The Message

The Message vol.1 〜漆器作家・笹浦裕一朗さん〜

「The Message」は、各分野のプロフェッショナルの「受け継いだ想い」「伝えたい想い」にスポットを当て、世界に気づきと、共感の輪を広げていくためのプロジェクトです。

第一回目は、うるしの力を借りて「命をいただく」ための器を作る、漆器作家 笹浦裕一朗(ささうら ゆういちろう)さんのメッセージです。〈聴き手:ちてつ和尚〉


ちてつ: まさか笹浦さんのアトリエで、こんな素晴らしい仏様にお会いできるとは思いませんでした。

笹浦:これは、妻が彫った観音菩薩(かんのんぼさつ)です。妻はその昔、仏像を彫ることを生業としていたことがあって。仏像彫刻の道では、私は妻の足下にも及びません。

観音菩薩がアトリエを静かに見守る

笹浦:かつて、私はロダンのような今にも動き出しそうな形に憧れて、あるデッサン教室に通っていました。そこで出会ったのが妻でした。

その頃には、すでにおおかた漆器は作れるようになっていましたが、それでも、漆器で生計を立てることは考えていませんでした。

その後、妻と家庭をもったことを機に、需要のある漆器を作り始めました。

耳に残る、父がたたく「のみの音」

ちてつ:そもそも漆器づくりの道に入られたきっかけは?

笹浦:20歳の頃、あるお椀作家さんと出会ったのがきっかけです。しかし、最初の頃は、ひとつの作品を作るのに相当な時間を費やしてしまい、「これは自分の手には負えない」と一旦諦めたんです。

でも、心のどこかで「自分で作ったもので生計を立てたい」そして、「木製のものがよい」という思いだけは持っていました。

ちてつ:どうして「木製のもの」がよかったのですか?

笹浦:私の父親は、もともと大工でした。私の耳には、父がたたく「のみの音」が今でも鮮明に残っています。「自分もあんな音を響かせてみたい」という感覚がありました。

そんな幼少期を送ったことで、「私と『木』は、切っても切れない関係だ」と、いつしか思うようになっていったのだと思います。

ちてつ:人が死に至る時、最後の最期まで残る感覚は、「聴覚」だといわれています。旅立ちのあと、すぐに僧侶が「お経」を読むのも、最後に残る「耳」の感覚を通して、お釈迦さまの教えを悟ってほしいとの思いが込められています。

お父さんが醸し出してきた「音」が、今の笹浦さんのいしずえを築いていたんですね。

笹浦:そうかもしれないですね。父には頭が上がりません。

その後、再び漆器への思いが再燃し、ある日思い立って、なんのつてもない石川県の山中温泉に向かいました。「山中漆器」を学びたかったのです。しかし、そう簡単には修行させてもらえるところが見つかるわけもなく、あの時は本当に苦労しました。23歳の時でした。

笹浦さんお手製の工具がいくつも並ぶ

「木」そのものに、心を寄せる

ちてつ:漆器というと「輪島塗り」なども有名ですが、あえて「山中漆器」を選ばれたのは?

笹浦:一般的には、輪島塗りは「うるし塗り」の優美な装飾に特長があり、山中漆器は、「木地(きじ)づくり」に特長があるといわれています。木地とは、漆器の下地となる白木のままの器を指します。

今では、旋盤(せんばん)という自動切削機で成形することが増えましたが、私は今だに、「和式手引きろくろ」を用いて、自作の刃物で、ひとつずつ挽いて(削って)います。

経験と感覚を頼りに、鮮やかに形を決めていく

ちてつ:装飾前の、「器の形」から命を吹き込んでいるのですね。

笹浦:はい。「いかに、木に心を寄せるか」を大切にしています。木の性質に合わせた刃物を選び、どれだけ抵抗なく形づくるかというところが、私の作品の特長のひとつです。手仕事とは何か、日々考えさせられます。

ちてつ:作品にはどれも、笹浦さんのような「真っ直ぐさ」と、「親近感」を感じます。

笹浦さんの手によって生みだされた、世界にひとつだけの形

笹浦:作業の一連の流れに、「自分の心」がぴったりとはまる状態になっていきたいとは、つねづね思っています。そうすることで、自分の思いや心が、もっとも自然な形で表現できるかなと思うのです。

ただ、忙しさに追われないよう心がけてはいるのですが、時には余裕がなくて、心がついていかないと感じることもまだまだあります。

「恐れ」も、私の一部

ちてつ:器を作る過程で、不安になったりすることもあるのでしょうか?

