕だけじゃなくて、すべての人間がね」と返答されました。
ガブリエルさんは「たとえば・・」と続け、少し以前にアマゾン川の地下に『もう1つの大河が流れている』という発見があった事実を教えてくれました。いわゆる地下水脈なのだと言いますが、専門家の見立てによれば、その大きさはアマゾン川以上だと言います。そして、そこにどのような生物が住んでいるかも、まったくの未知なのだそうです。
地球上でもトップレベルに巨大なアマゾン川は、まだまだ発見されていないことばかりです。その、さらに地下にも謎の大河が存在するという話は、もはや想像が追いつきません。

また別の話では数年前、ヘリコプターでジャングル上空を移動していた学者が、たまたま眼下に集落を発見。高度を降ろしていくと、全身に入れ墨をした原住民が現れ、何かを叫んだり弓矢を撃ったりして、ヘリコプターを威嚇したと言います。
しかし彼らに対する情報はどこにもなく、未知の民族(私たちの目線で見て)だと言います。おそらく密林のなかで原初の生活を何千、もしかすると何万年も送ってきた人々なのだそうです。
僕たちはかつて学校の授業で、さまざまな歴史を教わってきました。キリストが誕生して西暦が始まり、いくつもの国が栄えては滅び、産業革命で飛躍的に発展した人類。しかし、それらとはまったく無縁に、このジャングルを世界のすべてとして、生きてきた人々がいると思うと、途方もない話です。そうした人々は、いったいどのような世界観を持っているのでしょうか。

アマゾンの密林は航空機で上空は飛べても、ジャングルと川だらけの地形であり、ほとんど着陸できる場所がありません。そうかといって、地上で人間が草木を切り拓いて冒険するには限界があり、森の奥地にどのような動植物が存在するのか、謎に包まれています。「人類はアマゾンの、ほんの表層しか分かっていないんだよ」と、ガブリエルさんは言いました。
密林にそびえ立つ“世界樹”
半日ほどかけて目的地へ到着するとセイバの木、通称“世界樹”と呼ばれる巨木が、ジャングルの中にそびえ立っていました。あまり枝葉のない幹がそびえ、はるか上の樹冠部がドーム状に広がっています。
周囲には別の草木も生い茂り、上がどうなっているのかほとんど見えませんが、ビルの20階か、それ以上の高さがあるのだと言います。最初は写真に収めたいと思いましたが、地上ではわずかな一部しか写すことはできず、前で記念写真を撮ろうとしても、茶色い壁の前に立っている様にしか見えません。

ガブリエルさんは言います。「この木の樹冠部には地上とは別に、もう1つの世界が存在している」。そう聞いて最初「ああ、神話の話かな」と思いましたが、実はそうではありませんでした。
セイバの木は中南米の各所にあり、たしかに樹齢を経た巨木は、しばしばインディオたちが神聖視していると言います。しかし先住民でさえ樹冠部に登った人はおらず、あるとき学者がインディオの助けを借り、巨大なハシゴを完成させて登ったところ、樹冠部には独自の生態系が築かれていたと言います。
くぼみには水たまりが出来、何リットルもの水を蓄えるサボテンのような植物が。水中を覗くとカエルやエビのような生き物が住んでおり、周囲の枝にとまる鳥たちは、学者から見ても新種の鳥たちが多数いたと言います。

また枝の分かれ目は枯れ葉などが積み重なって土壌となり、そこからも様々な植物が生え、それぞれの草木に生息する昆虫が、葉を食べてフンをしたり、花粉を運んだりして生態系を支えていたそうです。
巨木の上には本当に知られざる生き物たちの世界があり、しかもジャングルすべての木々の樹冠部を考えたとき、そこにどれほど未知の生物種が暮らしているか、計り知れないと言います。
僕は巨木を見上げながら、ハシゴでてっぺんまで登って枝に腰かけたら、眼下にどんな光景が広がっているだろうと、想像してみました。まるで童話のストーリーか何かのようですが、きっと世界観が一変するような眺めに、違いありません。

ガブリエルさんは話を終えると、道を切り拓いてきたナタの柄で、世界樹の幹を叩きました。コーン、カーン、という音が森に鳴り響きます。インディオたちはこの音で、遠く離れた仲間と、さまざまなメッセージを交わすのだと言います。
広大なジャングルでは、たとえインディオでも遭難すれば命に関わります。そうならないよう、仲間同士で位置を知らせるために。また鳴らし方によっては、狩った獲物の数や、危険を知らせる警告にもなると言います。
大声で叫ぶよりも、はるかに遠くまで響きわたり、色々なメッセージを運ぶ世界樹。神聖な木として精神的な支柱になるとともに、現実にも深い恩恵をもたらしていることが分かりました。
人間は自然と地続きの存在

アマゾンを訪れる以前も、僕の中には『自然は大切に守られるべき』という考えはあり、日本が古来から信仰している自然崇拝も、素晴らしい文化だと思っていました。
しかし、けた違いのスケールを誇るアマゾンの大自然に包み込まれ、そこに生きる人々の知識にも触れると、同じ『大切にするべき』でも、まるで次元が違って感じられます。
未知で巨大な大自然には人間が抗えない畏怖と同時に、間違いなく自分の存在と地続きであり、他の動植物とともに自然の一部なのだと実感しました。今までは、どこか道徳的な観点からの『自然保護は大切』といった意識でしたが、東京の街中でそう思うのとは、まるで違いました。
ちなみに日本でも自然破壊の問題は存在していますが、アマゾンではさらにけた違いのスケールで起こっており、行きの飛行機では地上いっぱいの緑が、ある線を境にはるか視線の彼方まで、茶色い絨毯になっている光景を見ました。
こうしたアマゾンの大規模開発は「地球規模の気候変動を引き起こす」と警鐘をならす人がいる一方、「いや、ほとんど関連はない」と主張する説もあります。僕は科学者でもなく、どちらが正しいのか証明は出来ませんが、あまりの未知にあふれたアマゾンを体感し「こんなにも謎だらけの自然に大ナタを振るって、大丈夫とは思えない」という恐ろしさを感じています。
さながら精密な仕組みで動く時計の裏側を開け、中身の部品を弄り回すようなイメージで、針が止まって誰も戻せなくなったら、どうするのかという怖さです。
以前、仏教のダンマパダにある『愚者でありながら、みずから賢者だと思う者こそ「愚者」だと言われる』という一節に触れました。自然に関しても、よく分からないものを分かるような気になって、手を加えてはならないという気がします。
そして人と自然の正しい関係は『調和』という言葉にこそ、一番の正解があるような気がしてなりません。ガブリエルさんが伝えたかったこと、そしてアマゾンで得た一番の知識は『自分たちは何も知らないということを、知った』という事実かも知れません。
≫続く
コメント