◆前記事のあらすじ
2023年12月2日(土)に福厳寺で行われた、あきば大祭。前回は「なぜ火渡りを行うのか」という問いかけに始まり、儀式に向けた心構えが語られた朝礼や、お祭り広場の様子をお伝えしました。
≫人間の心を表す炎の道①~あきば大祭2023~
あきば大祭がお祭りで賑わう一方、境内では太陽幼稚園(先代ご住職が創設)に通う親子などが、お散歩をしている姿もありました。
自然も多い境内の敷地には、イチョウの葉やどんぐりがたくさん落ちている場所もあります。それらをひろって遊ぶ子ども達の微笑ましい姿も、あちこちで見られました。
心身の柔軟さを取り戻すご祈祷
さて、あきば大祭には火渡りと対をなす、もうひとつ大切な儀式があり、それが陽の出ているうちに行われる「加持祈祷」です。(※火渡りは全ての方が参加できますが、ご祈祷は予約が必要です)
その目的は、邪気や悪運を払うため、そして神仏の前で自分の覚悟を誓うためですが、福厳寺で言うこれらは、スピリチャルな意味合いに留まりません。
心に積もったネガティブな感情や、肉体に蓄積した不必要な緊張など、現実に存在する心身の状態、それらを清め、柔軟さを取り戻し、その上で、非日常の空間で、成就したい目標の達成、その覚悟を神仏に誓うのがご祈祷の意味です。
カーン、カカン、カーン
荘厳に響く鐘の音。
ドドン!ドコドコ
カラダの芯まで響く力強い太鼓。
シャラン、シャララン
清めを感じさせる、うつくしい鈴の音。
場所は、境内の高台に建つ“秋葉本殿内”。火炎のイメージを思い浮かべる、朱色のお着物をまとった大愚和尚を中心に、僧侶たちが般若心経を読経。
邪気を打ち払うには、チカラも必要と言わんばかりに、僧侶たちのかけ声にも勢いがありました。
そして、秋葉三尺坊の真言(しんごん)「オンピラピラケンピラ、ケンノンソワカ」が唱えられると、大愚和尚が参拝者のもとに歩み寄り、祈願を施します。
そうしてご加護を受けた皆さんは、その場で静かに手を合わせました。
火渡りへと臨むカラダ作り
盛況なお祭りの広場から少し離れ、眼下に福厳寺が一望できる高台に昨年新しく建立された羅漢堂(らかんどう)前では“ワールドウィング雲水”(小牧市・名古屋市に店舗をかまえるトレーニングジム)による、出張の姿勢改善講座が行われていました。
参加者自身の体を使う実践形式で、スタッフが「正しい立ち姿勢」について解説します。
日ごろわたしたちは「立つ」という動作を、無意識に行います。だからこそ自身の悪い癖には気づきにくいものです。そこで、正しい立ち姿勢を体感し、体に覚えさせていくことがこの講座の目的です。
なお、その目的はもう一つあります。それは夕方から行われる儀式のためです。あきば大祭は1日がかりの行事。火渡りや法話では長蛇の列も出来るため、長い間立ちっぱなしとなります。
「参拝者の皆さんには、正しい姿勢で少しでも楽に過ごしていただきたい」。この講座には、そうした意図も含まれているように思えてなりません。“佛心の心”が、あきば大祭の隅々まで行き渡っていることを、あらためて実感させられます。
たのしいお祭りから荘厳な儀式へ
やがて太陽が傾き、ひゅうっと冷たい風が吹き込んで来た頃。お祭り広場の人々が少しずつ本堂前へ移動し、火渡りに臨む列に並び始めます。
そして法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響くと、境内の入り口側から松明(たいまつ)を手にした行列がやってきます。先頭には八大龍王(はちだいりゅうおう:仏法を守護する龍神)の旗がひるがえり、天狗に続き僧侶やお役の方々の、長い列が境内を練り歩きます。
ゆっくりと揺れる炎が、夕暮れ時を幻想的に照らします。参拝者はその光景を言葉もなく見守っていました。
日中の楽しいお祭りから、夕刻の古式ゆかしい伝統行事へ。この先に始まる儀式へ向けて、来場者の皆さんも、心持ちを入れ替えているかのようでした。
やがて松明行列は高台の秋葉総本殿へと上り、松明の火が納められます。参拝者が厳粛な雰囲気に浸り始めたとき、本堂の前で大愚和尚の法話が始まりました。
【あきば大祭2023】大愚和尚法話
全国であがめられている秋葉三尺坊は“火防の神(かぼうのかみ)”であり、かつては実在した僧侶です。たとえば東京には、秋葉原という場所がありますね。それはかつてそこに“秋葉信仰”があったという証です。
