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この記事は筆者の原田が、さまざまなマンガ・アニメの中に、仏教と重なる部分を見つけご紹介するシリーズです。
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はじめに。当記事は2020年に放送されたアニメ『ヒーリングっど♥プリキュア』の、物語の核心に迫る重大なネタバレを含みます。避けたい方は読み進めず、ぜひ別の記事をご覧ください。
さて、プリキュアは2026年時点で23作も続いている大人気アニメで、現在も新シリーズが放送中です。僕が見たきっかけは『ヒーリングっど♥プリキュア』(※以後、略称のヒープリ)が、賛否を巻き起こした作品だと、耳にしたからでした。
プリキュアとは少女たちが変身するヒロインの呼び名で、悪の組織と戦う物語が展開されます。女児向け作品なので、全体的には可愛らしい雰囲気に満ちています。
それが「なぜ議論されるようなことに?」と気になり、インターネットの配信サービスで視聴しました。すると大人でも考えさせられる設定が、いくつも盛り込まれていると分かり、驚かされました。
基本的にプリキュアたちは慈愛に満ちた性格で、過去作では敵組織のメンバーさえ、心を通じ合わせて和解する展開がありました。
そうした作風の中“ヒープリ”では主人公が、救いを求めた相手に対し“助けない”という選択をする場面があります。
この展開に大人の視聴者が、主にインターネット上で賛否の意見を書き込みました。主人公は誰を、どのような理由で拒絶したのでしょうか。
リアル世界と重なった作品
ヒープリのヒロイン達は医師や看護師をモチーフとしており、町に病原菌を広めて人々を苦しめる「ビョーゲンズ」と戦います。
敵をやっつけて“浄化”すると毎回「お大事に」という決めゼリフを言うので、なおさら病院をイメージさせられます。
こうした物語の放送が、コロナ禍が本格化した2020年にスタートし、現実の状況とあまりにマッチしていました。アニメ自体はずっと以前から制作され、世相と合わせたわけではないため、何とも不思議な巡り合わせです。
主人公は「花寺のどか」という少女で、幼少期から不治の病に侵され、ずっと病院のベッドの上で暮らしてきました。

それがある時“とある理由”で完治したため、退院して日常生活を送れるようになります。ずっと寝たきりだったからこそ、のどかは周囲の人々が当たり前に感じている、身体が動いてさまざまなことに挑戦できる幸せを、噛みしめます。
いつも生きる喜びに目を輝かせ、同時に病気で苦しんだからこそ「皆に同じ思いをして欲しくない」「どんな人でも救いたい」と言い、自らの意志でプリキュアに変身して、ビョーゲンズに立ち向かう決意をします。

こうした主人公の姿は、仏教が理想と説く人間の在り方にも、大きく重なる部分を感じました。
とくに、この記事を執筆している4月現在は、お釈迦さまの誕生月にあたり、全国のお寺であらゆる命を慈しむ祭典である「花まつり」が開かれます。
のどかの感性、そして偶然かも知れませんが彼女の“花寺”という名字にも、つながりを連想させられました。
感染してしまった人の罪悪感
敵組織であるビョーゲンズには様々なメンバーがおり、中でも主人公の宿敵として何回も戦う相手が「ダルイゼン」です。
美少年の顔をした悪魔風のキャラクターデザインで、敵ながら一部のファンに人気があります。放送初期にはプリキュアと和解して、仲間になる展開を予想していた人もいました。

物語が進むとダルイゼンの正体が明かされ、それは過去にのどかを苦しめていた“病気”だったのです。彼がのどかの体内から出て行ったため、とつぜん完治したのでした。
のどかはダルイゼンから「オレとお前は元々ひとつ」「お前のお陰でこんなに成長できた」といったセリフを言われ、ショックを受けます。
そして「私の中から出て行った存在が、皆を苦しめ続けている」と、責任を感じるようになりました。ただ視聴者目線で冷静に考えると、のどかは何も悪いことをしていません。
これと似た出来事は現実のコロナ禍でも起こり、社会の一部では罹患した人や、クラスターが発生してしまった施設が責められ、罪悪感を抱く風潮も生まれました。
しかし、わざと感染を広める行動や、あえて不摂生を重ねて罹患したのであればともかく、不可抗力で感染した人まで、責められるべきなのでしょうか?
人は誰でも危機に陥ると、不安や怒りが沸き上がり「〇〇のせいだ」という思考に、傾きやすくなってしまいます。
追い詰められた時ほど、仏教が「思い込みや偏見を捨てて、物事を正しく見なさい」と説く「正見(しょうけん)」の大切さを、感じずにはいられません。
ヒロインの行動に相応しくない?
ヒープリは最終盤、ビョーゲンズの王が前面に出てきて、町どころか地球全体を病原菌で染めようとします。そのために力が必要なので、部下たちを自身の体に吸収しようとしました。
これは食べられてしまうのと同じなので、ダルイゼンは恐怖してアジトから逃げ出し、追われる立場になります。そして、のどかの前に姿を現すと「もういちど体内に入れて、オレをかくまって」と助けを求めました。
のどかはその願いを反射的に拒否。ダルイゼンは「誰でも助けるって、言っていたじゃないか」とすがりますが、のどかは戸惑い走り去ってしまいます。
孤立したダルイゼンは自暴自棄になり、王に見つかって吸収され、消滅してしまいました。
ダルイゼンは一部のファンに人気だったこともあり、救いようがない最期と「敵とは言え、ヒロインが見捨てた」という展開に対し、プリキュアに相応しくないという意見が挙がったのです。

