アマゾンの侍

アマゾンのジャングルは原初の世界?森を守り続ける先住民と神社仏閣の共通点とは

こんにちは、寺町新聞編集室の原田です。

最近は全国的に猛暑日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

僕が住む東京もこの頃は、午前中から真昼のような暑さの日々ですが、そうかと思えば突然の雷鳴とともに豪雨が降りそそぎ、何だか日本の夏は熱帯雨林気候になってしまったかの様です。

個人的に、この針が極端に振れたような天候は、7年前に訪れた南米アマゾン川のジャングルを思い出します。

かの地は赤道に近く日本と違って1年中が常夏ですが、カーッと太陽が照りつけていたかと思えば、たちまち黒い雨雲が垂れ込め、激しいスコールが降り注いできました。

地球の裏側に広がる異世界

ひと口にアマゾンと言っても南米6か国にもまたがり、その流域面積は日本国土の18倍を超えるほどですが、僕の場合はブラジルのアマゾナス州という地方から入りました。

※飛行機から見たアマゾン川

飛行機の窓から見たその景色は、眼下の一面に広がる緑色の熱帯雨林を、うねるような大河が地平線の彼方まで伸びていました。

けた違いの自然が広がるスケール感は、映画のジュラシックパークを連想させられます。

マナウスという町に到着し、そこからジャングルへ行くには町の港(海ではなく川の)から、船を乗り継ぐことになるのですが、

初めて訪れたアマゾン川は対岸が見えない大きさで、それは波のない“茶色い海”のようでした。

※アマゾン川の港

~別の国ではなく、別の世界へ~


それから街を遠く離れて行くと、次第に電線や道路もなくなり、川と森だけに囲まれた景色になります。

ここまで来ると、もし財布にどれだけのお金が入っていても、使うお店自体がどこにもありません。

さながら原始時代へタイムスリップしたかの様で、わずか数日前には東京で暮らしていた事実が、はるか遠い出来事のように感じられました。

人間の手が入らない森は、いたるところで植物が生存を競い合っているように見えました。

他の樹に倒れかかった朽ち木に苔が生え、そこから別の草花がいくつも伸びています。

植物同士のツルや枝葉は、いたるところで絡み合い、そのような密林がはるか彼方まで続いているのです。

またジャングルの中からはつねに、ギャーギャー、コロロロ、ギリッギリリ・・など、

動物か昆虫か種族さえも分かりませんが、無数の生き物の声がつねに聞こえてきます。

※アマゾンの密林

~際だつ生死の境界線~


様々な生き物が食べたり食べられたり、また僕の行った地方には居ませんでしたが、奥地には肉食のジャガーも生息し、下手をすれば人間も捕食対象になってしまいます。

このように何もかもが“濃い”世界に身を置くと「いまを生きている」という、強い実感が湧いてきました。

そして、まいにち電車やバスに乗り、スーパーで買い物をしていた東京での生活、あれは夢か何かで、こちらが“本当の世界”ではないかという、不思議な感覚が湧いて来たのです。