さて、かつて日本の人々は紙と木で出来た長屋をつくり、みんなで肩を寄せ合って生きていました。そこに火が起きれば、たちまち村全体に燃え広がって、大惨事になります。今みたいに消防も発達していないため、みなで消火するしかありませんでした。
“村八分”という言葉があります。かつての日本も現代と同じように、たくさんのいじめがありました。けれども村人たちには、いじめの対象になっている人であっても、絶対に助けるという場面が2つだけありました。
それはお葬式と火事です。この時だけは、どんなに憎み合っていても助け合った。100%のいじめはなかったのです。しかし、この現代はどうでしょう。
史上最もたくさんの、膨大な知識がスマートフォンで得られるようになった時代に、人の優しさは育っているでしょうか。嫌いな人は徹底的にいじめぬいて、“村十分”にしていませんでしょうか。
さて、このあきば大祭。とても大きな火を焚いて、そこに皆さんを招いて渡っていただきます。「怪我をしたらどうするのですか」「もう少し火の勢いを、抑えられませんか」など、色々なお声もいただきます。
しかし、540年以上続くこのお祭りでは、決して火の勢いを落とすことはありません。何故か。
この現代の社会にこそ、必要だからです。物理的な火だけでなく、私たちの心の中には“三毒”と呼ばれる心の炎『欲、怒り、無知』があるからです。
まず、私たちが「こうなりたい、これがほしい」と思うのが“欲”。けれども、世の中そんなに上手くは行きません。欲が強ければ強いほど、それは実現しなかったときに“怒り”へと変わります。
これが欲と怒りの関係です。この怒りを抑えられないとどうなるか。自らの人生を台無しにします。この原則を知らないことを“無知”と言います。
「そんな人生を歩むな、三毒を収めよ」それが秋葉三尺坊の教えです。現代では火事になれば消防車が駆けつけてくれますが、心の中の火は誰が消すのですか。自分しか居ないのです。
皆さん、どうか「火は熱い、火は怖い」という当たり前のことを、体感してください。オール電化が進むこの現代に、心の中の炎がどれだけ恐ろしいものか、肌で感じて頂きたいのです。
そして皆さん、この1年の汚れと三毒の炎を鎮める、秋葉三尺坊の真言。それを口で、心の中で、懸命にお唱えしながら、火をお渡りください。
人間の心を表す炎の道
秋葉本殿から炎となった秋葉三尺坊の化身が戻り、斎場に火が降ろされました。
ひとつずつは小さかった炎がみるみる燃え広がり、あっという間に私たちの背丈の2倍以上はあろうかという巨大な火柱に。
一面に火の粉が舞い散る結界の中で、僧侶たちの読経が始まります。
そして、大愚和尚が一瞬のタイミングを見極め、炎の道へと踏み出しました。
炎を避けることなく、ただひたすら前へ。全員が見守る目のまえで、この日もっとも大きく熱い炎の中を進みます。
そしていよいよ、参拝者の渡る番がやってきました。先頭は火の勢いが落ちつくのを待ちますが、なかなか収まる気配を見せません。その様子を眺める参拝者の間に、不安の表情が広がります。
「歩みを変えるのは、自分の心です」
ふと気づくと、大愚和尚が結界の入り口に戻り、前方の参拝者へ呼びかけていました。今こそ声がけが必要であると、とっさに行動されたのかも知れません。
「足を途中で止めないで下さい、絶対に」決して荒げず、けれども厳格な大愚和尚の声が心に響き渡ります。いちばん先頭は、杖を手にしたご年配の方でしたが、意を決したように杖を置き、ご自身の身体1つで炎の道へと歩み始めました。
そして僧侶の合図で次の方も、続きます。
合掌したまま表情を一切変えない方、少しよろめきそうになりながらも進む方、両手で顔を覆いつつも渡り切った方。
性別も年齢も、肩書きも、いっさいの区別はありません。どのような方であっても、炎の前ではウソがつけません。この日、この火渡りに真正面から向き合い、自らの覚悟で歩むすべての方が尊く、その姿に思わず手を合わせずにはいられませんでした。
さて、ここまであきば大祭を見聞きした様子をお伝えして参りましたが、実際に儀式へ臨まれた方は、どのように感じられたのでしょうか。次の記事ではインタビューの掲載や、全体の総括などもお伝えしていますので、引き続きご覧いただけましたら幸いです。