笹浦:はい。「恐れ」はいつも抱いています。「壊れてしまったら、ミスがあったらどうしよう」と。いまだに、得たいの知れない敵から逃がれられない夢を見る時もあります。

自分が幸せにならないと、人を幸せにすることはできないと考えています。自分が整うことで、作った物自体に力が宿って、ようやく人を癒すものが作れるのだと思います。

でも、今の私には、まだ「自分」しか見えていません。完璧の基準を自分で作って、自分の心を防御している。それは、人を信用しきれていない表れかもしれませんね。

一滴のうるしが、作業場に緊張感をもたらす

ちてつ:私は僧侶でもあり、WEBデザイナーの顔も持っていますが、デザイナーは、人のための仕事です。あくまでもユーザー視点に立ち、ユーザーにとっての最大効果を生み出すことが仕事であり、説明が求められる仕事です。

でも笹浦さんは、自己表現を通じて、笹浦さんにとっての最高の作品を生み出すのが仕事です。それを待ち望んでいる人たちに向けた作品を作るのであり、説明は必要ありません。

たとえ、整然としたうるしの流れの中に、ひとかけらのほこりが混じったとしても、それが笹浦さん自身であり、それをまるごと愛してもらえる人こそが「アーティスト」だと思います。

笹浦さんは、すでに立派な「アーティスト」です。

思わず言葉を呑む、圧巻の筆さばき

笹浦:おっしゃる通りです。今のお言葉を聞いて、私が何をすべきなのかがよくわかりました。ひたすら自分の目の前のことに徹すればいいのですよね。

そして、今までになく、自分の仕事は「アート」なんだと思えました。

ちてつ:笹浦さんの「恐れ」が「親近感」となって、作品に反映されているのだと思います。作品にはどれも、笹浦さんという人の温かみと優しさが映し出されています。

ありのままに、自分を許す

ちてつ:「理想の死に方」はありますか?

笹浦:理想の死に方があれば、今が決まるように思いますが、それがまだ漠然としているのですよね。

ちてつ:99%の人が後悔しながら死ぬと聞いたことがあります。人はみなそんなものかもしれません。でも、何となくでもいいから理想の死に方を抱いておくと、先のビジョンが明確になって、迷いなく道を進めるかもしれませんね。

現在は併設のカフェを営む、妻まりさんとともに

笹浦:確かにそうですね。そういう意味でいうと、今仕事以外で興味があるのは「米作り」なのですが、「地球で生きている感覚を忘れてはいけない」という思いが強くなってきています。

米作りをしながら、「大地に根ざす」とはどういうことかを深く体で感じて、その上で作品づくりに臨みたいと思っています。

そのまま、私自身も自然に還るがごとく、死を迎えられたらいいですね。

妻まりさん作の豆仏(まめぶつ)が穏やかに微笑む

ちてつ:素晴らしいです。 自然とは、「おのずからしかるべき」と書きます。あるがままにいれば、ひとりでにしかるべき状態になってゆくのですよね。

人はいつ死ぬかわかりません。明日死ぬかもしれないと思い続けることで、あらゆるものが貴重に思えて、そう捉えたら、毎日が変わっていきます。

笹浦さんのこれからの作品が、ますます楽しみになってきました。

笹浦:共感いただけて、また作品づくりを他の視点から見ていただけたので、大変心がほぐれました。

ありのままに、自分を許す」。これを自分の課題として、これからも作品を作り続けていきます。

聴き手/知哲(ちてつ)和尚:人や物事のクセを魅力に変え、本人が知らなかった本当の魅力を探り当てることを、生業とする僧侶であり、寺町新聞編集長。「The Message」では聴き手をつとめる。

〈pickup〉

静寂と大地に根ざす力強さが生みだす唯一無二の漆器、おわんのささうら・笹浦裕一朗さんの作品は、今ならオンラインショップ「寺町商店」からご購入いただけます。

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ABOUT ME
志保
寺町新聞・副編集長。自身を「透明なうつわ」と捉え、向き合った人の「色」を鮮やかに描き出すことに心を燃やす。執筆・編集のほか、企画ディレクターとしても活躍。回遊魚のごとく、日々人探しと情報集めに奔走している。好きな食べ物は、しょうがの甘酢漬け。
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