私に刺さった一問一答のテーマ、今回ご紹介するのは「究極の日常|人生で大切なことは、毎日の繰り返しの中にある」です。
「毎日の家事にやりがいや意義を感じられない」
「同じ事の繰り返しが嫌になる」
日々繰り返す家事にやりがいを見出せない時、わたしたちは家事に対してどう向き合えばよいのでしょうか?
大愚和尚の仏教の教えが紐解く答えと、このテーマが私に刺さった理由をご紹介します。
ご相談者のお悩み
ペンネームおくかつさん、一人暮らしをする40代女性のお悩みです。
私は、日々家事を行うことに意義を感じられず、時間の無駄だとさえ思ってしまいます。家事が嫌いというわけではありません。
しかし毎日行うとなると時間が取られますし、変化も進歩もないと感じる行為をただただ繰り返すことにやりがいが見出せずにいます。
一日中仕事に徹底的に集中できたら、どれだけ作業がはかどり、楽しく、意義がある時間を過ごせるだろうかと思います。
いつかは子供を授かりたいと思っています。子供には、幼少期から家事を教えて、私のように無駄に家事に時間を費やすことなく成長してもらいたいと思っています。
そのためにも、まず自身がスムーズに家事をこなせるようにならなければと、あの手この手を使って奮闘しているのですが、毎日同じことを繰り返すことへの不満があり、なかなか生活を整えることができません。
長年生活を整えられない自分に自信が持てず、家族となる人にも迷惑をかけてしまうのではと、結婚も子育ても二の足を踏んでおります。和尚様のお考えを頂戴できますでしょうか?
大愚和尚の教え
“毎日同じことを繰り返す”ことについて、修行道場での和尚さんとお弟子さんの逸話があります。
ある修行道場に掃除を真面目にやらない小僧さんがいました。見かねた和尚さんは、「なぜお前は掃除をさぼるのだ」と尋ねたのです。
すると小僧さんは、こう言いました。「毎日の同じことの繰り返しに飽きてしまいました。こんなつまらないことはありません」と。
それを聞いた和尚さんは、その日小僧さんだけにお昼ご飯を与えませんでした。
お腹がすいた小僧さんは「ご飯が食べたいです」と訴えます。しかし和尚さんはいいました。「毎日の同じことの繰り返しが嫌なら、食べることもやめてしまえ」と。
和尚さんは掃除をさぼった罰を与えたかったわけではありません。「私たちは毎日同じことを繰り返して生きている」という当たり前のことを教えたかったのです。
「毎日の同じことの繰り返し」、それは家事育児に限らず、仕事でも同じことがいえます。
今福厳寺では、「テンプルステイ」の準備を進めています。「テンプルステイ」とは、世界中の人が福厳寺に集い、共に生活しながら修行する場です。
このプロジェクトでつくり上げたいことは、「究極の日常」であると大愚和尚はいいます。
究極の日常とは、同じことを繰り返す中に、自分の進化や人間としての深まりが感じられ、成長が促される日常です。
では、究極の日常を過ごすために、私たちはどのような心持ちで毎日に向き合えばよいでしょうか?
処方箋を見ていきましょう。続きは動画でご覧ください。(下の画像をクリックしてください)
編集後記
私は長らく専業主婦を続けてきました。
朝起きてから夜寝るまでにこなす家事は、前日と全く同じこと。家事という仕事は、分かりやすく社会から評価されない上に、毎日代わり映えしないことばかりです。
乱れたモノを整える、汚れたモノを洗う、散らかったモノを片付ける。どれだけ整えても、洗っても、片付けても、またすぐに元通りです。何のために毎日整え、洗い、片付けるのかと、私自身虚しくなることもありました。
しかしこの一問一答に出会い、「日々の重なりこそが命の営みなのだ」と感じられ、同じことを繰り返す流れの中に喜びや深まり、生きていることへの感謝の念を抱き、繰り返すことの大切さを思うようになりました。
唐木貴子