➤ この記事について
2017年に筆者の原田が、原初の世界のようなアマゾン川の大自然を旅して、世界の見え方を変えられた体験をお伝えするシリーズです。「こんな価値観もあるのか」などと感じながら、読んでいただけましたら幸いです。
キノコを育てるアリ
天気の良い昼間、赤道に近いアマゾンの熱帯雨林は一年中、湿度も高く暑いのが特徴です。常夏のジャングルは強い陽射しを浴び、日向の草木はまぶしいほどの緑に輝いています。
そうした中、毎日どこかしらの目的地を定め、ガブリエルさんに探索へ連れて行って貰う日々が続いていました。
どこへ行くにも汗だくになりましたが、時おりさわさわと吹いてくる風が、素肌に心地よく感じます。大自然の中にエアコンや扇風機はどこにもありませんが、日陰に入ってそよ風を受けるだけでも、かなり涼しく感じられました。
ふと足もとを見ると、葉っぱの切れはしを担いで行列を作っている、不思議なアリ達がいます。その行列は枝やツルを伝って、どこまでも続いていました。
「彼らはエサを運んでいるんですか?」。ガブリエルさんに聞いてみると首を横に振り、この“ハキリアリ”について、驚きの生態を教えてくれました。
アリたちはその名前の通り、木に登って葉っぱを切り取りますが、巣に戻ると食べるのではなく、床に敷きつめます。そこにキノコの菌を植えつけて育成、それを食料にすると言うのです。
その過程でアリたちは他の雑草を抜いたり、フンを肥料にしたり、キノコに有害な雑菌を防ぐ物質を塗ったりして、大切に育てます。これはもはや、農作業と呼べるのではないでしょうか。
僕たちは学校の古代史で「人類は農業を発明した」と習いました。しかしハキリアリは人類が誕生するより、さらに何千年前も前から存在していると言います。
ある意味で農業のはるかな先駆者ですが、この知恵や技術はどこで学んだのでしょうか。
ジャングルに足を踏み入れて以来、けた違いの自然には驚かされてばかりでしたが、そこに住む生き物達の能力もまた、未知の発見にあふれていました。
名前を持たない民族
アマゾンでハキリアリの生態に驚愕していた、数か月前。僕は東京の近所の図書館へ、毎日のように通っていました。ある日、たまたま小中学生向けの本だなを通りかかると、“世界の不思議”と特集されたコーナーが目に入りました。
何気なく手に取った1冊は冒険家の著書で、南米のとある先住民と一緒に暮らしたエピソードが綴ってありました。驚くべきことに、その部族には“人間に名前をつける”という習慣がありません。
著者が「お名前は?」と尋ねても、首を傾げられるばかり。逆に相手から「じゃあ、それをお前が決めてくれ」と言われたので、その場で「あなたは父親だから・・じゃあトーチャンで」といった具合に、思いつきで付けて行きます。
すると先住民は贈り物でも貰ったかのように「トーチャン、オレ、トーチャン!」と、自分を指さして、無邪気に大喜び。他にも世界観がひっくり返るような数々のエピソードが語られ、心を揺さぶられました。
・・ちなみに僕は学生時代ニュージーランドへ行き、先住民マオリ族の文化に触れ、忘れられない思い出として、胸に刻まれた過去がありました。
そうした背景も合わさってか、「これだ!」という直感が働き、そして理屈を超えた「アマゾンに行きたい」という衝動が湧いてきました。
それは書籍が大きなきっかけではありましたが、いま振り返れば鬱屈した日々のなか「何か目的が欲しい」という無意識の思いが、後押ししていたのではないかと感じます。
しかし個人的には南米自体が未知の領域であり、行き方を調べて道具を揃え、他にも必要な準備は山ほどありました。
時間を持て余す毎日から一転して、やることに追われる日々へ。しかし、それがネガティブなことを考える時間も、自然と無くしてくれました。