しかし「では、今日からアマゾンで暮らしますか?」と放り出されたら、数日も生きられる自信がありません。

移動をはじめ食べものも寝る場所も、つねに現地ガイドの方に案内して貰ったからこそ、旅が出来た場所でした。

※ジャングル・ガイドのガブリエルさん

「そこは毒アリがいるから近づかないで」「今日の夕飯はこれだよ」といった具合で、生きるために必要なすべてを、助けて貰っての旅です。

大自然の中で生きる知恵や技術を持たない自分は、生き物としていかに無力か、その事実を肌身に感じずにはいられませんでした。

ジャングルとともに生きる先住民


アマゾンの滞在中はピラニア釣りやワニ探し、また現地民の家を訪問など、見るもの聞くもの全てが、ドキドキの連続でした。

昼間はどこかしら新しい場所に行きますが、日が暮れてまっ暗になれば、基本的にほとんどの活動は出来なくなってしまいます。

そのため夜は拠点の小屋で“レクチャー”と呼ばれる時間となり、アマゾンについての様々な知識を教えて貰いました。

木造の教室は植物の葉で屋根が葺かれており、まさにジャングルの家といった風情です。

また部屋には動物の毛皮や骨、写真パネルや双眼鏡など様々な“教材”がランプの光に浮かび、いかにも冒険の雰囲気にあふれています。

そうした中で聞く未知の話の数々は、どれもワクワクせずにはいられませんでした。

※ジャングルに住む黒いサル

~巨大な密林に迫る危機~


レクチャーでは個々の動植物など身近なことから、アマゾンの森が開発や伐採により失われているという、現在も続いている危機の話もありました。

開発を推進する人々にとっては、アマゾンに眠る資源を輸出したり、広大な農園にして作物を出荷すれば、莫大な利益に繋がります。

さらに南米は貧富の差が激しく、一攫千金を目指せるとなれば余計に、自然保護よりも開発を目指しがちになってしまうのです。

時には政治家にも働きかけるほか、たとえ自然保護の法律があっても無視して、強行されるケースも多いと言います。

もちろんアマゾンのジャングルは巨大ですが、開発のスピードもすさまじいものがあります。

僕も飛行機の窓から緑の森が、ある一線を境に茶色い絨毯に変わっている景色を見ました。

あるNGOの調べによると、すでに日本の国土を超える面積が消失しているそうです。

そうした中、ジャングルを守る鍵のひとつは、はるか昔から森とともに生きる“インディオ”と呼ばれる先住民の人々が握っています。

彼らは森がなくなれば生活できず、NGOなどの自然保護団体も協力して開発に抵抗し、せめぎ合いが続いています。

しかし、もしインディオが滅んでしまえば開発され放題となり、「地球の肺」と呼ばれるアマゾンの森が、どれほど失われるか計り知れません。

科学者によっては「ジャングルの消失と気候は関係がない」と唱える人もいますが、仮にその説が間違っていた場合「森よ、どうか蘇ってください」といくら願っても、もう元には戻せません。

僕は学者ではないため、科学的な論拠は何も言えませんが、たとえアマゾンが遠い地域であっても、世界規模で考えると最近の極端な気候と、何かが繋がっている気がしてなりません。

古くからの知恵が最後の砦に

アマゾンのジャングルは南米だけでなく、世界のために保護される必要性を感じますが、私たち日本もまた、守られるべき自然が次々と開発されている現実があります。

以前から大愚和尚は「境内に山林が多い神社仏閣は、地域の自然を守ってきました。

しかし、とくに地方を中心に多くが、存続の危機に直面しています」と、語られてきました。

このまま次々と姿を消してしまえば、守られるべき聖域としての名目も無くなってしまいます。

そうなれば、その跡地は開発されてしまう可能性が高く、古来からの存在が自然保護の防波堤になっている構図は、アマゾンのインディオと共通点を感じます。

なおインディオの保護活動を行うNGOは日本にも存在し、これは帰国後にそうした団体の書籍で知ったのですが、各国に理解を広める一環でインディオの人々を、日本へ招待したこともあったと言います。

~先住民もうらやむ日本の自然~


はじめて日本の地を踏んだインディオの1人は、「こんなにも豊かな土を、何故あなたたちは石(コンクリート)で覆ってしまうの?」と言ったそうです。

また、ある1人は日本の自然の素晴らしさを、絶賛したそうです。

私たちのイメージでは、自然であればアマゾンの方がよほど豊かにも思えますが、ジャングルの土は意外と栄養のある層が薄く、ひとたび環境が崩されれば非常に脆いと言います。

また熱帯雨林は1年中が常夏ですが、日本は四季もあるため、たくさんの枯れ葉が豊かなたい肥となり、土の栄養分は世界でも指折りです。

ふだん街で暮らす僕たちには実感しにくい事実ですが、森とともに生きるインディオさえ羨む日本の自然は、世界レベルの宝物と言えるのではないでしょうか。

ちなみに、あるインディオの世界観によれば、すべての人間は死後に自然へ還った後、様々な動植物に“再構築”されると言います。

その死生観に沿えば、いま人間として自然を破壊すれば、生まれ変わったあとの自分が、苦しむことになってしまいます。

日本もアマゾンも、このまま自然が失われて災害が多発すれば、結局は開発推進派の人々さえも、生命が脅かされてしまいます。

正義感や道徳的な観点からの「自然は大切に」だけではなく、目のまえの物理的な現実として、守らなければ大変なことになってしまいます。

いまや地球上のどこの国も目先の利益だけでなく、本当に大切なものに目を向ける知恵を、広げ行く大切さを感じずにはいられません。

原田 ゆきひろ

ABOUT ME
原田ゆきひろ
寺町新聞の執筆・取材を担当。Yahoo!ニュース歴史・文化ライターとしての顔も合わせ持つ。小学生の秘密基地から南米のアマゾン川まで、どこへでも探訪。そこにある興味や発見、人の想い。それらを分かりやすい表現で、書き綴るのがモットー。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。鬼滅の刃とドラゴンボールZが大好き。 ※写真は歴史衣装・体験中の筆者
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