一方でのどかがダルイゼンをかくまえば、再び病気になってしまうかも知れません。またダルイゼンは都合の良い時だけ、助けを求めています。それを引き合いに「のどかちゃんは自己犠牲してまで、救う必要がない」と主張する人もいました。
あるいは母親の視聴者から「もし私がのどかちゃんで、ダルイゼンが自分の息子だったら、救っていたと思う」といった意見も挙がり、議論を巻き起こしました。
どんな人間も必ず救われるべき?
ダルイゼンの手を振り払ったのどかは「助けてあげる“べき”だったのでは」と考えて悩みます。そんな姿を見て、のどかの相方である仲間は「のどかの本音は?」と問います。
すると過去を思い出し「もう病気は嫌、無理なの。本当は助けたくない」と吐露します。相方は力強く「のどかは間違っていない。もし、のどかを悪く言うやつがいたら、私が許さない」と告げ、精神的に支えました。
さて、ヒープリはフィクションの物語ですが、現実では仏教も「すべての命が幸せであれ」という、お釈迦さまのメッセージを伝えています。それは、どのような人間でも、必ず救うという意味なのでしょうか。
仏教では歴史的に「悪人も救われるべきか」というテーマが、議論されたことがありました。おそらく宗派や僧侶によっても考えの違いがあり、1つの答えを出すのは、とても難しい話だと思います。
その上で僕は「助けを求める側は慈愛に甘えて、何をしても良いわけではない」と考えます。
たしかに、誰でも苦しいときには1人で抱え込まず、助けを求めることは大切です。そして、どんな相手でも自己犠牲を厭わず救う人間がいたら、それは究極の理想なのかも知れません。
しかし、その行為によって自身が潰れてしまっては、先々に他の誰かを助けることもできません。
もし相手や周囲への誠意がなく都合良くすがる人は、ダルイゼンのように誰にも救われない結末が、現実にもあり得ると感じます。
人間と微生物とのつき合い方
ヒープリでは最後、プリキュアがビョーゲンズに勝利しますが、ただハッピーエンドを迎えるのではなく、ひとつの問いを残します。
のどかにプリキュアの力を与えたのは、地球を守る妖精のような存在で、彼らは主人公たちに感謝を伝えます。一方で「人類も地球を汚染している。人間だって“浄化”の対象になり得る」と語る妖精も登場します。
作中ではビョーゲンズが悪という構図でしたが、人間は必ずしも善ではないというメッセージが、視聴者に示された形です。
ここから先は個人的な体験や考えになりますが、コロナ禍の最中にある本屋へ立ち寄ると、ご時世からか『ウイルスって何?』『微生物とは?』をテーマにした書籍を、多く目にしました。

その中の1冊を買うと、冒頭に「微生物は、地球のあらゆる場所に生息しています」「生存のため、驚くべきスピードで変容できます」といった特徴が書いてあり、それを読んだ瞬間にハッとしました。
例えば人間が自然環境を壊せば、そこに住んでいた微生物は、暮らす場所が無くなります。そうなれば「人間の体内を侵略して住むしかない」という進化を遂げる種がいても、おかしくなさそうです。
僕は学者ではないので、科学的な根拠は何も示せません。ただ微生物の立場になれば、生存戦略として理にかなっている気がしました。
僕自身も文明の恩恵にあずかる1人であり、除菌や消毒が推奨されたコロナ禍では、ウイルスは敵にしか思えませんでした。
ただ今後は微生物との調和を考えさせられるとともに、日本の文化である自然崇拝の大切さを、あらためて感じます。
自然を「ここから先は侵してはならない」という聖域で守ることは、そこで暮らす微生物も含まれ、彼らが病原菌と化す“災い”を減らすかも知れません。
パンデミックのような危機の時こそ、仏教が説く「正見」の目で世界を見る大切さを、肌身に感じます。


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