ブラジルの情報を調べる、ビザを取る必要がある、そうした1つ1つがミッションのように感じられ、関門をクリアするごとに達成感があり、充実して行きました。
一方で中継地の治安の悪さや、そもそもアマゾンで無事で過ごせるのか、大きな不安も抱えていたのが、正直なところです。怖さと期待がない交ぜになったドキドキ感は、出発が近づくほどに高まって行きました。
そして準備を整え、羽田からロサンゼルスへ。最初の飛行機に乗るときに抱いた、どこか異世界にでも旅立つような高揚感は、今でも忘れられません。
なおアマゾンへ行くことは一部の知り合いを除き、家族にも伝えないまま旅立っていました。サンパウロにたどり着いたときには、さすがにWi-Fiがしっかりとつながるうちに、誰かに連絡しておこうと思いました。
「実はいまブラジルに居るんだ、これからアマゾンに行ってくる」。大学時代の友だちにLINEを送ってみました。しかし相手にとっては、話が飛躍しすぎています。
「え、何?アマゾン?ブラジルのAmazon支社に、就職するの?」とつぜん何を言っているのかと、はてなマークだらけのメッセージが帰ってきました。
ファンタジー世界のような蝶
ハキリアリに出会った夕方、その日はレクチャーも生き物に関する学びでした。中でも忘れられないのが、ジャングルの中でも最も美しいと言われる、“モルフォ蝶”の話です。
この蝶はブルーに輝く羽をもっており、森の奥地など特定の生息地に行くと、何十匹も集まって乱舞していることもあると言います。その写真を見せられたとき、思わずファンタジー映画の場面かと思うほど、幻想的でした。
そして驚くべきはその羽の仕組みで、ブルーに輝くといっても本当は茶色なのだと言います。しかし顕微鏡を使って鱗粉を見ると、極小のギザギザが刻まれており、ここに光が当たると青色の波長を際だって反射させ、それがブルーに見えるのだそうです。
これはシャボン玉やCDディスクの裏側が、鮮やかな色に光るのと同じ原理ですが、このような羽を何故もっているかは、最新の科学でも謎だと言います。
その美しさから乱獲も問題になっているそうですが、アマゾンの大自然に身を置いていると、動かない標本で手元に置いておくのではなく、生きて飛び回っている姿が見たいという気持ちが湧いてきました。
無限大の可能性を秘めた自然
以下はあとで調べて分かったことですが、モルフォ蝶の羽の仕組みは“構造色”と言い、すでに世界中でさまざまな技術に応用されています。
何しろこの仕組みを再現できれば、ペンキやインクを使わなくても色をつけることが可能になるのです。
衣服であれば洗濯しても色あせないメリットがあり、通称“モルフォテックス”と呼ばれる技術を利用して、ドレスやタキシードが作られていると言います。
またトヨタがレクサスの販売50万台を記念して製造した特別車にも、構造色の原理が使われており、美しいメタリックブルーの車体が特徴となっています。
たった1種類の蝶でも、これだけの叡智が秘められているのです。人間が他の生き物から学べる知恵は、計り知れません。
ところで福厳寺では、2024年の花まつりで“命に目を見開くこと”が大きなテーマとなりました。大愚和尚は法話で「これからの日本に必要なこと、それは厳しい環境でも素晴らしい工夫で生きる動植物に学び、取り入れて行くことです」と説かれました。
思えばアマゾンに限らず、日本でも日常で目にする不思議はたくさんあります。たとえば窓ガラスを上るアリやクモは、何のとっかかりもないツルツルの面を、なぜ落ちず自由に歩けるのでしょうか。
もし私たちが同じ能力を獲得できれば、ビルの壁をスパイダーマンのように登ることも、可能かも知れません。
人間にとって未知の領域が広がる自然の中には、まだまだ数えきれない叡智やロマンが、秘められている気がしてなりません。
≫続く